「遊星より愛をこめて」ウルトラセブン幻の第12話、放送禁止がもたらしたもの
特撮番組「ウルトラシリーズ」がテレビで放送されたのは1960年代のことである。怪獣ヒーローものとして、今なお創作され、そして昭和男子なら皆が好きだった、こんなに素晴らしい特撮作品が制作されていたのが、今からおよそ60年も前であったことに今更ながらに驚く。
一作目の「ウルトラマン」で特撮怪獣ヒーローものというジャンルを円谷プロが確立させた訳だが、次作「ウルトラセブン」は敵が怪獣から星人に代わった、というのが大きな特徴であった。「バルタン星人」は恐らく誰もが知っているその代表だろう。そして「ノンマルトの使者」とか「第四惑星の悪夢」などのように、内容も時に子供向きとは言えない回もあり、それが物議を醸しつつも、コアなファンを獲得したのだと思う。
「ウルトラセブン」が放送されたのは1967年で、ボクが生まれる前年である。なので本放送を見ている訳がなく、ボクが本作を見ていたのはもっぱら再放送だった。大抵全話見ていると思っていたが、後年になってその中に見れていない回があることを知った。それが今回取り上げる第12話「遊星より愛をこめて」である。
この話題をご存じの方も案外多いかもしれない。今更取り上げてどうするんだ、という意見もあるかもしれないが、長年ボクなりに記事にしたかったことと、映画「オッペンハイマー」が日本で公開されることが決まったこともあって、せっかくこうした貴重な公表の場があるのだから、という思いで掲載させていただくことにした。
まず、この作品の公開データである。
第12話「遊星より愛をこめて」
1967年12月17日 本放送
脚本 佐々木守
監督 実相寺昭雄
〈ストーリー〉
新型爆弾の開発に失敗したスペル星人は、自らの血液を放射能で汚染させてしまったため、延命のため新鮮な人間の血液を求めて、地球に密かに侵入し、怪しい腕時計を使って吸血を行うのだった…。
この第12話は本放送後、一度の再放送もされていない。いくら当時視聴率があったとはいえ、この回を本放送で見ていた人というのはどれくらいいるのだろうか、と余計なことを思ってしまう。
それはともかく、この作品が以後封印されたのは、ある騒動が持ち上がってしまったからなのだ。
その騒動の詳細を、週間雑誌「FLASH フラッシュ 2005年11月22日号」が、袋とじ企画として取り上げている。
フラッシュ編集部は、”本当に放送禁止にならなければならなかったのか?”と題して、その時何があったのかを関係者の証言を交えてルポしている。詳細については不明だが、この記事のために新たに場面写真を構成するほどの熱の入れようで、編集部の熱い思いが伝わってきて、そのジャーナリスト魂に脱帽した。以下はその本誌の記事を参考にして紹介する。
事の発端は、ある女子中学生が、弟の買った小学館発行の学年誌「小学二年生」を見た。そこには怪獣の写真やイラストが載った「かいじゅうけっせんカード」なる付録があり、この「スペル星人」のカードの裏面に、「ひばくせい人」という別名が書いてあった。女子生徒は父親に、
「このひばくというのは、原爆の被ばくのことか?」
と、カードを見せたことからはじまる。
その父親は当時「原爆文献を読む会」に参加していたジャーナリストのN氏で、「ひばくせい人」という言葉とともに、ケロイドのようなものが描かれていた「スペル星人」の造形デザインに強くショックを受け、それが子供向けの雑誌に掲載されたことを問題視して、すぐに発行元の小学館に抗議の手紙を送った。(番組は見ていなかったそうだが)
これがきっかけになり、新聞各社などがこのことを報道したことから、全国の被爆者団体などが「被爆者を怪獣扱いした」と抗議を展開して、小学館や円谷プロを糾弾する騒ぎになって、結果、両社とも謝罪を表明し、円谷プロはネガフィルムにハサミを入れなければならない事態にまで追い込まれてしまう。
しかし「ひばくせい人」という語彙がカードにあったにしても、本編ではそうした表現はいっさい出てこないのだが、脚本の「原水爆を否定する」という制作意図であることは物語を見るにつけわかるにしても、実際に登場する「スペル星人」の造形デザインには、ケロイド状のものが確認できる。そこに注目すれば、被爆者を怪獣扱いした、という指摘の問題を想起するようにも思える。
