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小説 フィリピン“日本兵探し” (2)

エンジン付きの船をレイテ島で調達したのは、島の日本人の女性ガイド、ハルミだった。ハルミは、マサがレイテ島で行う遺骨収集や現地の人々への奉仕活動、日本人戦没者の慰霊碑の維持・管理など通訳のほか、現地でのさまざまな依頼を請け負っていた。

ハルミは、沖縄生まれで、54歳のマサより15年ほど年齢を重ねている。かつて沖縄で知り合った米兵と恋に落ち、男の子を授かった。ハルミの一人息子、アキラ。腕っぷしは強いが、定職には就いておらず、仲間らとその日暮らしの、彼らなりに楽しい毎日を送っていた。

そのハルミとアキラが、マサ一行の日本兵探しのガイドを請け負った。実は「サマール島に日本兵がいる」という情報をマサに伝えたのは、このハルミだった。

日本兵については、こんな話だ。レイテ島の北東にあるサマール島。島の西にあるカルバヨグという街の近くにあるジャングルの奥には滝があり、その滝の近くに洞窟があって、旧日本軍の軍服を着た男が棲み続けているという。この話には、洞窟の日本兵は財宝を持っているという話も付け加えられていた。

フィリピンの人々の間でよく語られる「山下財宝」の話。旧日本軍の山下奉文大将率いる部隊によって、終戦時にフィリピンに埋められたとされる埋蔵金についての伝説だ。フィリピンで語り継がれている伝説では、「東南アジアの欧米諸国の植民地政府が貯蔵したまま放置した金塊を、これらの地を占領した日本軍が奪い、フィリピンへ送ったが、連合国軍による海上輸送への攻撃が激しくなったため、フィリピンに隠して終戦となったとされる。財宝の所在は、明らかになっておらず、真偽のほどもさだかではない。

また、山下財宝について、別の説もある。山下財宝は丸福金貨と呼ばれる戦時下の軍資金だったという話。敗戦の色が濃くなる中、軍事物資を製造するのに必要な白金が不足し、軍が発行していた軍票の信用がなくなって、海外から白金を買い付けることができない状態になっていたとき、フィリピンの華僑と取引をするために丸福金貨を製造することになったという話だ。材料は、日本国民が供出した金だった。

日本から送金された丸福金貨は、山下泰文大将ら旧日本軍がフィリピン華僑の財閥とのやり取りに使うはずだったが、そのまま行方が分からなくなったとされる。

ハルミとアキラの親子が、付き合いが深くなったマサに、遺骨が残されている可能性が高い探査地域を広げるための情報として、日本兵の話をしたのか、財宝に興味があり、その手掛かりを探そうと日本人を引き入れようと話をしたのかは明らかではない。アキラには、妻と子供がいる。ハルミ、アキラにとって、年に2回はフィリピンを訪れ、地域にカネを落とす、遺骨収集の団体旅行一行は、大切な「お客様」だ。

日本兵発見のスクープを狙うタカシを含め、元小隊長、元兵長、ハルミとアキラの親子、そしてアキラの仲間らマサ一行のそれぞれが、日本兵とカネに、夢と欲望の炎を燃やし、サマール島に足を踏み入れようとしていた。

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