冬の向日葵(最終話)
「向日葵畑の空の上で」
*
病院に運ばれたポムが意識を取り戻したのは、その翌日だった。真樹は軽い打撲だけで済み、真樹を庇ったポムは頭を怪我したが、奇跡的に数針縫っただけで、脳波やCT検査なども異常が見られなかった。
何より真樹が驚いたのは、この2週間の入院で、ポムの睡眠が正常に戻ったことだ。このまま、普通の生活に戻れるのかは、まだわからないけれど。ポムはもう治ったと思っているみたいだ。
「ポムも、やっと眠り姫から卒業かなあ。真樹ちゃん、私ね、眠り姫のあいだはいつもパパとママの夢を見ていた気がするの」
「どんな夢?」
「パパとママはいつも綺麗なお花畑にいてね。それは青いネモフィラの丘だったり、風にそよいでる白やピンクやチョコレート色のコスモス畑だったり」
「そんな夢を見ていたのね。いいなあ」
と、真樹は頷いた。
「でもね、いつもふたりに言われるの。こっちへ来てはダメよって。ポムはポムのお花畑を、ちゃんと見つけるのよ、って」
「そっか。ポムも私も、きっと自分でお花畑を見つけないといけないのよね。それぞれのお花畑を」と、真樹が言うと、
「じゃあどっちが先に見つけるか競争する?」とポムは言ったが、ふと病室の入り口に人の気配を感じて振り向くと、なんと秀明と母の明子が、いつのまにかそこに立っていた。
「あ!」
ポムと真樹は、殆ど同時に声を上げた。
秀明はポムの事故を真樹から聞いて、毎日お見舞いに来てくれたが、明子が顔を見せたのは今日が初めてだった。
明子はふたりに近づいて、
「ゴメンなさい、真樹さん。あの日の夕方、二人が事故に遭ったって、秀明から聞いてて」と首を項垂れて、
「もっと早くにお見舞いに来るべきだったのに、私、勇気が無くて」と、真樹に詫びた。
「あなたがポムちゃんね。頭を怪我したの?」と、明子はポムのメッシュの帽子に手を掛けたそうにして、慌てて自分の手を引っ込めた。
「痛かったでしょう。本当にゴメンなさい。私、あの日、あなたのお姉さんに、とても酷いことを言ってしまったの」
と、明子は、その場で泣き崩れた。
すると、ポムはベッドの側にしゃがみ込んでしまった明子の頭をそっと撫でた。
「泣かないで、秀兄ちゃんのおばちゃん」
明子が驚いて顔を上げると、ポムは、
「大丈夫よ、ポムはもう元気だよ。明日には抜糸して退院だって、先生、言ってたし」
と、ニッコリした。
「真樹、本当?」と、秀明が聞く。
「うん、明日の午後には退院出来るって」
真樹も頷いて、微笑んだ。
「あ、そうだ。コレ、夏季限定のピーチタルトケーキ。朝から並んで買って来たんだ」
と、秀明はケーキの箱をポムに渡した。
「わあ、ありがと。朝から並んでたの?」
ポムはベッドのサイドテーブルにケーキの箱を置き「後で真樹ちゃんと食べるね」と言った。
秀明は、そんなポムを見て、
「これから夏休みの宿題、大変だね。わからないところがあれば、教えるよ。あと、どこか遊びに行きたいところとか、ある?」と聞いた。
「うん、秀兄ちゃん、また勉強教えてね。あとね、ポム、みんなで向日葵畑に行きたいの」
「毎年、パパとママと家族で行っていたんだけど、去年は初盆や何やかやで行けなかったの」
と、真樹は付け足した。
それに去年の今頃はまだ、ふたりの悲しみが大きすぎて、思い出の場所へ足を運ぶ気にさえなれなかった。
「いいよ、みんなで行こうか」
と、秀明は言った。
ポムは涙をハンカチで拭っている明子の顔を覗き込んで、聞いた。
「おばちゃんも、もちろん行くよね?」
「えっ、でも、私は」
と、困り顔の明子に真樹も笑顔で誘った。
「行きましょう。あそこのブルーベリーソフトクリーム、美味しいんですよ」
*
夏休みも、真っ盛り。
広大な敷地の向日葵畑は沢山の人で溢れ、カップルや家族連れが、みんな思い思いの場所でポーズを決め、写真を撮っている。
明子は真樹の水玉模様の日傘に半分入れてもらいながら、もう額に汗を光らせている。
向日葵たちは元気よく青空に向かって綺麗に咲いていたが、向日葵畑の地面は、暑さのためか乾燥して凸凹していて、明子は時々、転びそうになった。「大丈夫ですか」と真樹は優しく尋ねる。
秀明とポムの足は速くて、真樹と明子は置いてけぼりで、ふたりを見失った。
ふたりを見失ったかと思うと、時々、秀明とポムのシャツやショートパンツが向日葵の間から、見え隠れした。巨大な迷路の向日葵畑で、どこからか、秀明の声が響く。
「おーい、真樹!こっちで写真撮るよ!」
「はーい」と、真樹は白い水玉の日傘を高く持ち上げて、彼に合図する。
*
そんな真樹たちを、パパとママが空から眺めていることに、誰も気づいていない。
「みんな、楽しそうだな」
と、パパが目を細める。
「そうね、一時はどうなることかと思ったわ」と、ママが肩を竦めてみせる。
「あの子たちなら、きっと大丈夫だよ」
パパは大きな空から真樹たちを眺めている。
「そうね、きっと、大丈夫。でもね、パパ」
と、悪戯っぽい目で、ママが笑う。
「何だい?」
「私ね、もう一度だけ、食べてみたかったな。
ここのブルーベリーソフトクリーム!」
フフ、フ。
あは、は。
パパとママの笑い声が、空から降りてくる。
真樹の水玉の白い傘が、小さく小さく、空から見える。あれは、ママが差していた日傘。
パパからママへの最後のプレゼント。
真樹、ポム、秀明くん、明子さん、
みんな、どうか、どうか、幸せに。
来年また、向日葵畑で会いましょう。
それまで、どうか、お元気で。
(了)
*最後まで読んで頂きありがとうございました