わたしの転職
妊娠と制限の記事をなかなか完成出来ないでおりますが、本日は私の転職のお話しをします。
転職を決めたのは何故?
私は自分でいうのもなんだが頑張り屋だと思う。
でも、もう頑張れない。と思った。
仕事は好きだった。
活躍する場も与えられて、頼りにしてくれる上司や後輩もいた。
無難にやりすごそうとすれば出来た。
3人目が産まれても、ある程度のわがままを通して働くこともできたかもしれない。
でも、目をつぶることが出来ないことがたくさん出てきてしまった。
それが転職につながった。
我慢できなかったこととは?
職場の雰囲気
それまで、ママ女医も多く、お互い様精神でいたのは居心地がよかった。
でも、その隣で、バリバリに制限なしに働ける人もいた。
ママ女医の中でも色々なのである。
無理して頑張る頑張り屋もいれば、やりたい事だけやってるように見えてしまう人もいた。
制限なく働く人と、制限なしママ、制限ありママ、制限ありありママ、わがままママ、制限ありパパ、もう分類なんて無理。
どのようにして序列を作るのか、具体的には
オペをどの程度だれにやらせるのか
とかだけど、みんなが競合してやりたいオペを誰に当てるのか、これは本当に悩ましかった。
非常勤でもスキルが高く、その維持をしたいと努力している人にはあてたし、それが患者のためでもあり、後輩たちのためでもあると思っていた。
いない間のフォローはチームでやればいいと思ってもいた。
自分も、どこかで、いずれ私はここから居なくなるけれど、いるうちに私の知識、技術は伝えておきたい、とも思っていた。
でも、やはり
いいとこどりにみえるのか反発が生まれ始めた。
独身、既婚、子持ち、子なし、子供の人数、家庭での役割分担の比重、サポートの有無、男性、女性、勤務可能時間の長さ、能力、さらには仕事へのコミット具合を加味して仕事をふる、という仕事は私にはすごく重たかった。
これら多くの立場、多くの考えをもつ人々を上手い事私は操縦はできなかった。
簡単にいうと
非常勤医師に主治医をやらせることへの反対
当直をやらない医師は外来のみ
みたいなことが起こり始めていた。
それまでどんなに頑張って手術スキルを磨いて、分娩管理能力を高めても、資格をとっても、
非常勤になったら、終わりなのだろうか???
と、そうじゃない!
と何年か闘ったのだが
結局は、ママたちが多くいる環境のときはそれが成り立っていたけど、そうじゃない職場では、無理だった。
やりたいなら、頑張れよ
その通りなんだが、私は家庭も大切で
結局は、非常勤の先生たちを守れなかった。
私も制限のある勤務の中、みんなのフォローもできず、結局その空気に耐えられず
どんどん肩身が狭いと感じ
私を必要としてくれるところで細々と働こう
そう決めたのだ。
当直にまつわる色々
当直は嫌いじゃない。自分のペースで仕事が進むし、なんなら当直中しかできなかった仕事もたくさんある。夜の病棟や救外も好きだった。
ただ、当直を1回するための準備がほんと大変で、疲れてしっちゃかめっちゃかの部屋に帰ると涙がこぼれそうになることも多かった。
パパも子供達も大変だったことでしょう。
息子が、ママもう当直には行かないで欲しい
と言ったときに、あぁ、もう私は最前線の産婦人科医にはなれないな、と感じた。
子供にもよる。
親にもよる。
ただ、私はそう言われてまでガンガンに当直に入ることが出来なかった。それだけのこと。
転職を決めた!
転職を決めたら、涙とともに心が軽くなった。
なりたかった産婦人科医になろうとして頑張ってきて、心が引き裂かれてしまったところから
これからは何かを目指さなくてもいい
と、なんか肩の力がふっと抜けたのだ。
私は、わたしの今ある力で働き
誰かの役に立てればそれでいい。
残業もない。
業務も負担もそこまで重たくない。
そんなところで働こう。
これが私の転職のストーリーです。
ありきたりな話だと思います。
でも、多くの人が同じような壁にぶつかってるんじゃないかなって思います。
解決策はひとりひとり違う。
でも、選んだ道しか選べない
その道を正解にするために
また努力を繰り返す。
そんな生き方だっていいんじゃないか?
と思って今は進めています。
あんまり明るい転職ではなかったけれど
転職してから私はだいぶ明るくなりました!
悩んだときには、きっと答えがもうでてるんだと思ってる。
大丈夫、どの道を選んだって
正解でも不正解でもない
ただの道‼︎
悩める誰かが、少し前を向いて、一歩を進み出せたら嬉しいです。
本日もありがとうございました。