もりのカラス通信2

 

時候の挨拶

 彼岸迄と聞かされていた暑さもようやく和らぎ、さわやかな秋の陽気が続いております。皆様いかがお過ごしでしょうか。もりのカラス通信第2回を書いているのは先日のライブでベースを弾いていたみつきです。「さわやかな秋の陽気」という言葉は言わずもがな秋にしか使えません。あまつさえ「さわやかな」という表現も秋にしか使うことができないんだとか。俳人の友人曰く、なぜなら秋の季語だから。皆様積極的に使って参りましょう。ご唱和ください。さわやか、さわやか。秋以外に使うと俳句協会のお偉いさんから抗議の電話が飛んでくるそうです。もう立冬は過ぎたぞと。せめておかけ間違えのないよう注意していただきたいところです。

やっぱりロックンロールやね〜

 さて、先日はひかりのうまでのライブ、ありがとうございました。ひかりのうまのマスターであるマルタさんからは、「ドラムとベースが兄弟っぽい」というようなことを言われました。悪いことではないような気がしますが正式にはギターとベースが兄弟です。ひかりのうまへは何度か足を運んだことがありますが、その度にそこで会う人たちのひかりのうまへの愛を感じます。もちろん我々もそのうちです。素敵な空間で初めてのライブをすることができて本当に良かったと思っています。
 見にきていただけた方々に伝わっていると嬉しいなと思うのですが、あのようにベースを弾いていると「これだ!」という気持ちのいい音が出ることがあります。もちろんそうでないこともあります。いい音を常に出せるようになりたいと常々思ってはいるものの、続けるのが難しい。野球もそう。タイミングがバッチリでバットも思ったところに出てくるような、「この打席は打てる気がする」という打席がたまにありますが、その状態を続けることができない。しかしグラウンドに立ち続けなければならない。演奏を続けなければならない。続けることはすごく難しいことだし、すごく勇気のいることだと思います。しかし僕たちは続けなければならないし、続いていかなければならない。
 物事の本質はそれが続くことにあるような気が、最近はしてならないのです。そしてそれとどのように向き合うかに関わらず、誰にとっても生半可なことではないのだと思います。生活を続けるためには米を炊かなければならない。お皿を洗わなければならない。シャツを洗わなければならない。コーヒーを飲まなければならない。生活を続ける覚悟とは、例えばペットボトルを濯いでいるときかもしれないし、あるいは小さい頃揺れる洗濯機に触れたときに感じた衝撃的なほど強い振動だったのかもしれない。時間的にもそうだけれど、もっと言うと空間的にも連続でなければ。生きていくためには土に足をつけていなければならない。ときどき窓を開けなければならない。自分の鼻の先と、鼻の先に触れる空気との境界は曖昧でなければならない。心も体も、時間的にも空間的にも連続じゃないといけない。そう思えてならない今日この頃です。これがロックンロールの「ロール」たる所以だと思います。ロックだけじゃ駄目だ。ロールしないと。ライク・ア・ローリングストーン。石、転がっといたらええやん。

 物事が続いていくことの尊さは筆舌に尽くしがたいものがあります。ただでさえ口下手なのに。何を言っているのかよくわからないかもしれないですが、とにかく僕はあなたと喋り続けていたいと常々思っています。喋り続けていたいがために、うまく言葉が出てこない。そんなことがよくあって本当参っちゃうなと思います。

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