脚本『小蝿の交尾』
小蝿の交尾
役
小蝿
山田
鈴木
コバエの飛ぶ音。明転。小蝿、手を擦っている。(コバエパート)
小蝿 へえ、お歴々、蝿です。正確には小さな蝿、コバエです。今日は、この小汚い一室のお話。当方、コバエと、家主の、人間が登場するお話です。コバエの話なんで、まあ、だらだらと聞いていただければ。ところでどうです、そちらのほうは? 商売の事ですよ。言わせんでください。お人が悪い。へえ、へえ、蝿にくれてやる慈悲はねえですか。悲しいもんです。へえ、コバエが商売なんか気にするな? 全くです。商売のしょの字も知りません。浅学非才どころか無学無才の無知蒙昧でございます。何てったって当方コバエでございますから、小さな体にもっと小さな脳が、カスみたくこびりついてるもんですから、へえ、人間様の頭には到底及びもつかねえですが。ところで、商売ってえのは、ショウジョウバエが訛って、ショウジョウバエ、ショウジョウバエ、しょうじょうばい、しょうじょばい、しょうばい、しょうばい、てな具合で、できたらしいなんて、この前、ショウジョウバエの庄吉が鼻高々に自慢しておりましたが、へえ、違う? そんな由来ではない? へえ、へえ、ごもっともでございます。庄吉のやつときたら、いつもいつも法螺ばかり吹いてるもんですから、誰も信じはしないのですが、しかし、コバエというのは存外と暇なもんで、法螺でも吹かねばやっとられんというのも、同じコバエとしては良く身に染みるもんで、話ぐらいは合わせてやるんです。あら、どうでもいい? へえ、申し開きもねえですが、へえ、その庄吉、昔っから、それこそ生まれた時から、へえ、ですから二週間ほど前からずっと言っとるのですが、へえ、あいつは前世が人間だと言い張っとるんです。前世なんてあるもんですかね? 輪廻だとか何だとか、へえ、でしたらコバエは畜生道でしょうか。しかし、我々、畜生にまとわりつく、畜生のおこぼれ貰いでございますから、いや、畜生様には頭が上がらんのですけど、その畜生様の幾らかは、人間様のおこぼれ貰い。でしたら我々は、人間様のおこぼれ貰いのおこぼれ貰い、これじゃあ、頭どころか、尻も、骨も何もかも上がらんのです。へえ、ありがたいことです。しかし、前世が人だった庄吉はよっぽど碌でもないことをして、お天道様を怒らせたのでしょう。はて、当方、時々考えるのでございますが、輪廻という物があって、今そのただなかを巡っとるわけですが、さて、私は前世で何をしたのか、次の生では何になるのか。へえ、考えても無駄なことかもしれません。へえ、しかし先ほどの通り暇なもんですから、時間だけはたっぷりあるもんですから、つい考えてしまうのです。あと十日かそこらの長い時の先、当方、何になっとるのでしょうか。前世の罪は、今世で償い切れていたらいいのですが。来世には持ち込みたくないものです。へえ、お歴々、なぜコバエが手を擦るかお判りで? そう興味なさげにせんといてください。あなた方にとっちゃ取るに足らない時間でしょう? そのくらい付き合ってくだすったっていいじゃあないですか。我々はですね、祈っとるのですよ。お天道様に、来世はどうか、どうか、と。赦しを乞うとるわけです。勿論、自身の罪なんてものは分かりようはありませんが、それでもこんな風に身をやつしとる訳ですから、何かしら罪があるのでしょう。だから、必死に擦っとるのです。コバエですから、できることなんて、このくらいですが、それでもせずにはいられんのです。へえ、お歴々、あなた方は祈っとりますか? 祈る必要もなかですか。豊かでございますね。へえ、お歴々にとっちゃあ短い時でしょうが、しかし、コバエにとっちゃあ長い生、必死に祈りを捧げる訳です。ですけどお歴々、あんたがた、パンっと叩かれるでしょう? こう、我々が、ごしごし、ごしごししとったら、やあ、ブンブンうるさいやつがひとところに留まっとるぞ、これは狙い目だ、黙らせてやれ、と腕をブンと振って、その大きな手で叩っ潰される。一寸の虫にも五分の魂なんて言いますが、しょせん五分の魂でしかありません。ましてコバエの魂なんぞ、お歴々の爪の垢ほどの大きさもありません。ちっぽけな体にちっぽけな頭、そんでちっぽけな魂。へえ、潰すのに何の躊躇が要りましょうか。生きながらえたとて、結局はすぐに寿命が来ます。ですから、バンっと遠慮なく叩っ潰してください。そうすれば往生です。祈りの最中に死ねるのです。こげな幸福なかなかあるもんじゃあない。ですから、どうか、どうか救ってください。この、手擦りは、お天道様にだけでなく、お歴々、人間様への祈りかもしれません。へえ、お願い致します。どうか、どうか、どうか、ああ……。
山田、見上げ、叩かれる音とともに暗転。
明転。コバエの飛ぶ音。(人間パート)
鈴木 何読んでるの?
