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日曜



夕方5時前くらい、アパートのベランダを見た。柵の棒、ひとつひとつが細くて、それがちょうどよい間隔で並んでいた。先輩は、「あのマンションは、柵がいいよね。友達で住んでいる人がいたら、柵がいい家ですねって言うなあ。」と言っていた。
僕は、ベランダに椅子がある部屋を探した。そんな部屋はなかったが、数年後、思い出すときには出現しているかもしれない。

川崎辺りを散歩したとき、ビルに反射した光がきれいだと思ったことがあった。その光景は、おそらくそこに住む人にとって、一番背景に近い景色だろう。ビルという構造物が持つ安定感は、同時に一番背景に近い存在であるという儚さを持っていて、シャッター街や古民家に行ってそれらしい気分になるのは、もしかしたら後回しにするべきなのかもしれない。

遠くのビルが夕日を反射しているのを見たときは、そのことを思い出さなかった。この街に住んでいない僕にとって、それは背景じゃなさ過ぎた。ベランダの柵が等間隔に並んでいて、その内側の様子は部屋によって異なるが、どれも同じ色のフィルターがかかっていて、それは、日光とか、柵とかよりも、柵がいいよね、という発言そのものだと思う。それによってこの景色はいよいよ手近な感傷に転がり落ちてきて、今となっては本当に良いと思っていたのか分からない。数年後、もしこの景色から先輩が消滅して、ベランダの内側に椅子が出現したとしたら、これは僕のシャッター街が完成してしまったということだが、多分そうはならない。そうはならないという弱さは、少しダサい。

電車

この日も、声のスタートを間違えた。思ったよりも低く声が出てしまって、その枷とともに一日を引きずって歩き回っていた。

みなさん、声のスタート、成功したなあって日、ありますか。僕も毎日スタートを気にするわけじゃないですが、成功したって感じたときは、めちゃくちゃ気持ちいいだろうなあと思います。

そもそも、トイレに行ったとき、髪が終わりすぎていて、人に会いたくなかった。手提げがなんか汚かったので、その時点で帰りたかった。家を出るときに、家に帰りたいと思うこと、みなさんもあると思います。
家を出るとき、本を持って行ったが、結局一回も読まなかった。帰るときには、本があることが重く感じたくらいだった。でも、本を2、3冊持って行って、読んでもいないのにルンルンでいた僕よりかは、いくらか誠実だと思う。いや、そんなことないか。

  1. やらなければならないことが多すぎます

  2. 多すぎる、訳ではないと思います

  3. やらなければならないこと?

↑「言われたことはやってきてるけど、ひとつひとつのつながりが自分の中で理解できてないと思うんだよね。」と、先生に言われた。優しい、というか、「優しいことを言っている」のだろう。実際は、つながっていたと思っていたものが、目を離したすきにほどけていたり、作業中に自らほどいていたり(そんなつもりはないが)、要するにつなげる気がないのだ。先生は遠くを見ていて、僕は焦点が定まっていない。時間を割いていただいて、ありがとうございます、先生。↑

帰りの電車で初めて、今日のことについてそわそわしてきたりしたことってありますか(感情ベンジャミンバトンと言いたいところを、ぐっとこらえる!)。

チケット取り忘れた

サイゼから出たら、雨やんでたんですよ。寒くもなかったんですよ。だから、このまま帰るわけにはいかなかったんですけど、でも、帰りました。ゆっくり帰っていったんですよね。時間かけて。

言われたら終わりなセリフって、皆さんあると思うんですけど、なんですかね。

入ってみたら案外広かった公園、遊具もいっぱいあって、テンションが上がった。子どもがそこそこいて、あ、今日日曜日だなって思わなかったのが収穫かも知れない。でも多分、ただ曜日感覚がないアホなだけです。
雨上がりで、公園のベンチとかが乾きだしているのを見ると、お得感ありますよね。簡単に幸せになれる。どんなものでも、水たまりは少しだけ残っていた方が良い。
ベランダに椅子があると、その人の楽しみがこぼれている感じがますよね。水たまりも、多分僕のものだったが、その後、「ベンチ濡れてて座れないな。」と言われた。これで腹が立たないのは改めるべきでしょうか。

微笑ましいって、見下してるんですか?だとしたら、僕は改めないといけないです。

その日

集合場所についたときって、すごく憂鬱ですよね。そういう日は、決まって夜、後悔しますからね。

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