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憤怒の昇華

PEOPLE1が新曲「idiot」をリリースした。
今までと明らかに違う作風、Deuさんが言った自分でも満足出来る楽曲の意味、PEOPLE1が次のステージに移行してるのでは無いかという噂、意図的なMV、全て引っ括めて拙い自分の言葉で語れるだけ語ってみたい。

1.歌詞に滲むみじめさ

Deuさんはかねがね自分が歌う時は、自分が感じてきた孤独や寂しさについて語るつもりだと言っていた。113号室では、
「僕に人生というものがあるならば 余計にこの世は残酷だな」だとか「とびっきりのメロディーも 気の利いた言い回しも なんにもない僕はどうしたらいいんだろう」のような孤独のみじめさたっぷりの歌詞を残してきた。
今回の「idiot」では、
「孤独が僕の商売道具で」
「ひとりっきりアベンジャーズ」
など気の利いた言い回しで自ら歌い上げている。まさにDeuさん自身の大テーマである孤独を久しぶりに扱った楽曲である事は間違いないと思われる。自分でも満足出来たと言う発言から、言わば今までの孤独について書いた楽曲は試作品で、この「idiot」こそがDeuさんが正規品だと認めれた作品なのかもしれない。

2.第3章の始まり

まずはこのDeuさんのツイートとストーリーを見て欲しい。

(上)Deuさんのストーリー
(下)Deuさんの呟き

PEOPLE1の活動を章ごとに分けていている事は意図的で、その始まりは狼煙をあげがちだと本人も認めているのだ。アルバムもその章を引っ括めてまとめる形で出ていて、『星巡り、君に金星』で第二章は完結しているのだ。そして章の始まりの曲として挙げられるこの3曲だが、今回の「idiot」にはItoさんがボーカルとして参加していない。ストーリーに書かれている通り、Deuさんの思考の原点にある怒りが主軸となる「idiot」は3曲の比較に置いてもやはり特殊である。そこに第3章のテーマがあるのだろう。

3.大衆の怒りを代弁する苦痛

第3章のテーマ、それは負の感情の代弁だ。
大衆音楽がバンドの命題として、今Deuさんの思考の原点にある世の中の怒りや不満を芸術へ、楽曲へと昇華しようとする試みこそ、この「idiot」と言う曲であり第3章の目的では無いだろうか?そう私は考えている。その理由の一つはもちろん今回の歌詞だ。

イディオット、馬鹿げてる
あれもこれも全部 全部 全部 全部
くだらない くだらない 笑えないや 笑えないや

まさに怒り、呆れ、不満、軽蔑だのこのご時世に蔓延る負の感情をありのままに書いている。それを人々に言わせない。俺が歌い上げてやるから無駄に人を傷つける言葉を発するのはよしなと言ってるように思える。もちろんそれだけが理由では無い。最近の呟きだが、Deuさんが米津玄師の「がらくた」に感動した事を述べていた。

「がらくた」の嫌いと言い切る歌詞を簡単に書けないと言うところからも、Deuさんの優しさが垣間見える。だが、書かないといけないと彼は考えているのだろう。大衆の憤怒の感情を音楽に還元するには”嫌い”という言葉は避けては通れない。きっと彼は次の曲くらいで嫌いを歌詞に用いると私は予想する。それだけの覚悟はあるはずだ。Deuさんの作りたい音楽からどんどん離れていく、でも大衆の為に、代弁したいメッセージの為に尽くす第3章。この文章の一番上にあるサムネイルに見覚えは無いだろうか?Xでも噂されていたが、「アイワナビーフリー」のMVと同じ様に、Deuさんが感じで歩いている。しかし「アイワナビーフリー」とは違う方向へ向かっている。まるで自由から遠ざかるように。皮肉な事に、PEOPLE1のロゴも左向きなものでバンド自体が方向を変えたように解釈出来てしまう。言いたくない事、余計な事、負の感情に包まれた音楽。でもこの世に蔓延る愚痴や不満を代弁し、誰かが言おうとしてた罵詈雑言の一つでも音楽の波がさらってくれたら。共感してもらい、聴き入ってくれてる内に一つや二つ悩みでも忘れてくれたら。そんな誰かの救いとなるダークヒーローのような楽曲制作を彼らはしようとしている。そこに伴う苦痛も受け入れる覚悟で。PEOPLE1の活動を見ていると本当にDeuさんは命をすり減らしながら詞を書いている気がする。その命が燃え尽きた時、例えそれが完走した先でないとしても、PEOPLE1は活動を終える事だろう。そんな危険と隣り合わせだからこそ生まれる傑作達を私達はもっと愛でていきたい。