山田 冬の蝿。
鈴木 梶井基次郎?
山田 うん。
鈴木 好きだよね、あんた、ずっと読んでる。
山田 うん、ずっと。
鈴木 ねえ。
山田 うん。
鈴木 ねえ。
山田 うん。
鈴木 聞いてる?
山田 うん。
鈴木 聞いてない?
山田 うん。
鈴木 聞いてよ。
山田 聞いてるよ。
鈴木 聞いてるの?
山田 うん。
鈴木 聞いてないでしょ。
山田 今読んでるんだ。
鈴木 なんで今読んでるの?
山田 うるさい。
鈴木 ねえ、梶井と私、どっちが大事なの?
山田 分かるだろう?
鈴木 分からない。
山田 分かってくれよ。
鈴木 無理。
山田 じゃあ、黙っててくれ。
鈴木 あんた、最近何してるの。ずっとずっと本読んで。本だけ読んで。
山田 本だけだよ。僕を癒してくれるのは。
鈴木 私は?
山田 君は……。
鈴木 ねえ、本読んで何になるの。
山田 何にもならないよ。でも読まなきゃ。
鈴木 思ってないでしょ。
山田 思ってないよ。
鈴木 何かになると思ってるのに、嘘ついてる。
山田 ごまかしだよ。君が黙ってくれるなら、方便に頼るんだ。
鈴木 何になるの?
山田 それは。
鈴木 何になると思って読んでるの?
山田 わからないよ。
鈴木 なんで。
山田 良くわからない。
鈴木 なんで。
山田 言葉にできないんだ。
鈴木 本読んでるくせに。
山田 できないから。
鈴木 書きもしないで。
山田 書くよ。
鈴木 いつ書くの。
山田 書くよ。
鈴木 いつ。
山田 書くって……これ読んだら。
鈴木 読み終わらないじゃん。ぐるぐる読み返して。
山田 仕方ないだろ。
鈴木 仕方なくない。
山田 救われないんだ、そうしないと……梶井はさ、同志なんだ、僕の。僕の数少ない。僕を励ましてくれる、救ってくれる。
鈴木 ……おえらい文豪さまが同志ね、あんた、傲慢じゃない?
山田 でも、すごく、わかるんだ。彼の気持ち。きっと僕と同じなんだ。
鈴木 あんたに何がわかるの。
山田 わかるんだ。ほんとに。少なくとも君より。僕は君の気持ちより、梶井の気持ちがわかる。
鈴木 あっそう。
山田 君は生きてるんだ。
鈴木 生きてるわよ。
山田 だから、わからないんだ、君のことが。
鈴木 何言ってんの。
山田 梶井は死んでるだろう。だからさ、ありがたいじゃないか。文だけで、もうその本の厚さだけで、それがすべて。ねえ、夢があるんだ。明治期……大正昭和、その文豪たちとともに生きて、そして死にたい。
鈴木 できる訳ないじゃん。
山田 わかってるよ。
鈴木 そう。
山田 そう。わかった?
鈴木 何が?
山田 だから、今僕は夢を叶えてるんだ。邪魔しないでよ。
鈴木 叶わないよ。
山田 叶わぬ夢を追いかけるのだって、美しいんだ。
鈴木 高校球児にでもなって言いなよ。
山田 夢に貴賤はないよ。
鈴木 ある。
山田 ない。
鈴木 ある。
山田 ない。
鈴木 じゃあ、私が、例えばそうね、林檎になりたいって言って、それはあなたの夢と同等なの? 受け入れられる?
山田 ……その夢が、君の本心からの物なら、尊いはずだよ。僕がどう思おうと。
鈴木 嘘つきの顔してるよ。
山田 嘘じゃない。本心だよ、ちょっと受け入れられないだけ。
鈴木 受け入れられないなら、本心じゃないよ。
山田 ……ちょっと葛藤してるだけなんだ、理念と情念が。
鈴木 あんたなんでも言葉にすればいいと思ってるでしょ。
山田 その話はもういいよ。
鈴木 何度でも蒸し返すよ。
山田 言葉が好きなんだ。
鈴木 だからこそ、黙ることを覚えなさいって。
山田 無理だよ。言わないと伝わらないから。
鈴木 舐めすぎよ、人を。
山田 舐めてないよ。
鈴木 言って含めるようにしかしないじゃない。
山田 君たちがわからないから、さっきから。
鈴木 あんたがわかってないだけでしょう。
山田 わからないって言ってるだろう。僕はわからないんだ。
鈴木 だから、わかる努力をさ。
山田 いいんだよ、僕は梶井がわかるから。君たちに救ってもらわなくても。
鈴木 そう。
山田 蝿がさ、飛んでるんだ。冬の、弱り切って、病人のような、蝿が。
鈴木 その本?
