『終りに見た街』を見て考えたこと Part2
続きになりますので、前段を読んでいない方はぜひ、お先にこちらをご覧になってから、読まれるといいのかなぁと思います。
考えたこと① 現代人は、どう向き合うのか
・戦争は悪で、平和が正義
・人はみな平等で、調和のとれた人間関係を構築したい
・誰にでも思いやりを持ち、優しく接すること などなど
当たり前のように感じる上記の言葉ですが、私は幼い頃からそのような社会価値観の中に生きてきたと思っています。そして、今でも大部分はやっぱりそうだよなと感じています。
しかし、一部、「平和や戦争への捉え」については、ここ5年間くらいでいろいろ変化してきたと思います。しかも、定りません。なぜなら、世界中のどこかで戦争や紛争が起き、そこに全く無関係と思っていた日本が、実はどちらかの陣営として捉えられているという国際情勢にあるという事実を知ったからです。これまで、学生時代に、どれだけ学んでこなかったのかを痛感させられていますが、そんなことは置いておいて、戦後は、平和なわけではなく、いつだって『綱渡り的な平和っぽい状態』なのではないか?と感じています。
沖縄に生まれ育った身としては、米軍基地だって日常の一部な訳です。北朝鮮からミサイルが発射されたというJアラートだって、「ふーん」とスマホの通知をタップするだけです。自分自身に不都合を一切喰らったことのない人間はきっとこんなものだろうと思いますが、『終りに見た街』のラストシーンを見て、ゾクゾクっとくるわけです。
大泉洋さんがいきなり光線を浴びた瞬間に、感情移入させられました。もし、現代日本が戦禍に巻き込まれたら、私はどう向き合うのか。家族を守る行動に出ることはもちろん、その先の行動はどうなる?自分の国を守るためには、相手を『敵』として捉えるのか? また、教育者としての立場で、子どもたちの前にどう在ろうとするのか? そもそも、そんなこと考える暇もなく、核兵器で全て奪われてしまう可能性だってあるわけで、今、こんなのんびり暮らしてていいのか?とまで考えてしまいました。
私は、このように捉えましたが、世の中の各世代によって、捉え方はばらつきが出るのではないかと思います。個人の置かれている環境の差はもちろん出ますが、私は、世代間のギャップがかなり出るのではないかと考えます。
考えたこと② 歳上の世代と歳下の世代
ドラマの中で、対比されて描かれているのが、大泉洋さん演じる主人公の田宮太一さんや、小島敏夫さんなどの大人と、田宮家、小島家の子どもだと思います。
子どもたちは、一言でまとめると「戦争に感化される」と作中でも同様の表現をされていました。これは、戦前の教育でかなり批判されている部分です。軍国主義の道を歩ませた根源として、教育やメディアの影響は大きいとされています。確かに、子どもたちは、社会的経験値も大人に比べれば低いと考えます。その分固定観念などは少ないので、染まりやすいのかもしれません。
現代で置き換えて考えてみると、もし、国が戦禍に巻き込まれていくのであれば、『私の幸せな人生設計の邪魔をしないで‼︎』『これだから日本は…。』というような考えになる歳下の世代は多いのではないかと予想しています。
一方で、好意的に捉える人もいるのでは?と考えさせられました。作品の終盤に出てきた、タイムスリップしてきた別の若者は、『サバゲーが好きで、自分的には、この世界の方が合っています。』的な発言をしていました。田宮家の男の子は、『俺も戦争に参加したい』的な発言をしていましたし、小島家の長男は実際に志願して軍人になっていました。長女も、共に時代を歩んでいく仲間たちと思いを共有していく分、戦争になった以上、勝つことが、自分たちの平和を守る方法だと割り切っているように見えました。このように、歳下の世代は、かなり多様な考えを持っているという現代をうまく表現していたように感じます。
それに対して、大人は、『戦争は悪だ』と戦争の悪口ばかりを言って、向き合っていない‼︎と子どもたちに一喝されます。過去を否定することは大切だと思いますが、そこに縛られて、現代の状況を見ようとしない、理想郷(ユートピア)に住んでいるの?と突っ込まれそうな大人をうまく表現しているように感じました。戦争や戦後の悲惨さをたっぷり伝えられてきたし、GHQの占領政策にバッチリはまった教育を受けたとされる世代は、自分たちの国の歴史を否定することに慣れてしまっているということを風刺しているように感じました。
このような世代間のずれのようなものが、現代日本の分断を生んでいることへの痛烈な問題提起ともとれる作品になっていたと私は感じました。
考えたこと③ 親として…。教師として…。どう在るべきか。
30代や40代前半は、ちょうど境目じゃないか?
しかも、親世代じゃないか? 職場では、これから中心的な役割を担っていく世代と捉えられているよね?
そのような世代だと私は認識しています。自分自身は、無謀な戦争を仕掛けた日本が悪で、それを主導していた天皇主権の戦前日本を否定していくべきという認識を得るような社会科教育を受けてきたと思っています。その感覚で教員をしていて、初めて6年生担任をした7年前、社会科の歴史的分野の授業をするときに大きな違和感を得ました。そこから、いろいろ歴史の本を読んでいくと、多くの問いが生まれました。その問いを解決するために、また別の本を読み、6年生の社会科の歴史的分野の教科書にもどると、かなりのズレがあることにも気づきました。
当時の研究はこれから発展していくし、わかる事実も増えてくるのだと思います。新たに出てくる情報もあると思います。そういった事実を提示して、子どもたちに選択する場を提供するのか、それとも、私の価値観を語るのか、一般的な平和に向けた内容を語るのか、どちらが、在るべき親、教師像なのか……。
答えは出ません。
最後に…。
深読みしすぎか? 純粋にエンタメとしてみるべきだったのか?
それさえもわからないなんとも言えない感じになってしまいましたが、私は、このドラマを見た上で、原作を読みたくなったし、さらに国史について学びたいと思ったし、現代の政治や国際情勢にも関心が高まりました。学びとはこういうものなのかもしれないなと思いました。家庭や仕事の役割がなく、自由な時間が多くあれば没入できそうなものを学びと呼ぶのではないかと思いました。今の私の場合は、国史がそうであったように、一人ひとり、没入できる学びの対象は異なるものだと思います。探究心を育てることができるように、アンテナを広げ、目の前の子どもたちに目を向けて、ほんのり関わることができる親、大人として在りたいなと考えさせてくれた作品だと思いました。
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