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もうじきこの世からいなくなるので、無能な俺の人生を振り返ってみた -前編-

大人になった俺は、色々なことに挑戦して、失敗し、人生がものすごくつまらないものになってしまった。
昔を思い出すといつも俺は泣いてしまう、あの頃の楽しかった過去に戻りたいといつも思っている。だが時間を戻すことはできない。進み続けるのだ。
俺は仕事を当日に辞め、無事ニートになった。今後俺が働くことはないし、貯金もじきになくなり、この世から消えると思われるので、せっかくだし、自分の人生を振り返りながら俺がどういう人間だったか、どういう生き方をしてきたのか、ここに書き記す。

1.誕生

俺は1999年5月17日に地元の病院で誕生する。この生まれた瞬間の自分に伝えてあげたい、「お前の人生はつまらなくなる」と。
最近流行りの言葉を使うが、親ガチャで例えると、SSSランクと評価する。
実家があるし、その実家を建てたのは父方のおじいちゃんなのだ。
両親は家のローンを支払う必要がなく、経済的に余裕があったと思う。
世間から見たら、とても恵まれている環境で育った自分。
そんな自分はなんと0歳で小児がんが発覚した。0歳でもうハードモードを歩んでいたのだ。俺は、大人になって怠惰な生活を送っている。楽しいことはないし、生まれて後悔している。だから0歳のときにがんで死んでおけば、今の辛い生活を送ることはなかったんじゃないかって思う。
だけど小児がんは完治してしまった。普通、喜ばしいことなのだが、俺からしたらこれは残念な出来事である。

2.保育園から小学生まで

年少で入園することになった俺。俺が覚えている限り、自分は泣き虫だった。泣いていた記憶しかない。友達はまあまあいたほうだ。というか母親がほかのママと仲良くしていたから、それで自然と友達ができていったのかもしれない。申し訳ないが保育園の記憶はこれしかなく、年中、年長の記憶はほぼ皆無に等しい。

そして2006年、俺は小学生になった。保育園で仲が良かった幼馴染とは、クラスがバラバラになり、また1から友達を作ることになった。
うーん、この頃の俺は結構性格が悪かったかも。男子の中で多人数のグループと、少人数のグループがあって、多人数グループは外でいつもサッカーをして遊んでいた、まあ陽キャグループ。で、少人数グループは校内で遊んだり、図書館に行って本を読んだり、陰キャグループと言ったらいいのかな。
自分はどっちに属していたのかというと、少人数グループだった。自分のクラスは運動神経がいいヤツが多く、自分自身は運動神経がものすごく悪いので、同じ特徴をもつヤツ同士で集まって遊んでた。
で、少人数グループを仕切ってたのは俺。だから少人数のグループのリーダーは実質俺だった。俺が「おにごっこで遊ぼう」と言って、嫌だというヤツがいたら、俺はすぐいじれて、そいつとはしばらく遊ばなかった。まあ、すぐ仲直りしたんだけど。なんて糞野郎なんだ自分。
そういう糞ムーブを繰り返し時が過ぎ、ついに3年生になった自分。

たぶんほとんどの学校は2年ごとにクラス替えがあると思うけど、自分の学校は2年ごとにクラス替えがあった。だから3年生になってクラス替えがあった。2回目のクラス替えはアタリだった。保育園の幼馴染が多かったから、幼馴染の友達とすぐに打ち解けることができた。このクラスは陽キャが多く、幼馴染は陽キャで俺は仲が良かったので幼なじみの友達に俺の事を紹介してもらい、打ち解けた。陰キャだった自分が陽キャの仲間入りをついに果たすことができたのだ。

ある日、リレー選手を決めるイベントがあって、俺はなんと、リレー選手になったのだ。クラスのみんなが意外に思ったはず。こんな陰キャが足早いなんてビックリしたことだろう。というのも、リレー選手になったヤツは給食を食べる前に走る練習をしなければならなかったのだ。だから皆よりも遅れて給食を食べることになっていた。クラスで一番早いヤツはそれが嫌で、わざと遅く走ったと聞いた。俺はそれを聞いてちょっとがっかりした。確かに実際そいつは学年で一番早かったからそれはマジだった。自分にも才能があると思っていたが、そんなことはなかった。そいつが手を抜いてなかったら、間違いなく、リレー選手になっていただろう。だが、その日から俺は徐々に人気者になり、陽キャの楽しみを知った。陽キャの支持を得ただけでなく、陰キャの支持を得る出来事もあった。