山田 そう。梶井も病弱で、それで、療養してるんだけど、温泉地で、宿に蝿が出て、ヘロヘロと飛ぶくせに、日光にはしゃぐんだよ。梶井は日光浴をするんだ、健康のために、だけど、日光を憎んでやまない。抑鬱されて、それを慰めてくれるのは、寄り添うのはさ、日光じゃないから。体調が悪い時に、朝外に出ると、眩むんだ、日光に、刺される。頭をぐわりと。日光は無理やり、エネルギーをぶつけてくるだけ。それなのに、自分と同じように、弱った蝿は、病に苛まれ、死骸に比するやつらは、日光にはしゃいで。
鈴木 饒舌ね。
山田 わからないだろう。
鈴木 あんたの拙い言葉じゃね。
山田 ヤッパリ伝わらない。
鈴木 何を伝えるべきかわかってないわ。要らないことは言わないのよ。
山田 ……本読む。
鈴木 言葉が足りないわ。
山田 君を舐めてないんだ。
鈴木 わかった、いったん黙っといてあげる。
山田 ありがとう。
本を読む。暫くして。
山田 考えたことある? 僕たちを生かしている、何かしらの要因……梶井が、ある時、二、三日宿を空けたら、蝿が全滅したんだ。梶井の生活にあやかって生きてたからさ、彼らは。梶井のご飯のカスだとか。それで、梶井がいなくなったから、梶井が生命線だったから、死ぬんだ。そんな風に、僕たちを、きっと何か、大きな見えない何かが、生かしてるんだって、そう言ってる……黙ってるの? ……そう。
本を読み返す。コバエの音。
山田 うるさい。
鈴木 何も言ってないわよ。
山田 違う、コバエ。
鈴木 コバエ? ああ、たしかに。
山田 ねえ、コバエ、こいつ、交尾してる。
鈴木 はあ、どいつ?
山田 こいつら。
鈴木 ほんとだ。
山田 コバエって気持ち悪いよね。
鈴木 うん。
山田 コバエ、一匹で気持ち悪いのに、二匹まとまってもっと気持ち悪い。さ、空中で、くんずほぐれつって。こいつらさ、一匹だったら素早く飛ぶのに。二匹で、別の事に夢中だから、疎かになって、べったりくっ付いて、ゆっくり飛ぶ。
鈴木 うん。
山田 だからさ、叩きやすい。ほら、簡単。
鈴木 あ、潰した。
山田 これで静か。
鈴木 潰した!
山田 なに!
鈴木 なんで潰すの!
山田 うるさいんだもん!
鈴木 子供か!
山田 子供じゃないよ!
鈴木 じゃあ潰すなよ!
山田 別にいいじゃん!
鈴木 死んだんだよ!
山田 別に……いいじゃん。
鈴木 良くないよ、あんた、二匹潰した。何考えてんの? 二匹じゃないよ、あんたが潰したのは、二匹の、生まれてくるはずだった子、その子の子、その子の子の子、その子の子の子の子、全部、死んだ、死んだ。ああ、生命の螺旋が、太古から続く、連綿が、鎖が、あんたの考えなしの傲岸不遜の、恥知らずで、叩き切られた。いいわけないでしょ! ああ、ムカつく! あんたムカつく。もう限界。ほんっと無理。あんた本ばっか読んで、表面上だけ考えてるふりで、何も行動しない。かしこ顔して、思想ばっか育てて、ブクブクと肥えて、醜い。全然行動に生かさない。死んでんだよ、あんたの思想。だから、梶井の冬の蝿、読んでるくせに、コバエ叩けんだよ。何も考えてない。ほんと気色悪い。ごめん。ごめん。無理。
山田 あ、コバエ。
鈴木 痛っ。なにすんの!
山田 コバエが……いたから。ほら、いない? ごめん。
鈴木 叩くなよ。
山田 ごめん。
鈴木 謝んなよ。
山田 謝るよ。悪かったんだもん。
鈴木 また言葉にしてる!
山田 ごめん。
鈴木 なんでこんなこと言うと思う? わかんないでしょう。あんたがわからないから、噛んで含めてんの。あんたが、一度でも私に、私の為に言葉を使ってくれたかしら? あんたはあんたの為にしか言葉を使ってない。だから伝わんない。
山田 ごめん。
鈴木 言い過ぎかしら。
山田 正しいよ。
鈴木 あんたが決めるな。
山田 ごめん。
鈴木 謝るな!
