小説 フィリピン“日本兵探し” (19)
マサからの電話を終えた後、受話器を置いた宮田は、東京の本省の援護局事業課長である本郷にすぐ電話を入れた。
「本郷課長、旧日本兵が生きているという情報が、フィリピン・サマール島で流れているようです。日本の慰霊団からの情報です。指示を仰ぎたく」
厚生労働省は、戦没者の遺骨について、発見現場の周辺に遺留品などがあって遺族が推定できる場合は、遺族からの申請に基づいてDNA鑑定を行って、関係が明らかになった場合、遺骨を遺族に返還するという作業を行っている。ただ、過去を掘り起こすこの作業を平成の時代を生きる彼ら公務員が積極的に行っているわけではなかった。
「名前や出身地や所属部隊は分かるのか?」
「詳細は全く分かりません。ただ、慰霊団がそうした不審者に接触しようと試みている危険な状況があることをご報告しておこうと思いまして」
「本当に旧日本兵が生きていて、日本へ帰還するという大事件が起きるのなら、お前を在フィリピンの領事部に出向させた甲斐があったというものだ。いずれにせよ。旧日本兵を餌にした誘拐などもありうる。反政府ゲリラが多い地域だから、その慰霊団には気を付けるよう注意を促せ」
マサたちは、シュウの家で、アキラの母、ハルミやアウアウをどうやって奪い返すのか策を練っていた。
「ハルミさんの携帯電話を鳴らして、アキラさんにジュンと話してもらって、彼らの要求を聞き出すしか、方法はないのではないですか」とタカシはマサに言った。
マサの頭の中は整理されていた。ハルミは助ける、アウアウも連れ帰りたい、旧日本兵も助けたい、財宝はいらない、他に出てきた物もいらない。自警団サミエルの頭の中も整理されていた。財宝は欲しい、共産ゲリラは弱体化させたい、他はいらない。
ならば、ジュンは何を考えているだろうか。マサはジュンになりきって考えてみた。誘拐したのはアウアウとハルミ。欲しいのは財宝もしくはカネ。彼らが重要視するのは、NPA新人民軍の反政府活動の強化と想像できる。
「電話してみよう。アキラ!ハルミさんの携帯電話を鳴らしてみて。ジュンと話して、『お前らお金が欲しいとか?』って。『それで誘拐しているのなら、山賊やないか』って」
アキラは、過去の通話記録からハルミの番号を探して、ダイヤルした。3回のコールが鳴った後、ハルミの携帯電話に男が出た。かすれた特徴のある声はジュンのそれに違いなかった。
「ハルミはお前の母親ではあるが、俺たちのビジネスパートナーでもある。生きていることは保証するが、今は返せない」
「お前らの要求を言ってくれ」とアキラは切実な声で伝えた。
「日本政府を引っ張り出せ。詳しい話を別の仲間にさせる。日本語で話すから、そちらも日本人を出せ」
ジュンの電話口の指示を受け、アキラはマサに電話を代わった。
向こうの相手は、ジュンから女性に代わっていた。
「マリアと申します。国籍は日本、生まれは北九州。よろしいでしょうか」
「お嬢さんに代わったとね。日本語ならいいばい」
マリアはNPAの要求を代弁すると言いながら伝えた。
「NPAは、今回、日本政府というツールを使って、巨額の反政府活動資金を確保するという計画を進めています。さらに、われわれの作戦を正義の行動としてフィリピン国民の記憶に刻もうという狙いです。あなた方はもう分かっていると思うが、こちらはすでに日本兵、谷口四郎少尉と行動を共にしている」、マリアはブラフをかまし話を続けた。
「谷口少尉の敵は旧大日本帝国であり、現・日本政府だ。今回、われわれは谷口少尉のご厚意により資金として250億円相当の金貨を確保し、旧日本軍が保有していた化学兵器、VXガスを手に入れた。これから24時間以内にNPAの中核組織の拠点であるミンダナオ島で、VXガスを使った攻撃訓練を実施する。ターゲットは、軍や警察、その他の政府機関を想定している」
「われわれに何をしろと?」、マサが聞いた。
「日本政府が動くよう、報道するなり、政治家に伝えるなりして、騒いでほしい。54年前、自国の兵を犬死にさせ、アジアの国々に戦火を撒き散らした日本政府に総括させてほしいのだ」
0歳のときに沖縄戦で父親を亡くし、レイテで叔父を亡くしたマサは、この要求を拒否することができなかった。ただ、それはあの戦争の反省とともに築かれた、今の日本を否定する行為でもあった。マサの心の葛藤は、怨讐を忘れ去ることの難しさを如実に表していた。