俺は小2の頃、パソコンに触れる機会があり、なつかしのハンゲームをやったりしていた。母親がよくハンゲームをプレイしていたので、俺はそれを見て自分もプレイしたくなって、のめりこんでいったのだ。そこからネットサーフィンをするようにもなった。懐かしいな。

母親がハンゲームでプレイしていたセイムパズル

ある時、授業でパソコンでタイピングの練習をすることになったのだが、俺はここの誰よりもパソコンを使い慣れていたので、当然タイピングは誰よりも速かった。それを見たみんなにチヤホヤされていた自分。小学校で一番楽しかったのはこのへんかな。そして小5になった自分。この辺りからネットやアニメにハマっていくのだった。クラス替えはというと、1,2年のクラスとあまり変わらない感じ。俺はまた陰キャグループに属することになった。だけどこの時は陰キャでよかった。ネットで話題になってることとか、アニメの話はめちゃくちゃ楽しかったし。で、俺は友達からニコニコ動画という動画サイトの存在を教えてもらったのだ。

ニコニコ動画 (当時のバージョンは原宿)

動画サイトといえばやっぱりYouTubeだろう。俺はYouTubeしか知らなかった。たまにYouTubeの動画に左からコメントが流れてたけど、あれってニコニコ動画からの転載だったんだということを知った。あのコメントが画面に流れる動画が好きだった俺は、お気に入りの動画サイトをYouTubeからニコニコ動画に移すことになった。まあ小5、小6の思い出はそれくらいかな。本当にネットしかなかった。そして小学校を卒業し、中学校にあがることになった。

3.中学校時代

正直、あまり中学校の思い出はいいものではない。思い出すのも嫌だ。でももうすぐ死ぬかもしれないから、中学校のことも頑張って思い出してみる。
中学1年になった俺。別の学校の奴らと出会うことになり、不安でいっぱいだった。部活も決めないといけない。どうしようと悩んでいた。でも時間が解決してくれた。友達はすぐにでき、その友達といっしょに部活見学に行って、卓球部に所属することになった。
部活はたいしておもしろい話はないので省く。

学校生活はどうだったのか、俺はなぜかモテていた。これはガチだ。俺が仲良くしている友達には姉がいたんだけど、中学3年生の先輩だ。見た目で言うと、ギャルっぽくて、顔はまあまあい良いほうではあった。そんなギャル姉に俺は気に入られていた。毎回、廊下ですれ違うたびにあいさつされて、俺もつかさず返事をしていた。俺から返事をすることもあった。だけど時間が経って、お互い話すこともなくなった。なぜかはわからない。

俺のモテ期はまだ終わらない。今度は女子バレー部に気に入られていた。これは本当によくわからないんだけど、俺は部活に向かう際に、女子バレー部のノートを踏んでしまい、焦っていた。その焦っていた様子を見て、なぜか女子バレー部の先輩に可愛がられることになったのだ。ちなみに女子バレー部の何人かは後に高校生活で部活にお世話になることになる。

同クラスの女子にも二人くらいには告白された。ガチだ。でも俺はすべて断っていた。なぜかって、そう、俺はアニメの女の子が大好き、ちょっと表現が古いけど、ヲタクになっていたのだ。小6の時にヲタクの友達にニコニコ動画を教えてもらって、そこからアニメはもちろんボカロにもハマっていた。現実の女の子よりアニメのほうがいいっていう考えになっていた俺は俺のことを真剣に好きになってくれた女の子には目もくれなかった。

死ぬほど聞いていた炉心融解


中2の時に俺はまた告白されて、その女の子は小4のときに仲良くなった子だった。その子も俺と同じヲタクでアニメ好きであった。しかも割とマイナーなアニメも知っていたし、ヲタク度で言えば俺の遥か上を行く。俺は告白をOKし、初めてカノジョができたのだ。
人生で始めてカノジョができた俺は、何から手をつけたらいいのか全く分からなかった。

