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小説 フィリピン“日本兵探し” (23)

フィリピンの首都マニラの北西に米空軍の使用が見込まれる施設がある。かつて在比米軍基地だったその場所は、1991年に米軍からフィリピン政府に返還され、フィリピン空軍が管理していた。

フィリピンでは、領有を主張する南沙諸島の環礁が1995 年に中国に占領される事件が起きたのを契機に、米軍の再配備を求める動きが強まっている。国家主権を重視する上院は、「外国の軍事基地、軍隊、施設はフィリピン国内では認められない」としながらも、米国との間では相互防衛条約および軍事援助条約のほか、1998年に「訪問米軍の地位に関する条約」を批准。そして、この年、1999 年 5 月に新たな地位協定が発効された。この先に、米軍の駐留再開と米軍基地の復帰が想定されていることは明らかだった。

今回、マリアの言う通りであれば、米軍に関連しそうな施設は、共産ゲリラの標的になるとみられた。しかも、そのテロに使われるのは、旧日本軍と関わりがあるかのようにアナウンスされているVXガスなのだ。

カルバヨグへの出発前に、マサは、大使館一等書記官の宮田に、共産ゲリラの目的は日米同盟の分断にあると伝えた。それに対して、宮田の意見は、「もし旧日本兵の話がデマだったら、それで日本への責任の押し付けもおしまいでしょ」という素っ気ないものだった。
「旧日本兵生存の定義って何ですか?」、タカシは宮田に聞いた。
「横井庄一さんや小野田寛郎さんのように、戦争が終わったことを知らずに、戦場だった場所などで戦ったり隠れたりしている、旧日本軍に所属歴がある人物が生きていたらそういうニュースになるのだと思います。明確な定義はないですよ」と宮田は答えた。
「ミンダナオ島とかだったら、旧日本軍所属で現在は国籍なしという、フィリピンでこのまま骨をうずめようという方は何人もいるでしょう」とタカシ。
「そうです。それこそ、その辺を都合よく区別しているのは、マスコミさんなんじゃないですか?残留日本兵はフィリピンに数千人いたといわれていて、その人たちと小野田さんの違いは、ずっと戦い続けていたかどうかというところなんです。結局、ニュースバリューなんですよ。歓迎されて日本に帰って来てもらえるような方かどうかということでしょうね」、宮田は暗に、旧日本兵であれ、テロの首謀者もしくはそれに近い立場なら、国から歓迎されることはないだろうと伝えたいようだった。

宮田とマサとタカシを乗せた白のセダンと、アキラや元小隊長や元兵長を乗せたジプニーは、カトゥバロガンのジュンのレストラン前に止まった。
「ジュンさん、マリアさん、来たよ、大使館の人」、マサが声を掛けながら店内に入っていった。

今回も、対話の場所は奥の応接室だった。宮田は、ジュンとマリアに自己紹介した後、すぐに本題に入った。宮田が最初から釘を指したのは、日本政府はテロリストと交渉することはなく、テロリストの要求を受け入れることはないということだった。
「でも実際にあなたはここにいる。ここは共産ゲリラのアジトですよ」と言うジュンに対して宮田は、「あなた方がテロリストという確たる証拠はありませんし、ミンダナオ島の空港毒ガステロとの関わりについても、断定できるものは何もありません」とあしらった。
「で、何を期待して、私たちとの接触を試みたのですか?」、ジュンが聞くと、宮田はテロとは別の方向に話を持っていった。
「私の仕事は、もしジャングルや無人島に旧日本兵の方が実在していて、日本に帰りたいというのであれば、帰国のサポートを全力でするということなんです。一番会いたかったのは、こちらにいるアウアウさんですよ」
「この男は強盗よ。勝手に連れて行かせないわ」、マリアが割って入った。
「マリアさん、日本の方で犯罪被害に遭われたのであれば、大使館を頼ってください」と宮田。
マリアは、面倒なことになるのを案じて、フィリピン警察に、被害届は出していなかった。
「日本の方なのに、大使館より地元の武装組織の方を頼るのは、なぜなんですか ?」、宮田は詰め寄った。
「なぜなんやろうね」、マサがニヤニヤしていると、マリアは銃を抜いて威嚇するかのようにテーブルの上に置いた。
「私が日本人であろうがなかろうが、あなたの知ったことではないでしょう。チャジュンナ(むかつく)。邪魔な自警団の連中もきょうはいない。このまま白骨の島に渡って、旧日本兵と会うのが、手っ取り早いのではないかしら?」
10人乗りのボートは、レストランの裏に行ってすぐの港に用意されていた。

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