(気の滅入らない)有木誠の癌闘病日記76「運不運幸不幸」

巷には「運気を揚げる」的な、本とかコメントが溢れている。

私は、こうしたものに心は動かない。
因果に基づく「運」は当然あるけど、
確率的な「運」は、あり得ない。

そもそも「因果に基づく」ものを「運」の範疇に入れるのは適切でない。

「確率的な運」は、少数サンプルだと結果が偏るが、サンプルを増やすと必ず、確率論の通りになるので、そこで「運の良し悪し」は生じない。

今回の私の病気に例に「運不運」を振り返ってみよう。

抗癌剤投与終了後、維持療法という事で、免疫チェックポイント阻害薬を使ってきたが、副作用で間質性肺炎になり、その薬を使えなくなった。
この薬は一般的抗癌剤と比べると副作用が少く、間質性肺炎の発症率は、5%以下らしい。

そう考えると、今まで私は宝くじにも当たった事がないのに、よくもまぁ、小さな確率を当てたものだ。

この時点では、「不運」と言わざるを得ない。

ところが、「運不運」は必ずしも「幸不幸」と、リンクしないところが面白い。

運が良くても不幸に感じる事もあるし、運が悪くても幸せに感じる事もあるかもしれない。

人の心でどう捉えるか、で変わってくる。
「運不運」は、人に主導権はないが、
「幸不幸」は、人に主導権がある。

そもそも私は「長く生きる」事を目標にしている訳でなく、「短くても幸せを感じで生きる」事を目標にしてあるので、治療薬が使えなくなるなった事は、大した問題ではない。
治療を止めたお陰で、体力は盛り返し、極めて爽快な毎日を過ごしている。

幼馴染の医者が
「治療を、休んで体力を回復するのも、大切な治療だよ」と、若干負け惜しみ的なコメントを、くれるが、ここは有り難く受け止めておこう(笑)

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