とりあえず放課後、カノジョの自転車を俺が持ちながら、いっしょに帰宅していたかな。このとき思った、「なんで俺が彼女のチャリをもたなあかんねん。」と。なんか男性が彼女のチャリを持つ風潮あったよね。意味不明。
あるとき、彼女の友達から急にビンタされる事件が起きた。なぜかというと、俺は相変わらず、アニメにハマっており、現実の人間はどうでもよかった。彼女もその対象になっていて、彼女の変化など気にもしなかった。それを知った彼女の友達が俺にブチ切れて「なんで彼女の変化に気づかないのよ! なんでデートに誘わないんだよ!」と叱咤された。しかも周りに大勢の人がいる廊下の中央で。今思えば、その通りである。俺は最悪な奴だマジで。そんな彼女の友達にこっぴどく叱られた俺は彼女とデートに行くことにした。もうこの時点で俺は女性と付き合っては行けない男だと言うのが分かるだろう。普通の人ならデートなんてしたくてたまらないイベントであるはずが、俺は全くしたいと思わなかったのだ。

人生初デートを経験することになった俺。恥ずかしかった、女性とデートすることが俺はもう恥ずかしくてしょうがなかった。なんで恥ずかしいのか分からない。でもここで分かった、俺は女性が嫌いな人種なのかもしれない。(ホモではない)
最初のデートスポットはなんと、ブックオフである。なんでブックオフなのかって、漫画があるからだ! お互いアニメヲタクだったのでブックオフはこのカップルには最適だった。入って1時間ひたすら漫画を読み、会話を交わすことなく店を後にした。そして次はゲーセンに向かった。ゲーセンに入店してすぐ俺は彼女を置き去りにして太鼓の達人をプレイ。しかもその場に部活の後輩がいて後輩と太鼓の達人をプレイ。彼女もたまたま友達がいたので、このカップルは空中分解したのだった。こうして一日の半分も使わずにデートはあっけなく終了。

これを読んでいる。女性の皆さん、僕は死んでもおかしくない奴でしょう。
こういうことしたから今天罰が下って、こんな状態になってるのかも。

中3になって、もはや付き合ってるとは呼べない状態になっていた俺らは、結局、破局することになった。彼女から別れを告げられることになってしまった。
そりゃそうだ。彼女だって普通のカップルのように付き合いたかったのに、相手が俺というゴミだったがゆえ、まともなカップル生活を送ることができなかったのだ。

ここで謝罪させてほしい。たぶん当時付き合ってくれた彼女はこんなnoteを
見ることは今後ないかもしれないけど、「本当にごめんなさい。」
俺のモテ期はここで途切れ、それと同時にここから現在まで誰とも付き合うことはなくなるのだった。当然だ。

なんか女性関連の話ばかりになっていて、学校生活の話題から逸れていた。
あまり思い出したくないけど、中学生活で一番つまらなかったのは、中学3年生のときだ。体育系ばかりの奴らが多く、運動神経が絶望的だった俺にとってこのクラスは地獄そのものだった。体育の時間はマジで辛かった。俺がミスしまくったせいで男子の大半から反感を買うことになったのだ。マジでよく生き抜いたよ。メンタルの強さには脱帽した。もちろんこいつらは陽キャなので、俺なんかが相手にされるはずがなかった。だが、中2の時に仲良くなった奴とクラスが同じでそいつとずっと絡んでいたので、ぼっちになることはなかった。

クラスの女子との関係はというと、そこまで悪くはなかったけど、良いといえば、そんなに良くなかった。まあ普通って感じ。
そんな地獄のクラスのなかである日、理科の授業があって、男子2:女子2の席決めをすることになった。席が決まって俺は唯一クラスで絡んでたやつと奇跡的に同じ席になった。これはラッキーだった。女子は中2のときに絡んでたやつと、完全に絡んだことのない女子。現在この4人は、大人になった今でも仲良くやらせてもらっているのだ。つまらなかった学校生活も理科の時だけは楽しかった。話過ぎて先生に叱られることもよくあったけど。
地獄だった学校生活に少し光が差し込んだようだった。

いろいろあったけど、義務教育を終えた。不登校にならなくてよかった。
卒業式のあと、打ち上げがあったらしいが、俺は当然不参加。二度とあのクラスに関わりたくなかったのだ。

3.高校生活

時は2015年、俺が生きてる中で一番楽しいと思えた時期、それが高校生活である。
とってもバカだった俺は塾に通って、一生懸命勉強して、なんとか高校受験に合格し、入学することができた。俺の高校は商業高校で女子の割合が男子よりも多かった。男からしたら楽園のようなところだろう、しかも高校生だし、なにもおきないはずが、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

