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ガールズバンドクライという令和の「The Great Rock'n'Roll Swindle」

井芹仁菜というキャラクターは、シド・ヴィシャスである
という視点を基に記事を書きます。

このアニメ自体はそこそこ面白い、くらいが個人的な感想。
バンドものだからと視聴しましたけど、楽曲は良いのにそれ以外が微妙かな。 テーマやメッセージが悪いとかではなく、音楽に対する愛を感じられなかったのが残念です。

まあいつも通り、それで終わりの筈だったんですけど、ふと目に入った絶賛レビューの一文が、私の地雷を思いっっっっきり踏み抜いてしまいました。

   「Rockそのもの」

ジョン・ライドンのように「Rockは死んだ」と嘆きたくなりましたが、その前にこのRockっぽいもの、名付けるとしたら『ナーロック』について、お気持ち表明したいと思います。

■シドみてぇな女

タイトルに入れさせてもらった
『The Great Rock'n'Roll Swindle』
は、Rock史に残る重要な映画の一つで、Sex Pistolsの活動を喜劇的に描いたドキュメンタリーです。
同バンドのベーシスト、シド・ヴィシャスが『My Way』を歌い上げた後、観客を銃で撃ち殺し去っていくシーンは、PUNKという概念の、一面を象徴するものでしょう。  

 ちょっとは後悔してるけど
 もう一度触れておくほどのことじゃない
 やんなきゃなんないことをやってきただけさ
 全部先は見えてたし
 俺の足跡が認められたのだって計画通りさ
 成功するように一歩ずつ慎重にやってきたぜ
 今よりも、もっと
 やりたいようにやってきたのさ

The Great Rock'n'Roll Swindle サウンドトラック
My Way より一部引用 
和訳:三宅和浩

仁菜というキャラも同じように、自分は間違ってないからと、自分のやり方を信じ、自分の選ぶ道を進んでいくことを決意して、アニメの幕は閉じました。
私はその姿に、シドを重ねて見ていたのです。
このアニメはRockを標榜してはいるけど、描かれているものの本質は、彼の生き様だな、と。


■PUNKとRockの話

とりまアニメの話をする前に、前提となる私のPUNK観から共有しておきます。

Sex Pistolsのドキュメンタリー映画はもう一つあって、2本セットで見ることで初めて、歴史的な名作になるって思ってます。それが『No Future』。
同バンドの『God Save The Queen』という楽曲で、繰り返されるフレーズですね。 この記事を書くにあたり、久しぶりに映画を2本とも見返しましたが、やはりとても面白かった。

『No Future』はSex Pistolsのメンバー本人らによる回顧録となっており、歴史として見ると正確なのはこちらの方。
特にシドが、恋人のナンシーと一緒にインタビューを受けているシーンは、何度見ても心にきます。
ドラッグにより、まともな受け答えが出来なくなった、空っぽな廃人。 このしばらく後、彼はナンシーを刺殺し、オーバードーズで『My Way』を終えることになります。
(彼らのストーリーが気になる方は映画『Sid And Nancy』を、ぜひご覧下さい。)

この2作を見比べることで、『The Great Rock'n'Roll Swindle』は、そしてPUNKムーブメントの一部には、商業主義によるマーケティング戦略が非常に強く影響している、ということが分かります。

「君が次のPistols」というオーディション、表題曲『The Great Rock'n'Roll Swindle』を、ジョニー・ロットン気取りで歌う若者たち。
現代から見ると、それは成功してしまった歴史でもあります。誰でも見た目を真似るだけで、PUNKは気取れてしまうのだから。

私は、PUNKには2つの面があると考えています。

一つはRockから派生した、若者の為に暴力性すらも表現として発露する、音楽に昇華してしまうもの。

もう一つが、楽器すら必要とせず、誰でも再現可能な、見た目に派手な暴力性で着飾るもの。

『No Future』の中でジョン・ライドンが、ファッションにしか興味無い奴らがPunkを駄目にした、的な話をしているのはここから来てるし、Rockが死んだと言った理由もこの延長線上にあります。
売れ線を狙っていく商業主義が問題なのではなくて、ファッション化することが本当の問題ということですね。
ちなみに60年代の問題は商業主義でしたが、それを克服した70年代以降のRockが直面した、新しい問題がこのファッション化、という歴史認識です。

その問題を浮き彫りとしたのは、同時代のSham69というバンドが、ライブで暴動ばかり起こす若者たちへ向け歌った、『If The Kids Are United』という名曲の存在です。
暴力がアイデンティティになってしまった大衆が、多数いたことから生まれた歪みが原因で、PUNKSとSkinheadsの対立として語られています。
しかしこのメッセージは届かず、涙と共にステージを後にしたのは、余りにも象徴的なエピソードでしょう。

以上が私のPUNK観で、今回の記事の前提の話となります。
一応補足しとくと、Rockに関しても、音楽表現として昇華させないものは、全てファッションだと考えているし、割と軽蔑してもいます。

「反骨」「自分を貫く」「鬱屈」etc.
確かにRockを構成する要素ではありますが、ほぼ全ての人類がそれらを持ってるでしょ。
Rockは音楽表現。
この事実だけは曲げられない。
でないと、反社でさえRockって言えちゃう。

私自身は音楽をやらないので、何があってもRockを気取ったりはしません。ただ、人生を救ってくれたRockに恥じない生き方をしたいってだけ。

■アニメの話


そろそろアニメの話を始めましょう。
ガールズバンドクライをRockだと主張するのなら、正直ファッションだと否定せざるを得ません。

なぜなら音楽としての表現が極端に薄いから。
仁菜のトゲトゲや音のオーラっぽいエフェクトに象徴されるように、目に見える形で描こうとしています。
ライブシーンですらカメラを激しく動かし、カット数も非常に多く、まるでPVを見ているかのよう。
それから楽曲への悩みも言葉で語るのみ、やってる感を出そうとしているけど、浅いとしか感じない。

このような演出でRockを描くので、中指立てたり蛍光灯振り回したりコップの中身浴びせかけたり、という見た目だけの言動がメインになってしまい、バズを狙っているようにしか見えません。

私が憧れているロックスターは、破天荒なエピソードを持っている人の方が少ない。変人エピソードはあるかも。
命を懸けて音楽で表現していると感じるから、私は心を動かされたので、やっぱり本質はそこにあります。

■心が動くと言うこと

8話はみんな感動したと言ってましたね。
でも私が見たかったのは、そのぐちゃぐちゃになった感情を、音楽表現へ昇華させることでした。
それを乗り越えたからこそ出来た音楽を聴きたい。
無いのなら、それはもう普通のドラマじゃん。
と思いながら視聴を続け、11話でついに披露されたのが、『空白とカタルシス』という曲。
良い曲だとは思いますけど、私の心には響きませんでした。

代わりに、この物語がRock'n'Roll Swindle(ロックの詐欺)だという考えが生まれてしまった。
コンテンツのプロモーションの為に動かされてたと感じた。
そしてそれは、あの時のシドの姿と、やっぱり重なってしまうのでした。

私が重ねた、シドの姿。
彼は同バンドのメンバーから、本物のアナーキストだったと評されています。
しかし詐欺師たちにより、PUNKの商業的なアイコンとして利用されてしまった。その死に様でさえも。
井芹仁菜がRockだという評はまだ納得できますが、このアニメ自体は、ただのプロモーション・アニメに過ぎない。

2期は『No Future』が良いな。

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