日記「店員に対する態度」
七月六日(木)
「ありがとうございます」と言った時自分の口から出てきた声の愛想の良さに自分で苦笑してしまった。どうやら私は自分で考えている以上に外面がいいようだ。
マクドナルドで瀬戸内レモンフロートを注文すると店員が丁寧な口調でいくつかの業務質問をしてきたのでこちらも丁寧に返事を返した。応答を終えると店員は「ありがとうございます」と愛想良く言った。なのでこちらも愛想良く「ありがとうございます」と返したのだ。
上に書いたのは多少の気遣いは感じられるもののごく一般的なやり取りの範疇だろう。なので殊更自分の態度が優れていると主張しようとは思わない。が、その後私の後ろに並んでいた数人の注文時の受け答えを見守ってみたところ私のように愛想良く振る舞っている者は一人もいないことに気づいた。多くの人は聞かれたことに返事はするのだが、視線をカウンターに置かれたメニュー表や地面のタイルに落としながら店員からは注意を逸らしていたのだ。まるでそうすることがマナーであるかのように人々はそうしていた。当然店員の方もそのことになにも感じていないようだった。一応言っておくと私はこの客たちの態度を責めたいわけではない。ただ自分の態度や他の客の態度、また店員の態度からなにか発見がありそうだと思ったまでだ。
その後席についてからもしばらくなんとはなしにカウンターの方を見守っていると、歳を召した女性の注文する順番が回ってきた。自分の席からは声までは聞こえないがその人は多分メニュー表に指を差した後注文を述べた。そして店員に向かって何度かペコペコとお辞儀をして商品を受け取るスペースへと歩いていった。この一連のやりとりからは今までの客との間とは違った人間対人間の応対を感じることができた。この二人は今互いに相手のことをちゃんと人間として意識していたのではないかと思った。
自分がスーパーでバイトをしていた時、店員である自分を人間扱いしてきた手合いもだいたいが歳をめした女性だった。「新人さん?」と意味もなく尋ねてくる髪の毛の白い女性は、私にとって嬉しくもあり面倒でもある存在だった。「あれはもうないのか」「これの入荷はまだか」と聞いてくるのが手間だと思うときもあれば仕事こなす機械であるはずの自分に対する人間扱いに尊厳を回復して貰えたような気がした時もあった。
ここまで書いみて店員を店員という非人間的な装置とみなすことに私は抵抗を感じているのだと判った。しかし店員側としては人間扱いされるのが煩わしいときもある。それでも店員を人間扱いしたいと思うのはなにも相手の為を想ってのことではないらしい。では私はなんの為にそのような小さな抵抗を試みていたのだろう。
余談だが瀬戸内レモンフロートは酸味が強く美味しかった。