竹中平蔵氏の功罪について考える(ベーシックインカムの導入について積極的なのは評価できる) 松本
バブル崩壊後、苦しみ抜いた日本政府はさまざまな政策を考えたり、試したりしてみました。
当時は、ソビエトの崩壊もあり、自由主義経済がやはり正しいという、論調が一般的になりました。
中でも、小室直樹氏は、規制緩和、自由主義経済、公共投資を唱えました。
竹中平蔵氏は、銀行への公的資金、規制緩和、派遣労働者の拡大などに、大きな影響を与えたようです。
小泉純一郎首相は、郵政民営化を唱え実行しました。
これら、一連の流れを、新自由主義と言っても良いでしょう。
で、これらは、間違いが多かった。
政治の目的が、最大多数の最大幸福にあるなら、格差はあまりに拡大しすぎたと言っても良い。
経済学の古典派の命題は
1、経済は自由なのがベストである
というのが、あります。最適な資源配分が行われる、ということです。
また、2、自由主義経済では企業の利潤はゼロになる。という命題があります。
これを、見て、私は考えました。
この、2の命題の対偶を論理学で考えると。
自由主義でなければ、企業の利潤はゼロにならない。
つまり、独占は利潤を生むと読めます。
ということは、独占、規制というのは、経済にとって、必ずしも悪ではない。
大体、企業、会社が利益を上げていなければ、民間企業とは、全て倒産することになってしまいます。
ということは、郵政民営化というのは、残念ながら、あまり意味がなかった。
実際、新規企業が郵便事業に参入して、郵便料金が下がったとでもいうなら、多少意味があったかもしれないが、そういうこともなかったようです。
結局、安倍のミックスは正しかった、公共事業は正しかった。
このへんが、この30年の結論です。
結局、自由主義経済は正しいのですが、結果、著しく不平等になることがわかりました。
やはり、法人税、所得税に、累進課税をかけて、少しでも平等な社会にする方が、いいと思います。
竹中平蔵氏がベーシックインカムを提唱しているのは、評価できる。
やってみたいです。
この、経済学の古典は、そして命題「自由市議経済はベストである」は、実にしぶといイデオロギーで、死んでも、死んでも、不死鳥のように蘇ってくる。
結局、自由主義も社会主義も、いいところはあるのである。
やはり、何でもかんでも自由がいいというのは、現実には間違いであると言わざるおえない。
銀行への公的資金注入であるが、正しかったような、正しくなかったような・・
アメリカのように、不良銀行など潰してしまえば良かったのでは・・と思う
時もある。まあ、悲惨な話ではあるが・・・。
ただ、日本の場合は会社は一族、家族みたいな、共同体だから、潰せなかったのかなあ・・とも、思う。
まあ、難しい話だ・・・・・。
大体、「資本主義社会には倫理があり、他の社会には倫理がない」という、小室、大塚の命題や
マンデルの「個人の悪徳は、全体の美徳である」という、命題など、矛盾する考え方が、たくさんあります。
要するに、程度の問題です。
お釈迦様が、2500年前に唱えた、中道という考え方は、今も大切なのかもしれません。
自由主義経済の考えのもと、共同体である日本の企業を機能集団にしようとして大失敗。
人間は機械の部品ではないのです。
大体、株主を重視しようとしましたが、株主ってお金出すだけで、経営の何を知ってるんだ?
実際、どう考えても、企業とは、経営者と従業員のものと考えるのが、実態だと思う。
お前、会社の部品だから社長と株主のために働けって言われたって、誰が、他人の利益のために一生懸命働くんだ?
社員って、機械の部品みたいに扱われたら、誰も働かないよ。
当たり前じゃない?
結局、日本の企業って、一つ一つが、ファミリーなんだよ、共同体なんだよ。
共同体ということは、そこで生まれて、そこで死んでいく、生活の場所だということ。
みんなが、そうやって、まとまって働く。
結婚も、出産も、家建てるのも、車買うのもこの場所。
そういうとこ・・・。
社長の仕事は、社員の飲み会、忘年会、結婚式、葬式、新年会などに顔を出すこと・・。
そういうとこ・・・。
でもそうすると、やはり、優秀な社員を集めやすい大企業の共同体と中小企業の共同体では利益の出方に差が出てきてしまう。
そこで、累進課税の制度などを使って、格差を政府の力で是正しようという提案・・・・・・・・。
大体、日本の社会で、社員をクビにするなんてことを、口に出すこと自体、私は、殺人は正しいことだと思います、っていうぐらい、異様なことだ。
竹中平蔵さんは気が付かないのかな?
「聖母マリアを犯しても、免罪符を買えば許される」って言った、修道士が見られた目と同じだと思う。
おかしなこと言ってる・・・・・って、思ったほうがいいよ・・・・。