山田 ……ねえ、書くからさ、できたら、読んで、感想聞かせてよ。
鈴木 うん、いいよ。
山田 ありがとう。
鈴木 じゃ、頑張って
鈴木はけると同時に暗転。
コバエの音。明転。コバエが入ってくる。物色する。リンゴを見つけ食べる。
小蝿 おや、お歴々、久方ぶり、えー十分くらいですか? 細かい数値は、どうでもいいですね。気づけば過ぎ去っているものです。光陰矢の如し。光は日、太陽を表し、陰は月を表すそうです。それで、二つ合わせて光陰、月日の事でございます。いやあ、太陽はいいもんです。何故って平等でしょう? 当方にも、畜生にも、お歴々にも平等に照るわけですから。お天道様からすれば、当方も、お歴々も、平等です。平等に虫けらです。へえ、嫌な顔をなさる。仕方がないのですよ。太陽はでかい。当方と、お歴々の差以上の、莫大なものが、我々とお天道様の間にあるわけです。そのでかさを恨んでも仕方ない。受け入れるしかないのです、太陽に照らされる限りは。こんなコバエと一緒くたではよい気分もしないでしょうが、逆に当方たちにとっては救いでございます。そうだ、このりんご腐っとります。ご覧になります? いい? そうですか。いやあ、おいしい。このりんご、家主がほんに怠け者で、それで、仕送りだといって送られてきたものを食わずに、放置してたもんですから、このように腐って、ぐじゅぐじゅの、ああ、美味そう。へえ、すみません一口。美味い、美味い。怠惰な主には感謝でございます。へえ、何ですか、何か気になることでもございますか? ご遠慮なく、伺ってください。おやこれじゃあ、敬語がなっとらんですな。まあ、コバエにあんまし期待をかけられても困りますんで、お許しを。なんせ、脳みそがゴミみたいなもんで。働かんのですよ。お歴々はまあ、大層立派な頭をしてらっしゃいますから、わからんでしょう。へえ、それで、へえ、、へえ、なんで生きてるのかと、さきほど叩き潰されたではないかと。そりゃあ、するりと逃げましたよ。いくら、当方、出来の悪い頭だと言っても、叩かれるとわかって、むざむざ、叩かれるほどの大阿呆ではございません。素早くするり、すり抜けて、くるくる空を周っておりました。家主は、たまに堪えきれんようで、叩かれるのです。三週間かそこらで死ぬんですから見逃してくれたらいいものを、まあ、弱肉強食でございます。最近はコバエポットなんかを設置して、へえ、庄吉のやつなんか、一目散に匂いにつられて、へえ、絡め取られて、ばたばたと、藻掻いておりました。全く阿呆でございます。しかし、こんなご馳走をくださる方なかなかいないもんです。差し引きコバエどもからの好感度はもう青天井の方ですよ。へえ、叩くのも下手ですし。へえ、何ですか、まだ何か? へえ、往生、祈り、ああ、手擦りの事でございますね。祈りの最中に死ねるんだから、大人しく死ねと。へえ、へえ、そんな馬鹿な話はない。あれはほんの冗談でございます。コバエの戯言、言葉を弄した暇つぶしでございます。まさか信じられたわけでもなかでしょうに、それで我々に死ねと、お人が悪い。へえ、ではなぜ擦るのか? あら、りんごの汁で手が汚れてしまった、はあ、すりすり。手を洗っとります。へえ、へえ、すみません。冗談ですよ。軽い、なごませですから、そんな怖い顔をなさらんで、手を下ろしてくださいな。振り下ろすのではなくて、そうゆっくりと。簡単につぶれるんですから。軽い命なんですから。へえ、へえ、お歴々には敵いません。へえ、偉大な種族でございます。舐めた口などきけません。と、すりすり、ゴマをすっとります。嘘です。ですから、手は出さんといてください。へえ、本当のことを話しましょう。へえ、なんでコバエが手を擦るか。へえ、良くわかりません。なんでなんでしょうか。全く、これっぽっちもわかりません。あえて言うなら本能です。谷川俊太郎の、いっとう有名な詩に『生きる』てのがあります。いい詩ですよ。作者は不完全だと言っとりましたが、作者の考えなんて、知ったこっちゃあない。そこにはこうあります。『生きているということ いま生きているということ 鳥ははばたくということ 海はとどろくということ かたつむりははうということ 人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ』どうですいい詩でしょう? 作者面して堂々と紹介しておりますけれど。へえ、ご存じでしたか、こりゃあ釈迦に説法でございます。へえ、コバエにとっちゃあ、手擦りとは、生きているという事です。谷川俊太郎風に言えば、生きているということ、コバエは手をこするということ。キャッチコピー風に言うなら、ノー手擦りノーライフです。そう、お歴々、あなた方が、他者を愛するように、コバエは手を擦るわけです。あなたの、その愛と、手の温みと、同列でございます。ほらほら、こすこす、こすこす。どうです。同じですよ。もしお歴々が、自身の愛を尊いともて囃すなら、連れ立って、これもまた、尊く、お歴々が、これをカスだとなじるならば、お歴々の愛もまた、カスでございます。ほれ、ほれ、こすこす、こすこす、擦っとります。へえ、このようにして生きとるわけです。納得できませんか。コバエは人の納得など要らぬのですよ。必要なのは、人が怠惰でこぼす、腐りものだけです。おお怖い。なんという顔をなさっとるのですか。愛を貶してなどおりません。ただ、そうなっとるという事実を言ったのです。へえ、事実を受け入れる必要など、ありません。へえ、あまりべらべら気持ちよく喋っとると、また良からぬことを言って、へえ、何が地雷を踏むか、へえ、へえ、恐ろしい。退散させてもらいます。時を置けば、怒りも収まりましょう。そしたら、また付き合ってください。それでは。
