ナリタトップロードメリバ怪文書

ナリタトップロードと駆け抜けた3年間。それは、彼女を好きになるにはあまりにも十分過ぎる時間だった。
事実、担当ウマ娘と恋仲になるトレーナーは多い。以前はそのような話に眉を顰めていたが、いつからかそのような展開を期待している自分に気が付いた。
ナリタトップロードがターフを駆ける。自分より後の世代が活躍し始めてからも、彼女の勢いは衰えずにいた。
見事一着でゴールインしたトップロードが、笑顔で俺の元に駆け寄る。よくやったな、と言うと、彼女は屈託のない笑みで頷いた。
ウイニングライブを終え、二人で帰り道の電車に乗る。席に座ったトップロードは、ポケットからスマホを取り出してこう言った。
「先生にも報告しなきゃですね」
嬉しそうに呟く彼女の表情を見て、胸がズキンと痛んだ。先生の事を話す時に見せる、慈しむような笑み。それは、他のウマ娘や──トレーナーである俺には、見せない顔だ。
3年目のクリスマスのことを思い出す。私達はプレゼントを送り合う仲じゃない、という言葉に、幾許かの失望を抱いたことは、彼女に言えないままだった。
「きっと喜んでくれるさ」
嫉妬に似た気持ちと、その気持ちを抱く事への罪悪感を噛み殺しながら、俺は相槌を打った。

ある日、ナリタトップロードから休日に出掛けないかと誘われた。
なんでも先生への感謝を込めて、プレゼントを贈りたいらしい。だが、何を贈れば喜ばれるかわからないから、一緒に選んで欲しいと。
焦りとも怒りとも言えぬ気持ちを腹の中で宥めながら、首を縦に振る。トップロードは安堵の表情を浮かべながら「よかった」と呟いた。
ショッピングモールに着き、ぶらぶらと商品を眺める。洒落た洋菓子の詰め合わせを見ながら、彼女は「こういうのじゃありきたりですよね」と呟く。
「折角なら、形に残るもののほうが良いんじゃないか?」
「うーん、私もそう思うんですけど、男の人が貰って嬉しいものってわからなくて」
男の人。そうか、男の人、か。
「靴とか、いいんじゃないか」
抑えようと思っても、何処となくいじけ気味に返してしまう。自分の発言の素っ気なさにハッとして、取り繕うように続けた。
「ほら、レースに出てる立場として、靴選びは得意だろ?ウマ娘用の靴と人間用の靴じゃ、勝手は違うかもだけどさ」
「靴……ですか。そうですね、選んでみます!」
こちらの態度を気取られなかったことに胸を撫で下ろす。そうして、二人で靴屋の方へと歩いていった。
いざ靴屋に到着し、店の中に入ろうとすると、ナリタトップロードが店先で立ち止まった。
「どうした?」
「えっと、あのー……」
もじもじとする彼女を、怪訝な顔で見つめる。すると、トップロードは少し照れるようにして、おずおずとこう言った。
「何を選ぶか見られてると、少し恥ずかしいので……店の外で待っててもらってもいいでしょうか……?」
きゅっと胸が締め付けられた。あぁ、わかった。そう言って店先のベンチに座ると、彼女は礼を言ってそそくさと店内へと入っていった。
目眩のような感覚に苛まれながら、彼女の帰りを待つ。その時間は、とても長く感じた。
ほどなくして、ナリタトップロードが戻ってきた。手には水色の紙袋を、大切そうに抱えながら。
「いいの、選べたか?」
振り絞るように声を掛ける。はいっ、と、明るくて幸せそうな声が返ってくる。
「喜んでもらえるかな……」
少し照れくさそうに、そしてとても嬉しそうにそう呟く彼女を前にして、溢れた思いが口を突いて出た。
「そんなに先生のことが好きか?」
ナリタトップロードが、驚いた顔でこちらを見る。何を言ってるかわからない、とでも言いたそうなその表情をみて、俺はもう、自分を止めることができなかった。
正直、何をどう言ったのかは覚えていない。ただ、驚いた顔のナリタトップロードが、次第に泣きそうな顔になっていくのだけが、灼き付くようだった。
我に帰り、口を噤む。「いや、違うんだ」と、弁明と保身で口から出た言葉は、自分でもびっくりするほど震えていた。
「あの……私、そんなつもりじゃなくて」
トップロードの声も震えている。日頃から明るく振る舞う彼女からは、想像もできないほど弱々しい声だった。
「……ごめん」
辛うじて言えた一言。その一言だけを残して、俺は逃げ出した。彼女を置いて、踵を返した。一度だけ、彼女が俺を呼ぶ声がしたが、彼女は追ってはこなかった。

その後、俺はトレーナーを辞めた。彼女とまともに顔を合わせることもなく、逃げるようにトレセン学園を去り、誰にも知られず地元に帰った。バツが悪くて、先生にも連絡は取れなかった。
ナリタトップロードにはあの後、新しいトレーナーがついたという。だが、あの日以降、レースでの戦績は目に見えて落ち込んでいた。時代の変遷による強豪の失墜だと、ファンは嘆いた。違う。俺が壊したのだ。ナリタトップロードの未来を、俺が奪ったのだ。

あれから数年が経った。片田舎での新しい仕事にも慣れたある日、俺宛に小さな荷物が届いた。送り主の名は──ナリタトップロード。
心臓が跳ねるのがわかった。逸る気持ちとは裏腹に、鉛のように重い腕で、ゆっくりと封を開けた。
中には、一通の手紙と──見覚えのある、水色の紙袋が入っていた。まさか、あの日彼女が選んでいたのは──。
震える手で、手紙を開いた。

『トレーナーさんへ。
いきなりの連絡でごめんなさい。人伝に、トレーナーさんの居場所を聞いたので、伝えられなかったことと、渡せなかったものを、届けます。
あの日、トレーナーさんを怒らせてしまって、ごめんなさい。本当は、トレーナーさんに直接、欲しいものを聞こうと思ったんです。でも、きっとトレーナーさんは、私からのプレゼントなんて要らないと言うと思ったから。それに、面と向かって聞くのは、少し恥ずかしかったから。
だから私、嘘をついてしまいました。
傷付けてしまって、ごめんなさい。
トレーナーさんが何も言わずに去ってしまったのを、本当はちょっと恨めしく思ったりもしました。でも、何処にでもいる普通のウマ娘である私にとって、トレーナーさんの存在は、神様がくれたプレゼントだと思ったから。恨むんじゃなくて、あの3年間を一緒に過ごせた事を、感謝しようって思いました。
私と共に走ってくれて、ありがとうございました。
来月、私、結婚するんです。お相手は、デビュー当時からファンでいてくれた方です。トレーナーさんとの3年間がなかったら、この人とも出会えなかったと思うんです。だから、トレーナーさんは今でも、私にとって大切な存在です。
今更こんな事を言われても、困りますよね。ごめんなさい。あの時に想いを伝えられなかったのは、幼かった私の未熟さです。そして今、この思いを貴方に伝えるのは、大人になりきれていない私のワガママです。
私は、貴方のことが、好きでした。』

丁寧な楷書体で書かれた手紙は、最後の一文だけが震えていた。

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