円谷プロは未だこの12話を欠番にしたままで、この問題を公表するに至っていないが、はじめに問題を提起した当時のN氏は、
「”表現の自由”を潰してしまったという思いがある」と述懐しつつも、「ケロイドの形状がひっかかる、血を吸うという言葉が気になる」ともコメントしている。
脚本を書いた佐々木守は当時のカードを見て、
「ひどいと思う。これは私でも抗議する。問題は安易に「ひばくせい人」とネーミングしたことだ」
と言っているが、その一方で、編集部は実際の被爆者の女性にこの作品を視聴してもらったところ、
「内容はまったく問題ない」と言った感想も載せている。
じつはこの作品、ボクは高校時代に見る機会があった。文化祭の後だったと記憶しているが、アニメや特撮ものに精通した同級生や先輩がいて、どういう伝手だったのか、VTRを入手して、空いた教室で視聴会のようなことをやったからなのだ。
本編を見るかぎり、この騒ぎがなければ、今も一作品として公開されていたと思う。但し、やはりその騒動の事実を知れば、少なからず問題のある作品かもしれない、と感じてしまう。
やはりカードの表現に問題があったと言わざるを得ないが、カードの元になった円谷プロが作成した「スペル星人」の基本設定書きには、「被爆星人」「ケロイド」と書かれてあったようだ。
ボクが今回この作品をテーマに取り上げたのには、色々な思いがあってのことだ。
まず本作を監督した実相寺昭雄の演出が大好きだからで、だからこそ放送禁止になったのが、理由はどうあれ残念で仕方ない。実相寺監督は魚眼レンズを多用したり、画面を斜めにしたり、凝ったカメラアングルが特徴的な演出をすることで有名で、この「遊星より愛をこめて」でも、木の枝葉の間から撮った場面などその視点が楽しめる。
もっともメトロン星人が登場する第8話「狙われた街」(脚本 金城哲夫)はファンも多く、ウルトラセブンの中でも出色の出来で、ボロアパートの四畳半の居間でモロボシ・ダンとメトロン星人がちゃぶ台を挟んで対峙する場面は有名だし、夕陽をバックにした港湾での決闘シーンは怪獣ものの域を超えて素晴らしい。
実相寺監督は前作「ウルトラマン」でも「空の贈り物」なども演出しているが(倉本聰脚本のドラマ「波の盆」の演出したのには驚いたが)、そう数が多い訳ではないので、そうした意味でも「遊星より愛をこめて」が封印されたままなのは、一特撮ファンとしても惜しいかぎりだ。
そしてもうひとつは、第二次世界大戦で日本に投下された原子爆弾の開発を行い、”原爆の父”と呼ばれたアメリカの物理学者 J・ロバート・オッペンハイマーの実像を追った映画「オッペンハイマー」が、物議の末ようやく3月29日に公開が決まったことでもある。
「ダークナイト」などでも有名なクリストファー・ノーラン監督の新作だが、現時点(2024年1月30日現在)でゴールデングローブ賞のドラマ部門他を受賞、アカデミー賞でも最多13部門ノミネートの大本命作だ。
原爆が投下された場面が描かれていないのはどうなんだ、と物議があって、日本での公開を危ぶむ声もあったようである。
日本は世界で唯一の被爆国で、その悲惨さは忘れてはならないし、テーマ的に誰もが歓迎する内容とは言えないが、そのことは別な問題として一映画ファンとしては楽しみにしている。同様にくくることはできないが、かつて「遊星より愛をこめて」の騒動があったことを踏まえつつ、見た人がどう評価するのか、注目している。
予告編がリンクできないので、別途動画をご参照下さい。
放送禁止、あるいは自制しなければならない、ということであれば、時代劇なんかは悲惨だ。民放の再放送では視聴率がとれないこともあるだろうが、「水戸黄門」「暴れん坊将軍」などはともかくも、「必殺シリーズ」の初期作や「座頭市」なんかは回によっては倫理上問題があるからか、もっぱらBS放送でしか視聴できない。さらし首や斬首シーン、拷問や磔(はりつけ)、盲目の逆手斬りの達人渡世人を踏んだり蹴ったりは、やはり公には無理だろうなあ、と思う。
しかしそれによって、新たに時代劇を民放が作るにしても、例えば女郎を扱うような物語には制限があるようで、まったくそうした作品は作られないし、生ぬるく刺激のないつまらない物語しか作れないのは、いかがなものかと思う(時々スペシャルで放送される必殺なんてヒドイ出来だ)。
最後に、今回取り上げた「遊星より愛をこめて」は、ナント、インターネット上で見れてしまうのである。スゴイ時代だ。