なにもおきなかったのだ。先ほど先述した通り、中3のとき彼女と別れてから、今現在まで恋愛することはなくなった。だから高校時代は恋愛はなかったのだ。でも俺は初めて、アニメじゃなくて、ちゃんと現実の女性を好きになることになった。その話は後にしよう。
もう昔からの友達はほぼいないも同然、知らない奴ばかりだった。1年の最初ってすごく不安、友達ができるか心配していた。だいたい5,6月辺りになると、徐々にグループができていって、7月になるともう、完全につるむ相手が決まる。俺はしばらく、高校になって買ってもらったスマホとにらめっこをしていたのだ。

5月の頭、俺が弁当を食べながら、スマホをいじっていたら、「一緒に飯食べないか?」と誘われて、ぼっちは回避。このとき、どれほど嬉しかったか。話しかけてきてくれたヤツと、もう一人背の高いヤツと俺は仲良くなり、しばらくはその3人で高校生活を満喫していた。
9月に高校最大のイベント、文化祭があり、そこで高校の演劇で役をきめることになった。なんの演劇をやったかというと、マリオブラザーズだ。
確かこの↓の動画を丸パクリした覚えがある。

で、役を決めることになり、俺はピーチ姫をやらされることになった。みんなからのご指名である。なぜ俺がピーチの役に指名されたのか。俺は体が華奢で細く、体毛も全く生えていない、ピーチが男だったら面白いなどという理由で俺が選ばれたのだ。俺は嫌だった、なんで女装しなきゃいけないんだと、割とガチで嫌だった。知らない先輩の前で醜態をさらすことになるなんて、いじめられるなどという被害妄想をしていた。

文化祭当日、ついに俺のクラスの出番になり、マリオの演劇は始まった。俺は緊張していた。早く終われ早く終われと思いながら、ついに俺がみんなの前でみすぼらしいピーチ姫の姿を晒すことになる。俺は姿を晒し、必死で演じた。そしたら皆が爆笑していた。スベるよりはましだった。
緊張は一気に解けて、俺は全力でピーチ姫になりきった。楽しかった。
これを機に俺はクラスで一番の人気者になった。陽キャとか陰キャとか関係ない、俺はトップになったのだ。
何が良かったかって、俺の天敵である体育で俺がミスっても中学の時みたいにブチ切れられることがなくなったのだ。仲がいいから多少ミスをしても笑いで済まされていた。怒られる恐怖感がなくなり、俺は思いっきり、体育の授業に打ち込んだ。苦手だと思っていた体育が好きになりつつあったのだ。まあたまにキレられた時もあったけど。中学ほどではない。
女子からの人気もあり、めちゃくちゃ話しかけれたのはよく覚えている。
そういうこともあって俺はアニメヲタクを卒業し、現実の女性を好きになるように努力した。

俺のクラスには3年間、高校の文化祭のイベントにあるミスコンにずっとトップをはっていた女子がいる。俺はその子に一目惚れだった。その子は
クラスではおとなしくて、いつもK-POPの動画を見ていた。その子はBTSのファンであり、俺はなんとか
その子に振り向いてもらえるようにBTSの音楽を流した。今考えれば、その頃のBTSはまだ今のように世界的スーパースターではなかったから、2015年からのファンだったと考えれば、その子は先見の明があるのではないかと思う。
ちなみに推しはジョングクだった模様。

2015年のBTS

俺はBTSの曲である「피 땀 눈물 (Blood Sweat & Tears)'」を流し、彼女は即座に反応した。ここから俺と彼女はちょくちょくお互いの好きなK-POPアイドルの曲をかけ合うようになっていた。

彼女にもっと反応してもらえるように、適当にK-POPアイドルを探し、BLACKPINKというアイドルグループを推してみることにした。
BLACKPINKは2016年デビューの女性アイドルグループで、現在はあまりグループ活動を行っていないが、BTSと並ぶ世界的アイドルグループだった。こう思うと、デビューから推していた俺も先見の明があるのではと思う。

BLACKPINK

彼女にBLACKPINKヲタだと告げると、彼女は頻繁に俺に話けてくれるようになった。この話は2016年、高校2年生のときで、その頃はTWICEが日本で流行っていたのを思い出す。TWICEなら誰でも知ってるし、俺は敢えてマイナーなK-POPアイドルグループの名前を口にし、さらに彼女との距離を近づけていったのだ。

