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冬の向日葵(第11話)


「真樹が秀明の家を訪問した日」 

          *

 みんなで海へ行ってから二週間後、真希が会社帰りの電車をホームで待っていると、秀明からLINEが来た。
「今度の日曜、家に来て。母に紹介するから」
 ドキン、と胸が高鳴る真樹。
秀明と交際して、もうすぐ1年になる。
 あー、どうしよう。
 何を着ていったら、いいの?

 モスグリーンのフレアスカート。
 トップは白いカットソーがいいかな。
 手土産は、町いちばんと評判の、夏季限定のピーチタルトケーキがいいかも。


 真樹が秀明の家を初めて訪問する日、真樹はもう一度、ポムに尋ねた。
「ホントに今日は、お留守番でいいの?」
秀明が、こないだ、「ポムちゃんも、連れておいでよ」と言ってくれたのだ。
「うん、今日はお留守番でいいよ」
「へー、ポムでも遠慮するんだ」
「なに、それ?これでも、真樹ちゃんに気を使っているの」  


「じゃあ、今日は様子見ってことで」と、真樹は玄関でポムに手を振った。
「うん、行ってらっしゃい。ごゆっくり」
「なるべく早く帰るねー」と、真希はアパートのドアを閉めた。
 真樹は、途中でバス停を降りて、町いちばんと評判のケーキ屋さんへ行き、夏限定のピーチケーキを買いドライアイスを付けてもらった。
 今日はラッキーだな。
 いつもは、売り切れのことが多いのに。
 真樹はもう一度バスに乗り、秀明の家の最寄りのバス停で降りてそこから十分ほど歩いた。日傘を差しても、真夏の太陽は容赦なく真樹の身体をジリジリと照らしてくる。


 秀明の家は、長い坂道の上にある。振りかえると、ずっと向こうに真樹が半年だけ通った大学のキャンパスの時計台が見える。
 両親を突然亡くして、途絶えた夢。
 出来れば、私もママのように看護師になりたかった。秀明はいま、その夢に向かって頑張っている。最近は男性の看護師もだいぶ増えた。

 秀明の家に着いた時は、真樹の額にはもう汗が、薄ら滲んでいた。真樹がインターホンを鳴らすと、すぐに五十代くらいの女性が現れた。秀明の母、明子だった。 
「初めまして。あの、私、」と真樹が挨拶しかけると、明子はツンとした感じで背を向け、「どうぞ、お入りになって」と、先に家の中に入って行った。
 リビングのソファを勧められて、真樹は一旦荷物を置いた。秀明は小学生の時に、父親をガンで亡くしている。以来、明子は生命保険会社へ勤めて女手ひとつで秀明を育てたらしい。 


 真樹が改めてソファから立ちあがり、
「ご挨拶が遅れて、申し訳ありません」 
 と言った時、秀明がニ階から降りて来た。
「あ、真樹、来てたんだ。早かったね」
 秀明は「こちら杉原真樹さん。もう交際して一年くらいになるから、今日は母さんにも紹介しておこうと思って」と言いかけてから、
「あれ、ポムちゃんは?」と真樹に尋ねた。
「うん、今日はお留守番でいいって言っていたから」と答えてから真樹は明子に一礼して、自己紹介をした。
「あ、それからこれは、町いちばんと評判のケーキ屋さんのピーチタルトケーキです」
と、真樹は明子にケーキの箱を渡した。

「ありがとう。あなたのことは、秀明からいろいろと聞いております。いま、お茶を淹れますね」と、明子はキッチンの奥へ消えた。

「そんなに緊張しなくても、大丈夫だよ」
と、秀明は真樹の手を握って落ち着かせようとした。「うん、ありがとう」と言いながら、真樹はやっぱりドキドキしていた。
 だんだん胸の鼓動が速くなるのを感じる。

         *

 明子がお茶とケーキをトレイに乗せて運んできた。「ゴメンなさいね。うっかり、コーヒーを切らしていて。紅茶でよかったかしら」
「あ、はい。全然大丈夫です」
 どうぞ、と真樹に紅茶を勧める明子。真樹は紅茶にレモンを浮かべて、少しだけスティックシュガーを入れスプーンでかき混ぜる。


「ところで、真樹さんにはまだ小学生の妹さんがいるんですってね」
 いきなりポムのことを聞かれて、真樹は熱い紅茶で舌を火傷しそうになる。  
「あ、はい。まだ小学三年生の妹がいます」
 明子は、
「妹さん、病気なんですってね」 
 と、畳みかけるように言う。
「いえ、別に病気というわけでは」
「でも、いつも週の半分くらいは眠り続けているんでしょう。どこか悪いんじゃないの?」

「今までに2回くらいは、いろいろ検査してもらいましたが特に異常は見つからなくて」
「でも、その不思議な眠りは、もうだいぶ長く続いているんでしょ?」と明子は不審の目で真樹を見つめてくる。

 詰め寄ってくる明子に真樹は、だんだん言葉を失った。秀明が真樹を庇うように、
「母さん、今日初めて会ったばかりなのに、いきなりそんな話をしなくても」と言った。
「あら、でも、大事なことだわ。あなたが、もし、真樹さんとの将来を考えているなら、なおさらのことだわ」

 雲行きが、だんだん怪しくなり、真樹は目眩がしそうになる。

「妹さんのお名前は、何でしたっけ?」
「歩く夢、と書いてポムと読みます」
「そのポムさんの面倒を、あなたはいつまで看るつもりなの?」
「ちょっと、もうやめてよ、母さん!」 
秀明が思わず、ソファから立ち上がった。
 真樹は、何とか心を落ち着かせようと、紅茶のカップを手にしたが、震えてテーブルに落としてしまった。ガチャンと鈍い音がして、紅茶がテーブルに流れだす。横に置いてあったピーチタルトケーキは、もうビショ濡れ。
 もう、元には戻らない。
「ゴメンなさい、私ったら」  

 真樹が慌てて、バックからハンカチを取り出そうとすると、明子はそれを静止して、
「いいのよ、気にしないで」とニッコリした。
 テーブルを拭く明子に向かって真樹は一礼して、「あの、私帰ります。急用を思い出して」と、逃げるように玄関まで小走りした。
 それを見た秀明は真樹を追いかけ、
「ちょっと待ってよ、真樹!」と叫んだ。 

 来るんじゃなかった。
真樹の胸の中で、後悔だけがブラックホールのように渦巻いていた。


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#彼氏の母親


(冬の向日葵第12話へ続く)


         

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