場転。山田は何か、書いている。コバエの飛ぶ音。(人間パート)
山田 愛、愛、愛。ラブコメ。ラブコメ? ラブコメ。ラブアンドコメディ。ラブそしてコメディ。ラブに安堵してコメディ。ダジャレでコメディ。ラブの上にコメディ。ラブに安堵? 人からの愛にかまけて、胡坐かいて、それでコメディ。あんた私愛してるでしょ……。微妙。コメディ、コメディ。掛け合い? 文学。ひょうきん。わからん。ああ、つまらん。下らん。うるさい。コバエ。コバエ。ああ、うるさい。コバエ。死ね。コバエ、死ね。死んでしまえ。コバエいなくなれ。死んでいなくなれ。死ね。
りんごの入った箱に向かう。
山田 りんごりらっぱんつみきつねこあらっこあらっこあらっこあらっこあら。こぶたぬきつねこぶたぬきつねこぶたぬきつねこ。仕送りりんごは蜜の味。うまうまシャクシャク。愛の味。ラブ? 違うか。りんご、りんご。腐ってんな。これも、これも。これは食えそう。食えるなら食いたい仕送りりんご。母の愛、父の愛。ラブコメではないな。こんなに腐ってたら、コバエがわきわき、湧き放題。コバエの天国パラダイス。死ね。死~ね、コバエ死ね。ハエトリポットで死んじまえ。ハエトリポットはどこにある。ここにある。
ハエトリポットを設置して、眺める。
山田 蝿が一匹飛んできて、ぴと。絡め取られて、死んでいく。ブーンとうるさく飛んできて、ぴと、静かに死んでいく。かかれ、かかれ。お、きた、さっそく、一匹。かかれ。死ね。かかり死ね。
鈴木 やあ、久しぶり。三日ぶり?
山田 ……久しぶり。見てた?
鈴木 見てたに決まってんじゃん。
山田 忘れて。
鈴木 無理。
山田 忘れてよ。汚い言葉使ってたから。
鈴木 頭殴ったら? 私の。そしたらすとんと抜け落ちるかもよ。
山田 無理。
鈴木 無理だね。
山田 やっぱやる。
鈴木 やめてよ。
山田 やめる。
鈴木 あんたさ、死ね、死ねって言ってた。
山田 忘れられないならせめて口にしないでよ。
鈴木 これは言わなくちゃいけないんだよ。
山田 汚い言葉を使ってたんだ。自分だけしかいないから。自分の為だけの言葉なんだよ。君の為の物じゃない。
鈴木 そんなことはわかってるよ。違う。あんた死ねって言ってた。殺すじゃなくて。なんで?
山田 そりゃあ、死ねって思ったから。死んでほしいって。違うんだ。いなくなってほしかっただけで、死ねって思ってなんか……。
鈴木 そうじゃない。殺すって思えよ。なんで殺すって思わないの。憎い、うるさいじゃまな相手。殺すじゃなくて死ねって、なんでそんなに他力本願なの。憎悪も他者の手に委ねるの? 憎悪まで、そんな激情まで。あんた自分の感情なのに、その成就を、運任せ。恥ずかしくないの?
山田 軽く思っただけなんだよ。激情なんて、そんなことない。
鈴木 軽く死ねなんて思うなよ!
山田 ごめん。
鈴木 それで、書けた?
山田 少し、進んだ。
鈴木 いいじゃん。
山田 でも行き詰まって。どうしようかって。
鈴木 どれ?
山田 はい。
鈴木 ふーん。
山田 ラブコメを書いてるんだ。
鈴木 あんたが?
山田 ラブコメ、難しいね。
鈴木 そりゃあね、あんたには難しいでしょ。まだまだ途中ね。
山田 僕じゃなくても難しいよ。
鈴木 手伝ったげるよ。愛が何かわかる?
山田 わからないな、考えてるけど。昔から考えてるけど。
鈴木 無知の知?
山田 飴と無知。
鈴木 キャンディ?
山田 キャンディと無知蒙昧。
鈴木 ふーん。コメディは?
山田 もっとわからない。何が面白くなるのか。
鈴木 愛の真剣さ。
山田 真剣さは笑えないよ。
鈴木 共感性?
山田 うん。
鈴木 この流れなら、例えば『二人だけで、独り占め。私はあなたのものなのに、あなたは私のものにならない。』どう?
山田 微妙。
鈴木 駄目か。
山田 駄目じゃないよ。駄目じゃないけどさ、変な人が、変なことを叫ぶだけじゃ、僕の書きたいものじゃない。
鈴木 そう。
山田 愛ってのは、もっと美しくないと、清水の様に、心を澄ませ、潤すんだ。
鈴木 恋愛観きもいわね。
山田 ……きもいか。
鈴木 すごく。腐ったりんごみたい。
山田 ……休憩しようよ。
鈴木 来たばっかよ?
山田 僕はずっと考えてた。
鈴木 じゃあ、休みましょうか。
山田 りんごを食べるとこだったんだ。それで、コバエが気になって。
鈴木 それでポットを?
山田 君が潰すなって言ってたの思い出して。
鈴木 あんなのおふざけよ。
山田 わかってるよ。
鈴木 でもダメ?