仲は良くなったものの、それ以上の進展はなく、最後に話したのは教習所だったかな。そこから8年間彼女とは何もない。連絡先の交換もしてない。ここまでいったなら
それくらいしろよと当時の俺に言いたい。だが俺にはそんな勇気がなかった。フラれることがダサいと思っていた。俺は8年経った今でも彼女が好きである。つまり8年間片思いの状態だ。もはや彼女のために恋愛をしないまである。あの時、告白してれば、こんな未練たらたらになるくらいなら、
フラれたほうがマシである。そのほうが諦めがつく。

彼女は現在、都市部で働いており、もう手の届かない世界で暮らしている。
幸い彼氏はいないようだが、もし彼氏ができたら、きっと俺は死んでいる。
まあ、あんな美人なのでできてもおかしくないし、全力で応援するが。

高校三年生の頃は、もはや彼女に会うために高校に通ったまである。彼女の存在が、俺を高校に通よわせるモチベーションとなっていたのだ。実際、彼女に会えると思うと楽しかった。思い出すだけで泣ける。

こう見ると高校生活は中学時代と比べて非常に安定していた。今でも高校時代の友達と会いたいと思っている。コロナがなかったら、同窓会できたのに…。

さて続いては部活の話をしようか。俺の高校は必ず部活に入部しなければならないということで、俺は弓道部に入部した。弓道部の先輩に中学のときの女子バレー部の先輩がいたから、すぐに馴染めた。

1年のときは部活は厳しいというわけはなく、緩かったので、あまり真剣に取り組んだ覚えはなかった。とりあえず3年間やっていければいいくらいの感覚で部活をしていた。だが、2年になり、顧問が変わって、部活の緩い雰囲気から厳格な雰囲気と変わってしてしまったのだ。今までのやり方が全て変わってしまい、従来のやり方でやっていく派新しいやり方でやっていく派で別れたのだ。どっちが多かったのかというと、新しいやり方派のほうが圧倒的に多かったのだ。13人(同じ学年)のうち10人が新しい派で俺を含む3人が従来派だった。今まで先輩に教えてもらったやり方を変えるのは嫌だし、もしこれで弓道が下手になったらどうするんだと意見もした。だが時間が経ち、結局、俺ら3人も新しいやり方で受け入れてくことにしたのだ。だけれど、1年間のクセを変えていくのはやはり難しかった。新しいやり方を取り入れるうえでこのクセを取り除くことは容易ではなかった。一時期、弓道の的に矢が当たることが全くなくて、辞めようと思ったが、俺は耐えたのだ。

1年で一番大きな大会があり、勝てば県大会に出場することができるという、部活の目標である「県大会に出場」が、この大会にはあったのだ。
結果は、俺のチームは県大会に出場することができた。俺は嬉しかった。
行けるとは思っていなかった、県大会で出場できるなんて。目標がこれだったので、気が緩み、県大会では無事敗北。でもいいんだ、目標は達成できた。いままで部活をやってきて一番嬉しかった出来事である。

俺はもう県大会に出場できただけで満足だったのか、それ以降は練習に全く身が入らなくなっていた。3年になって俺は誰でもわかるようなしょうもない嘘をついて、部活をサボっていた。顧問に伝えて、部活辞めます宣言をして、もう少しで部活引退というところで部活を辞めた。当時の俺は部活を3年間もやることは無駄と思っていた。ガチでうまいというわけでもない、それほど大きな大会に行くわけでもない。けれども、1からやってここまで成長できた、目標も達成できた、これだけでも価値のある3年間だったと言えるだろう。

高校の思い出はこれくらいだ。
無事高校を卒業し、高卒という社会で通用する経歴を得た俺。そして俺は東京に上京し、専門学校に通うことになった。

前編はここまでにしておこう。なぜなら俺の人生のターニングポイントは次の専門学校であるからだ。後編では全く楽しい話題がなく、俺が人生に没落することになる。こんなに自分が落ちぶれるなんて思いをしなかった。ああ、記事にしたくない、学生時代の楽しい思い出に浸ったのに、一気に現実に戻される。これ程辛いことがあるか。これも思い出のひとつ、ということで皆さんここまで読んでくれてありがとう。俺はニートだし時間もあるのですぐに後編は書き終わると思う。楽しみに待っていてくれ。



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