「場」の作品論
自主自立。自己実現。多様性。みんながみんな自分の幸せを追求する時代で、社会とかもっと抽象的なセカイに訴える作品に今日性はあるのだろうか。
陰キャの少年がハリウッドの映画監督デビューする作品や異世界の勇者とか悪役令嬢に転生して、チート能力で無双する作品は、自分の目標に向かって裸で突っ込む勇気はないけど、周りとは違って潜在能力があるはずだと理論武装するヲタクの感動ポルノになっているような気がした。現実が充実してないけど、フィクションでは主人公に自己投影してカッコいい自分になれるのは仮面ライダーとかのヒーロー戦隊ものでもそうだ。ただ、いわゆる「なろう系」統のキーワードはセルフコンプリートなのだ。いわば作品世界の食物連鎖的なパワーバランスを覆すイレギュラーな力を持っていて、結局誰も主人公に敵わない。味方もみんな主人公に心酔していて、序盤で敵だった今の味方達と疑似家族になっていく。
最近電脳世界とかバーチャールリアルとかがホットだからこそ、物語の基盤に文系的なフィクション空間を敷いて、そこを主役にした作品がもっと見たい。フィクション空間と主人公またはヒロインが不可分になるような世界観を味わいたい。視聴者をノックバックさせる力がこういう作品にはあると思う。