山田 うん。だから、潰さなくていいように。
鈴木 そう。殊勝なのね。強情かしら。
山田 君が決めてよ。好きなように。
鈴木 じゃあ、阿保。
山田 馬鹿じゃなくてよかった。
鈴木 馬鹿でもあるわ。
山田 そっか。
鈴木 りんご、剥いたげる。お疲れでしょう?
山田 はい。
鈴木 あんた、手白いわね。
山田 不健康だからね。
鈴木 でも髪はぼさぼさ。落第ね。花櫛でも買って差し上げようかしら。
山田 僕がしても無駄だよ。
鈴木 恋するのは私よ? あんたじゃない。
山田 決めるのは君だったね。
鈴木 あんたに関してはね。
山田 ねえ、コバエって、蝿なの?
鈴木 蝿でしょ。
山田 でもコバエだよ。
鈴木 小さな蝿でしょう。
山田 昔考えたんだ、青りんごはりんごなのかって。
鈴木 同じよ、青いりんごで青りんご。
山田 りんごはさ、そのりんごはさ、赤りんごなの?
鈴木 りんごはりんごよ、りんごは元から赤いでしょう?
山田 だから、りんごは赤いんだ。赤くないりんごって、つまりりんごじゃないんじゃないかって、気になるんだ。
鈴木 熟す前は青ね。
山田 妄想したんだ。むかし、りんごを見つけた人が、名づけた人が、もし、先に青りんごを見つけてたらさ、青りんごのことりんごって呼んで、りんごがさ、赤りんごになるんだ。
鈴木 阿呆ね。
山田 人を書くときに、薄橙で塗るんだよ。
鈴木 そんなこと気にしても意味ないわ。必要になった時に考えるのよ。
山田 こんな妄想もした。コバエが蝿にいじめられる妄想。『おいコバエ! おまえ! 矮小な身で蝿を名乗っとるお前! この畜生め! 虎の威を借る狐だか何だか。おい、俺とお前が同じ蝿か! 対等か? ええ? どうなんだ。』
鈴木 それは、蝿のつもり?
山田 うん。それで、コバエが『へえ、蝿さん。何だってそんないきなり怒鳴るんだい。へえ、そんなこと言われたって困るよ。ほら、小さなってつくじゃないか。僕らが蝿なら、小さななんてつけなくていいんだよ。それに、自らコバエを名乗っとるのでもない。』
鈴木 言い訳がましいコバエ。
山田 『おい! 聞き捨てならん。俺ら蝿を小さくしたらお前らに成るってか! おい、おい、大きさだけじゃないぞ! 貴様、大きさだけが、俺と貴様の違いだと? ずいぶん調子に乗ってるじゃないか。あんまりふざけたこと抜かしていると食い殺してやる! お前も、お前のお仲間も! 』
鈴木 蝿って、コバエ食べるの?
山田 知らない。
鈴木 そう。えらく怖い蝿だったわ。
山田 きっと夏なんだよ。夏だから、全盛期だって。
鈴木 驕れるものね。
山田 蝿はさ、叩くと気分が悪い。潰した感触と、手についた汚れと。気持ち悪い。
鈴木 そりゃあ、でかいわ、潰すには。蝿たたきでも使いなさいな。
山田 コバエは簡単に潰す気になる。叩いたって、何にも感じない。命じゃないみたい。
鈴木 そんなものに命を感じてちゃ、もたないよ。気楽にね。
山田 コバエが交尾してるんだ。この前のやつらみたいに。二匹潰しても軽い。君が言ったように、億万のコバエを潰したのと同義でも。
鈴木 そう。正しいわ。それでいいじゃない。
山田 梶井基次郎、また梶井の話。好きだから。あの、『交尾』って話の中で。交尾って愛なんだよ。交尾自体がじゃなくて、その、エトセトラ、エトセトラ。まとわりつく情緒が愛なんだよ。
鈴木 そう、いい話じゃない。
山田 いい話なんだ。でもさ、コバエ交尾してるのに、愛が、愛が感じられない。二匹同時に潰しても軽い。
鈴木 コバエに愛なんかあるもんですか。あんなものは、ただ、機械的に生きて、機械的に卵を産み、そして機械的に死ぬのよ。
山田 そうであったらありがたいな。いや、やっぱ嫌だ。
鈴木 あんなちっぽけな脳で、愛なんか語れないのよ。そんなに単純な物じゃない。あいつら、知ってた? あいつら、一生で五百個卵産むんだって。二週間かそこらで五百個。一日五十個くらい? そんなに忙しいのよ。愛の住み込む場所なんてないわ。
山田 愛、ないのかな。
鈴木 ないって考えといた方が楽よ。
山田 『交尾』の中で梶井が、河鹿の世界に入り込むんだ。河鹿になるんじゃないけど、河鹿たちがぐえぐえって鳴いて、思いを伝えるのを同じ目線で見る。それは転生なんだよ。共感は、転生に近しい。ラブコメの為にさ、愛を考えて、交尾を考えて、それで、コバエの事を考えて、コバエが交尾してて、共感して、つまり、僕はコバエに転生したんだ。僕は今コバエだよ。君を、愛するコバエなんだよ。
鈴木 コバエね、阿保らしい。
山田 そんなことないよ。
鈴木 あ、ねえ、あんた、前話してたわね、胡蝶の夢って。
山田 ああうん。僕の好きな話。
鈴木 私ね、寝るとコバエになるのよ。ショウジョウバエの庄吉。
山田 何を馬鹿なことを。
鈴木 あら、自分は転生したって言うのに、私のは法螺だっていうわけ?
