『人間の建設』を上演をしたい!!!
どうも初めまして、劇団「鹿の子」所属の炎トビ夫です。
出来たばかりの鹿の子ですから、まあ、実体はあってないようなもの。目標こそ、緩く、三年後の自主公演と決めたは良いものの、直近の活動としては、それに直結するようなものもなく、団員仲良くだらだらと生きております。
さて今日は、初回ですから、鹿の子の活動方針なんかと、あと、タイトルについての話を少々しようと思います。
言ってしまえば、これは決意表明。方針を明文化し、よって確かにしようという魂胆です。
方針:演劇をする!
これだけです。マジで、これだけです。演劇がしたいんですよ。革命だとか、感動だとかどうでもいいんです。ただ演劇が好きなので、演劇をするんです。
この方針というより、決意には団員の、割り切り、諦めが多分に含まれています。我々は、演劇で食っていくことを諦めました。社会の一部としての演劇を諦め、自身の社会生活と演劇を切り離し、勿論、動機としての政治からも演劇を切り離し、露悪的な言い方をすれば趣味としての演劇に興じる所存です。
社会の一部としての演劇を行うには、どうしても、能力が低い。成長性があるとしても、それを信じて演劇に食らいつくような勇気もない。それでも、演劇をするために、醜くも、意地汚くも、団を立ち上げ、演劇を手放さんと縋っているわけです。
だから、方針はこれだけ。どんなに、みすぼらしい姿、方法であろうとも、演劇をする。そういった決意でございます。
具体的な活動としては、決まっているのは、脚本書いて、あげたり、日記ふうの雑文(この文がそう)を書いて、あげていこうと思います。好きなようにやります。ので、更新頻度は不定期です。長期休暇はきっと、活発。のんびり、飽きない程度にやれたらいいな。
本題!!!
所信表明のようなものも終わったので、本題に入りましょう。
『人間の建設』を上演したいよ!!!!
『人間の建設』読んだことのある人も多いと思います。数学者岡潔と評論家小林秀雄の雑談を文字に起こした作品。
そう、雑談を文字に起こしただけの本なんです。だから、脚本でも何でもないんです。物語性だってない。ただの、インテリジェントな二人の日常をそのまま切り取ったようなもの。起承転結も序破急もない。これを上演したい。本気です。
なぜ上演したいのか?
すごく面白い本なんです。でも、物足りない。すごく薄っぺらい。それは、文字に肉がないからだと思うんですよ。音声として発された時には発話者の肉、それは声調だとかなんだとか、が言葉の裏打ちとしてしっかり存在してたはずなのに、文字にしたために、肉がそがれ、文字の為の新たな肉を付けくわえられることもなく、ただ、骨丸出しで外気にさらしている、そんな風情です。聴覚芸術と視覚芸術の翻訳に失敗したという事です。
三島由紀夫の檄、有名な、最後の檄、演説の文字起こしを読んだとき、その、裸が滑稽で、熱がなくて、どうにも。音声を聞いたときはこうはならなかった。
これと同じです。生身の言葉には生身が不可欠なのです。
生身を奪われた言葉に生身を。
アナウンサーが読むような機械じみた声ではだめです。生身の、肉体の声、つまり、演劇の声、それが『人間の建設』には必要なのです。
演劇にせねばと、本を読んだときに直観しました。きっと、面白くなります。演劇の一つには、人間を見せる役割があると思っています。それを十全に果たせる雑談だと思うのです。
役者だよりなものになってしまいそうですが、そこを押して上演したい。もしくは上演しているものをみたい。誰か、やってくれ!
初回は、こんな具合で仕舞にします。鹿の子、これから頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします。