「気の滅入らない」有木誠の癌闘病日記112「涙腺が緩む日々」

「喜びにつけ、悲しみにつけ、人は涙する」
と、言うけど、

このところ
瞼からよく液体が滲み出てくる。

特に悲しいからではない。
嬉しいからでもない。 

もうじき、命が途切れるのに嬉しいはず無いもんね。
でも、そうかと言って悲しいからでもないんだな、、

「喜びでも」「悲しみでも」その両方でもなくても、人は涙する事を、この歳で初めて知った。

私は今まで、殆ど涙を出した事が無かった。
一生分の涙を今、今、出してるような気がする。

別に、どうってこと無い思い出、
別に、どうってこと無い会話
別に、どうってこと無いドラマのセリフ

明るい午後のひと時、一人で、ベッドに横たわっていると、よく、そんな事がある。

「死への恐怖」とか
「死後の世界への不安」とか、
「人より早く死んでゆく事の理不尽さ」
とか、
「何故自分だけこんな目に・・」
とか行った、不満、悔しさ

そんな物は、一切ない。
生きた時間が長いかどうかは、感覚的というか、相対的というか、有ってないようなもんだ。
私はよく言うが、宇宙の歴史から見れば、誕生から死までは、一瞬の出来事。
一瞬に発生して、一瞬に消滅する。
生物の命

そして、やがてまた宇宙のチリとなる。
けっこうじゃないか。
そんなもんで、涙が出る訳ない。

何かに感動というか、心が動きされてるんだろうね。
それは、今は、上手く説明出来ない。

涙のハードルが低くなったのかな?
もう、恥も外聞も無い。
ましてや、自宅に一人でいると、誰も見てないし、誰にも気付かれない。

その、涙はとても爽やかで心地良い。
涙して幸せを感じる。

たぶん、・・・たぶん、・・・だけど、
人間がどんどん「純化」してるのではないだろうか?
本来人間はこんなに感動しやすいものなのかもしれない


それが、成長して「大人のレッテル」を貼られる度に、鈍感を装い、そして本当に鈍感になる。

私は今、どんどん「純」化して行っていっている。」

こんな幸せはない。
人生の最後に、こんな気持にさせてもらえるなんて、何処に感謝すればいいのだろう?
物心付いた頃より「神も仏もあるものか!」
というスタンスで生きていたので
、今更礼を言っても、神様も仏様も当惑されるに違いない。
 
ある人にこの話をしたら、
「自分に感謝しとけ!」
と言われた。

アハハ、そうしとくか・・・

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