課題研究(探究)は「熱量」が全て。
明日は、新宿の方に出張なので、出張が終わったら大学院時代の友人と飲みにいきます。とても楽しみ。
職場だけの交友関係に縛られず、学生時代の友人や異なる業界の人を訪れることも大事にしたいなぁと思います。
表題の件。探究学習は「生徒の熱量が全てである」と正直思ってしまいます。
教員がどんなに研究手法を指導がうまく行っても、どれだけ教員が探究学習のノウハウを持っていても、結局は生徒が「本当に気になってどうしようもない!自分で調査して確かめたい!」という感情に駆られない限り、弾力的な指導は続かないと思います。
ここまでネガティブな感情に包まれているのは、今日、自分の担当生徒からのインタビューを依頼された先生に、インタビューどうでしたか?と尋ねたときに、
「いやぁー、ちょっとなんかあの、あんまりでした。インタビュー中もメモをとってなかったり、、、。まぁ録音してるからメモいらないのかもしれないですけど、、、。事前に考えていた質問項目を聞かれるだけで、正直、事前に用意していた質問に答えるだけなら、別にわざわざインタビューじゃなくてもいいじゃないですか。まぁでもこれは先生の指導がどうっていうことではなくて、課題研究の難しいところですかねぇ。」
みたいな話をしました。
そのインタビューをした生徒とは一緒に問いを考えたつもりではいたのですが、やはり当人が本当に何を聞きたいのか、どんな話を分析していきたいのか、というのがどこかぼんやりしていたのかもしれません。
どの先生方も日々の激務の中でインタビューに応じてくださったことを考えると、自分の指導が行き届いていなかったことも反省しなければいけないなと感じました。インタビューを受けた側も、いろいろ引き出してもらった方が絶対にインタビューを受けていて気持ちがいいと思うのですが、今回のインタビューではそうではなかったようです。
自分の時間を捧げてでも、探究したいものに出会えているか
それが探究学習を進めていく上で大事なのかもしれません。
探究学習はまだまだ失敗を重ねていく必要がありそうです。
まだまだ言語化できていない思いもありますが、今日はこの辺にしておきます。
おやすみ。