4.終われないから生き急ぐ

まずこの歌詞を見てもらいたい。

きっと誰もがこんな感じで
終われないまま 終わっていく
クライマックスだけ やけにドラマチックに

コメント欄でも特に良い歌詞だと言われていた箇所だが、どうしてもNEEのくぅの事がよぎる。ギターリフに「一揆」のサンプリングが入ってるのでは?という噂からも意図した歌詞に思える。「終われないまま終わっていく」。それでも何か残したい一心で音楽を書き続けるDeuさん。最近のXではこんな事をファンに聞いていた。

これほど今を大切にして、何かあった時に少しでも形として生きた証を残したいという考えが丸わかりな行動なんてあるものだろうか?
明らかに影響を受けている。かの親友の死に。そして生き急いでいる。何かを残そうと。
私にはそう思えるのだ。第3章の開幕は予定通りだったはずだが、ロッキンやらでトリにこの曲を持ってきたり、ライブ回数は来年は少なめになる事を公言していたり、この曲の哀愁漂うがむしゃらさな歌い方であったり、俺はそこはかとなく生き急いでいるなと感じた。これ以上は説明出来ない。でも彼らが何かを残そうと必死な事はファンなら分かるのではないだろうか。

5.安心感のカンフル剤

最後に「idiot」から離れて「113号室」、「高円寺にて」について少し話して終えよう。
第3段落でDeuさんの歌詞制作は命をすり減らしている気がすると述べた。がむしゃらさ、負の感情を歌う歌詞、変容の度合いからそう推測しているが全てが全てそうでは無い。そう思うのはこの2曲からだ。「113号室」は本人の説明曰く、インディーズで作りたい音楽だけを作っていた楽しい日々とは別れを告げて、そろそろ本格的に売れるための音楽も作らないといけない。そのための決意の歌だと。言わば、インディーズ時代を思い出す為の協だ。対して「高円寺にて」はまさにDeuさんの青春、自分が暮らしてきた街を思い出と共に書きなぐった歌だ。この2曲のどちらにも懐古という人間が持つ最強のカンフル剤の効果が彼らに持たされるように思える。それが今まで出たアルバムに一曲づつある。つまり言いたいのはDeuさんは目的達成の為の辛い音楽活動の中でも安心感に浸るための楽曲制作を忘れていないって事。本目的とは違うかもしれないが、そうやって立ち止まる楽曲も持ち合わせているのがPEOPLE1の大きな特徴だ。先ほど燃え尽きた時にPEOPLE1の活動は終わってしまうと言ったが、これらのカンフル剤的な曲が作り続けられる限り、彼らが燃え尽きる事は無いと信じれる。彼ら自身の為の歌がある以上、彼らは歌い続けるだろう。

補足としてDeuさんが作詞活動が辛いと思っていると言ったような内容を述べたが、そんな事は決して無い。彼らの一番の売りはは楽しめる音楽作りだ。ただ、第3章のテーマとされる憤怒を楽しめる音楽に昇華させる過程は一筋縄ではいかなそうだと思っているだけです。
そしてこの考察自体、主観的な妄想で邪推である事をお忘れなく、以上。


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