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小説 フィリピン“日本兵探し” (3)

船が入った港は、サマール島の南西にある小さな漁村だった。村の家々は島の木を削って造られた、藁葺き屋根の造りで、床は高波を想定して、70センチほどの高さに木を敷き詰めていた。

アキラはここで、島の男たちと接触するつもりらしい。タカシに言った。
「ワタシもピストルは持っている。しかし、ジュンたちは共産ゲリラとして活動していて、組織を持っている。警察の力を借りた方がいい」

タカシはそこで初めて、日本兵生存の情報がフィリピンの共産党ゲリラから発せられたもので、彼らとのやり取りいかんによっては、銃撃戦の危険もありうるということを自覚した。

フィリピンはライセンスがあれば、銃を所持できる。自分の身を守るために銃を携帯している人も多い。その一方で、銃を使った犯罪も多く、銃での殺人事件は後をたたない。そのジュンをリーダーとする共産ゲリラは、一定の数量の武器を持っていることが予想された。

かといって助けを求めるのはフィリピン警察でいいのだろうか。そうこうしているうちに、派手な、ジープを改造した、小型バスのような車が村に入ってきた。乗っていた男ら数人を、アキラがタカシとマサに紹介した。
「警察のサミエルさんたちです」

タカシは、これまで見たフィリピン警察のイメージとは違うサミエルたちの風貌や雰囲気に違和感を感じ、警戒した。サミエルたちはオートマチックの黒い小型の拳銃を所持していた。タカシが英語でサミエルにジュンのことについて聞こうとした次の瞬間、パンッ、パンッという乾いた音が響いた。サミエルが海に向けて発砲したのだ。

相手は日本の一般人の一行を威嚇するため、発砲したのかもしれない。にやけた口許には薄ら笑いが浮かんでいた。タカシは余裕を見せようと笑顔で、銃のことやジュンたちのことを聞いた。サミエルのグループが手にしている銃はそれぞれ形が違う。小型の銃ばかりではなかった。
「警察官は、銃をそれぞれが選べるのか?」、タカシが聞くと、サミエルは当然のように自分の銃については、村の仲間が調達したという話を語り出した。彼らは警察ではなく自警団とタカシは確信した。

タカシはサミエルに尋ねた。
「警護してくれるというが、何日かかかると思う。通常の警察業務はしなくていいのか?」
その問いに対し、サミエルが語ったのは、「仲間は、工事の日雇いなので数日ぐらいは休める。気にするな」という答えだった。

フィリピンの島々の全域に渡って、正規の警察官が配置されているわけではない。地元の若者たちでつくる自警団の活動が警察活動を補完している。彼らは自分たちを「警察」と名乗っていた。

この日本兵探しよりずいぶん後になるが、ドゥテルテ大統領の時代、政府は麻薬組織を取り締まるため、自警団をフルに活用した。2016年にドゥテルテ政権が始めた麻薬撲滅戦争により殺害された密売人・中毒者は7600人を超えた。政権発足から8カ月、毎月平均1000人が殺害された計算だ。殺害された約7600人のうち、警察による殺害は約2500人。残りは「捜査中の殺害事件」として扱われているが、自警団によって殺害されたものも多いとされる。射殺した遺体の両手足をロープで縛り、「私は密売人」と書いた段ボール紙を現場に残して逃走するのが自警団の手口だった。

こうした自警団は、戦後のフィリピンの文化として根付いていて、島によっては、地域の共産ゲリラと対立する構図となっている。

サミエルのジプニーは年季が入っていて、1992年まで駐留していた米軍が払い下げたジープを胴長にし、10人ほどが乗れるよう改造した物だった。

ジプニーに乗って、村を出発し、カルバヨグまでは、4時間ほどの道のりだという。悪路に揺られながら、タカシは日本から遠くはなれた異世界の旅路をカメラに納め続けた。

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