私の不幸な人生
私は、2歳の時に父親を亡くし、母は父の弟のとてもだらしない男と再婚しましたが、精神を病み私が8歳の時に不審死しました。
そのため大阪から鹿児島のド田舎の祖母に引き取られました。都会の最先端の暮らしから、電気しかない明治の暮らしに逆戻りです。
夏は農作業、冬は山仕事。畑の畝はクワで、山仕事は🌳を切ってマキを作ります。ガスが無いので料理もマキで作ります。
小学校から高校までアルバイトをし、小遣いを稼いでいました。幸い頭は良かったので、大学は大阪大学、公務員は国、県全て合格しました。しかし、祖母の頼みで役場に勤める事になりました。
その後祖母は自殺をし、養父が帰って来ました。私はこの養父から200万円の借金の肩代わりをしたり、警察の引取りに行ったりと散々迷惑をこうむりました。
私自身はて言うと、2回車に衝突されそれが元で当時未だ発見されていなかった病気にかかりま20年間寝たきりでなりました。医師からはたらい回しにされ、気のせいだから精神科に行けと言われ、最終的には宗教にも頼りました。家庭では嫁から看護疲れから毎日暴力を受け、結果的には逃げました。その後この病気が発見され福岡までいって治療を受け5年間のリハビリで障害者施設で働く事が出来ましたが、元嫁ガストかーして警察に接近禁止令を出してもらいました。57歳になってやっと一般企業に入り、クタクタになりながらも何とか務め60歳で敗血症にかかり1週間生死の境をさまよいました、8ヶ月入院氏、会社はクビになり、後遺症で働けなくなりました
私の人生不幸の連続でした。
でも、友人知人には恵まれ何かあると直ぐに飛んで来てくれます。