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TOYOTAドリトル先生 (1990)
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How to say
クルマなんてなくてもいい、とある日思った。
クルマがあってよかった、と次の日思った。
「クルマの話をしようか。」とドリトル先生は言いました。「クルマ?私、クルマあまり好きじゃありません。」とカナリアのビビネラは言いました。「空気は汚れるし、事故は増えてるし。ちゃんと歩けばいいんですよ、歩けば。」
「だけどね、クルマのおかげで、人間の生活が、ずいぶん便利になったことは確かだよ。君と同じくらい、遠くまでいけるようになったし。」
「そりゃそうです。わかります。家族や恋人同志でドライブに行く姿なんていいなぁ、と思いますよ。でも….」
「でも、なんだい?」
「私が言いたいのは、クルマって、本当にみんなを幸福にしてるのかなぁってことなんです。」
カナリアのビビネラは沈みかかった西陽を見つめながら、悟ったように語りました。
「ま、こんなにクルマが次から次へ生まれてるとこをみると、人間はクルマが好きで好きでしょうがないんでしょう。」
「自分の家を持つのと同じように、自分のクルマを持つということはなんともうれしいことなのだよ」先生は、ちょっと苦しそうにそう言って、目をふせました。
ビビネラは分かっていました。先生は自然を何より大切に思っている人です。動物とも植物とも、いろんな話をして、一緒にいきてきた人です。
だけど、その自分が愛してやまないクルマという乗りものが、人間自身や地球のいろんな生き物たちと、どうもしっくりいかなくなりはじめてるんじゃないかと、気になって仕方がなくなったのです。
「先生が、私たちと動物と話をなすったように、もしクルマと話ができたら。きっと彼らもいいますよ。嫌われものになりたくないよーって。」
「そりゃ…そうだろうね。」先生はそう言ってから、ちょっと咳払いをしました。
カナリアのビビネラは、ブッブーとクラクションみたいにさえずってみせました。
***
人にやさしいクルマづくりって、どういうことなんだろう。
本当はそれが、いちばんたいせつなことなんだ。
トヨタは、いま、そんなことを考えています。
人が思っていることを、トヨタも思っていたい。
戦略のコアアイディア
TOYOTA is クルマのあり方を問うクルマ屋さん
・1990年当時の日本では非常にめずらしい環境をテーマにした企業広告
・環境に対する真摯な企業姿勢をアピールした。
・答えを出すのではなく、問を投げかける
表現のアイディア
・ドリトル先生=TOYOTAのメタファー
→自然とも会話できる"人間"であるドリトル先生。
環境と人間の狭間からクルマを語る
・動物との会話形式にすることによってクルマを批判させる
→批判を受ける前に先にこちらから発する
・人が思っていることを、トヨタも思っていたい
→要はお客様と同じサイドにたっている