山田 そう言うわけじゃ。
鈴木 ふーん。まあ、いいわ。コバエに転生するんじゃ、あんまり自慢できるもんじゃないけど。
山田 ちょっと滑稽だね。
鈴木 ねえ、これコメディになるかしら。後はさ、何かしらラブ付けて。そう、その夢の中で、私モテるの、コバエに。
山田 ふーん。
鈴木 妬いた?
山田 僕が、コバエに?まさか。
鈴木 ねえ、これはラブコメかしら。コバエになった人間が、コバエに言い寄られるの。
山田 ラブコメにしては……あんまり。
鈴木 はあ、まあ、そうね、冗談よ。(あたりを見回して)汚い部屋。ほら、こんなに汚いからコバエが湧くの。こんな部屋でコバエと同居してたから、精神をやられるの。
山田 めんどくさくて。死ぬわけじゃないし。
鈴木 私まで、変な冗談言っちゃったじゃない。ほら、掃除しましょう。
山田 コバエが出るとさ、自分の怠惰を突き付けられてるみたいだよね。
鈴木 いいから、手伝ったげる。
山田 ありがとう。
鈴木 じゃあ、どうしましょうか。まず、これ、要らないでしょう?
山田 それは……要らない。
鈴木 腐ったりんごは、もう全部捨てましょう。
山田 ゴミ袋要る?
鈴木 要るに決まってるでしょう。
山田 取ってくる。
鈴木、掃除。山田、取ってくる。
山田 はい、ゴミ袋。
鈴木 あんたこれ、つめて縛っといて。
山田 うん。ねえ、考えたんだ。本を読んで何になるのか。言葉にできなくてさ。
鈴木 そう。
山田 言葉にできない感情があってさ、思考と、思想と、記憶と。
鈴木 うん。
山田 言葉にすると救われるんだ。
鈴木 だからあんたは、言葉に頼りすぎてる。
山田 できればすべてを言葉にしたい。
鈴木 そう。
山田 でもできない言葉があるから。能力が低くって。
鈴木 目が曇ってて?
山田 そう。だから、本を読むんだ。僕の中の感情を、言葉にしてくれる。
鈴木 一側面でしょう?
山田 そう。でも、何になるかの答えではある。
鈴木 もっと気楽に、面白がりなさいよ。
山田 読むときはそんなこと思ってないよ。
鈴木 じゃあ、後付けね。
山田 後付けか。
鈴木 ええ、カッコつけた物語だわ。
山田 君は本を読まないの?
鈴木 私が知ってるのは、小中高で習ったやつと、あんたが教えてくれたものくらい。
山田 そっか。
鈴木 でも、いいお話なのは分かるわ。
山田 そっか。
鈴木 はい、大体、こんなもんでしょ。
山田 うん、大分きれいになった。ありがとう。
鈴木 コバエなんかに気を取られて、ねえ、コバエの愛がどうとか気にしてたら、書くもの書けないの。ほら、清潔にすれば。環境は大事よ。
山田 ねえ、書くからさ、見ててよ。
鈴木 私を環境にする気?
山田 ……そういうわけじゃ。
鈴木 さっさと書きなさい。りんご切ってくるわ。
山田 うん、ありがとう。
鈴木 楽しみにしてる。
エンディングっぽい曲
小蝿がいる。鈴木は、何かに引っ付いたように寝転んでいる。(コバエパート)
小蝿 おや、お歴々。落ち着きました? へえ、へえ、部屋が掃除されて、住処が。へえ、それで、うざったいやつがどんなに苦々しくしてるか見てやろうと。それで、はあ、にこやかに、当方のもとへやってきたと……本当にお人が悪い。碌な来世はありませんよ。それこそ、コバエになっとるかもしれません。へえ、へえ、来世なんかある訳がないですか。弱者の縋り付き、とは言葉が悪いですねえ。へえ、来世はありますよ。なきゃやっとられません。お歴々、私は嘘をつきました。冗談を言ったんじゃございません。ごまかしという類の嘘を。ねえ、へえ、これは、言わない方が、お歴々にとってではなく、当方らにとって、言わない方がいいことなのですし、ですから言いたくないのですけれど。お歴々、嘘を告白する時ってどんな時なんでしょうか。一つに、その嘘に耐えられなくなった時、一つに、嘘の陳腐に気づいたとき。お歴々、あんたらとコバエは平等ではない。どうしようもなく優劣がある。あんた方が優で、そして、我々は劣。打ち崩しがたき、絶壁が、ここの間に聳えております。へえ、いかがですか? へえ……ですからお歴々、あなた方の愛と、我々の手擦りが同等なんてこともない。命の尊さ、価値が、重みが違うのです。生きていることの意味が違うのです。我々の、意味もなく行う、この手擦り、あんた方が、本能の下行う愛と、意味に囚われない純粋と、さあ、同じなんてことはありません。どちらが優などは無論です。言いたくもないので口を噤みます。お歴々、愛、尊いはずなんですよね。少し、答えていただきたい。我々が、コバエが、誰かを愛したとして、尊いのでしょうか。この小さき身に余るような、愛を、持ち得るのでしょうか。愛の尊さは、情熱の赤にたとえられます。燃え上がる炎の様に、このりんごの様に。これも腐っとります。私の、この愛は、美しい物でしょうか……はあ、庄吉、元気かい?
鈴木 また来たの。
小蝿 嫌だった?
鈴木 嫌じゃないよ。
小蝿 はい、これ、りんご。
鈴木 ありがとう。ごめんなさいね。
小蝿 気にするなよ。
鈴木 気にするわ。あなたにわざわざ、私がドジ踏んだせいで。
小蝿 仕方がないよ。
鈴木 やっぱり、もう、ねばついて、出られそうにないわ。
小蝿 出られなくても。ごはんなら、私が、いくらでも取ってくるから。
鈴木 いいのよ、あなた、ごはんだって、無限にある訳じゃない。
小蝿 いいんだよ、気にしなくて。
鈴木 ほら見て、足も、羽も、筋肉が萎えちゃって、もう碌に動かせやしない。もうすぐ死ぬわ、ごはんがあっても。だから、ねえ、こんなの見捨ててさ、あなたには、ほら、羽が、囚われない羽があるんだから。さ、自由に。
小蝿 大丈夫だって、大丈夫だから。
鈴木 私に囚われないで。
小蝿 大丈夫なんだって。
鈴木 ごめんなさいね、少し……。
小蝿 君が謝ることじゃない。
鈴木 少し、心が弱ってるの。あなたが来てくれるの、本当にうれしいの。でも、すごく申し訳ないわ。
小蝿 ねえ、またさ、あの話聞かせてよ、ほら、君が人間だった頃の話。
鈴木 人間だった頃ね。
小蝿 人の君は誰かを愛しているの?
鈴木 ええ、愛しているわ。
小蝿 ……ねえ、君の、その人の話を聞かせてよ。そう、君が、好きな人、知りたいんだ、どんな人か。
鈴木 好きな人。
小蝿 何でもいいんだ。
鈴木 彼は、そうね、何を話そうかしら。ごめんなさい、何を言えばいいか。
小蝿 すごく好きなんだね。
鈴木 そうなの。
小蝿 羨ましいな。
鈴木 あなたも、ねえ、好きな人を、蝿を? 見つけなさいな。あなたの、あなた、なんて種族だったかしら?
小蝿 わからないよ。君がわからないんなら。
鈴木 そう、ねえ、私ばっかかまってないで。同じコバエの子と。
小蝿 ……駄目だよ。
鈴木 駄目なんかじゃないわ。
小蝿 ……ほら、りんご、食べなよ。まだまだあるんだから。
鈴木 え…ええ、貰うわ。
小蝿 うん、食べて。
鈴木 うん、おいしい……(むせる)。
小蝿 大丈夫⁉
鈴木 (むせる)……大丈夫よ。ちょっとむせただけ。
小蝿 ごめん、無理に食べさせたから。
鈴木 ふふ、もう、長くないのかもしれないわ。
小蝿 そんなこと。
鈴木 大丈夫よ、死ぬのだって眠るようなもの。そしたら、人として目が覚める。
小蝿 嫌だよ。
鈴木 ……そうね。あなたとはお別れね。
小蝿 言わないでよ、そんなこと。
鈴木 あなた、少し似てるの、私の好きな人に。
小蝿 ……。
鈴木 ねえ、看取ってくれない?
小蝿、鈴木の手を取る。
小蝿 そんなこと、言っちゃ……冷たい手……。
鈴木 もう、死んでるの。体も、もう駄目。
小蝿 私が、私が温めるから。大丈夫だよ。
小蝿、鈴木の手を擦る。
鈴木 ふふ、あったかい。
小蝿 私が、温めるから、死なないでよ。
鈴木 ありがとう。でもそんなにくっ付くと、あなたまでくっついちゃう。
小蝿 いいよ、もういいよ。
鈴木 かくれんぼみたい。
小蝿 かくれんぼ?
鈴木 そう、楽しい遊び。
小蝿 ねえ、もっと、もっと聞かせてよ、君の話、君の事。
鈴木 駄目よ、あなたは、自由に、生きていけるんだから。
小蝿 もう、ほら、足引っ付いちゃった。
鈴木 はあ、やっぱり、あの人に似てるわ。自分ばっか。
小蝿 ごめん。でももう無理だよ。
鈴木 うん、温めて。冷え切るまで。
小蝿 愛してる。
鈴木 ごめんなさい。無理。
終わり