Polarisになりたい
はじめまして私は産婦人科女性医師です。
まず夢を語る前に自分のこと、このnoteのことを紹介したいと思います。
自己紹介
経歴
医師として働き、もうすぐ20年になります。
東北地方の大学を卒業後、卒後臨床研修を2年
出身大学とは別大学の医局へ入局専門医取得後、結婚、転居に伴い医局を移動しました。
関東地方在住です。
取得した資格
医学博士
産婦人科専門医・指導医
周産期専門医
女性医学専門医
家族構成
夫と3人の子供との5人家族です。
医師8年目、13年目、16年目で3人の子供を産みました。
うち、2人は不妊治療で授かりました。
夫は忙しく、ほぼワンオペ状態ですが、3人の子供に囲まれて賑やかな寂しさとは皆無の暮らしです。
日々目まぐるしく過ぎていきますが、充実した家族の暮らしを送っています。
noteをはじめた訳
ワークライフバランスの変化
それまでハイパーに働いてきたわたしは突然育児と仕事の両立の壁にぶつかりました。
子どもがいれば誰もがぶつかる壁。
みんなやっているんだから私も、と、周りのみんなと同じようにと働きました。
お産も、手術も、当直も。
保育園に、夫に、両親、義父母に、ベビーシッター、病児シッターなど、頼れるところに頼りながらこなしました。
延長保育を最大に利用し、夕飯も保育園で食べさせる日も。
当直中にママーママーと泣きながら電話がくることもありました。
それでも、保育園の送り迎えや、授乳、離乳食に寝かしつけにたまる一方の家事、病気のときには休まざるを得なかったりと、以前のようには働けなくなったことがもどかしく、肩身が狭く、いつも各方面に謝っていた。
わたしが悪いの???と泣きながら。
そんなに仕事がしたかったのか?
と聞かれると、仕事は好きだけど…というところ。
どちらかというと、働いていなければ「自分には価値がない」と思っていました。
しかしながらもともと子供はたくさん欲しかったので、諦めきれず不妊治療を開始し、幸い治療開始し初めての体外受精で妊娠、二人目が生まれました。
そこでいよいよ「この働き方では限界がある」ということに気づきました。
そして当直回数の制限をし、出勤の時間帰りの時間を15分ずつ時短にしました。かなり小さな変化でしたが、私には仕事に制限をかけるという大きな大きな変化でした。
その時の凍結卵で三人目も妊娠、無事出産に至りました。
三人目の治療に入るときに医局とのお別れを決めました。
理由は
子供3人は諦められない
今ですらこんなキツイのにもう一人いたら今の仕事も無理
医局関連の病院で外来のみ非常勤勤務では金銭的にも厳しい
子供との時間をもっとしっかり確保したい
そして今、私は医局をはなれ、健診クリニックに就職、婦人科検診をメインに婦人科外来もつづけています。
このあたりの詳細についてはまた別記事で書きたいと思います。
誰かの力になりたい
私の専門は周産期です。妊娠、出産にまつわる診療を得意としています。また女性医学の専門医でもあります。
妊婦さんの診療から離れて1年以上経ってしまいましたが、やっぱり関わりたい!
妊娠中から、ポジティブに身体の変化も出産も、そして育児にも向き合って欲しい!
診療でそれをサポーしたい!
と思っています。
これが1番の発信をしようと思ったきっかけです。
診療する時間は今は持てないけれど、私が持ってる時間で情報の発信はできる!!
と思ったからです。
そしてその情報が、どこかの、誰かの、希望となればいいな。
誰かの道しるべになれたらいいな。
そんな希望を私が持って、noteを始めてみよう!と思いました。
イメージギャップの解消
多くのアンケート結果が、イメージと現実とのギャップが不安につながることを示唆しています。ネットには膨大な情報があふれ、信用できる情報にたどり着くのに時間がかかりすぎてしまうこともあるでしょう。
また妊婦健診や母親学級は時間が短く、多くの情報を伝えきれません。一度に多くの情報を提供しても、理解が追い付きません。
理解ができていないのは、知らないことと一緒です。
「今知りたい、今知っておいてほしい」
を伝えたい、どうやったらそれができるか?
まだまだはじめたばかりだけれど
私の発信により、1人でも不安の原因をしり、不安が解消されて、幸せなママが増えてくれたらいいな。
まずはそんな気持ちで初めてみようとおもいます。
人は興味をもたないとなかなか理解ができません。
しかし、実際に身に起こっている出来事、知りたいと思っている情報はすんなり頭に入ってくるようになっています。
「妊娠・出産・育児はつらく大変」
とならないためにも、知っているとちょっといいことが発信できたらいいな。
そんな人が私のnoteにたどり着いてくれたらいいな。と願っています。
そのため、知っていて欲しい時期別に記事を整理して発信していこうと思います。
わたしの夢
ポジティブな育児を応援する場所をつくること
赤ちゃんと過ごす時間は振り返ってみると本当に短いものです。
その短く貴重な時間を喜びあふれる時間にすること、そして、何よりそのことであなたが幸せになることが、あなたの大切な人の幸せにつながります。
まずは、自分と向き合い、認め、大切にする。
それが出来たら苦労しないけど笑
と思いながら書いています。
私も一緒に、泣いて、怒って、悲しんで、そして、最後には必ず笑う!
そうやってこの時期をポジティブに過ごし、共に楽しみたい人達と繋がり、高め合いながら、その輪を広めていきたいと思っています。
今悩んでいる人が見つけてくれて、その人が幸せになるための道標になりたい、それが私の一つの夢です。
どんな形にするかまだまだ構想段階ではありますが、その情報も少しずつリリースしていくつもりです。
仕事も育児も諦めなくていい方法の確立
私にはもう一つやりたい事があります。
この仕事はわたしの生きがいでした。
妊娠期間をともに歩み、出産にいたったときに喜びをお母さんと分かち合えること。こんな仕事に巡り会えて、天職だと思っていたし、すごく感謝しています。
しかし、自分の出産とともに、自分のパワーをフルに仕事にコミットすることができないことで、ひたすら悩みました。
私は子供の熱や病気の時には休まざるを得ない時があること、お迎えの時間があるから、残業ができないこと、それだけで、主治医をもつ資格は私にはないと決めつけていました。
「それでも先生がいいのよ」とついてきてくれた患者さんもおり、涙がこぼれました。
ただ365日型の医師は無理があるのです。
どんなときにも頼りになる、365日24時間呼べばいつでもきてくれる医者には私はなれない
と思ったときに、私の理想がガタガタとくずれ、どんな医者になりたいのか、いったい何がしたかったのか、根底から崩され、その先は道もない暗い空間をさまよっているような感覚でした。
それでも目の前の仕事を一生懸命こなし
必要とされてなければならないと、食いしばって働いていた暗黒期
そのうち
当直をしていないと、手術をさせない
非常勤には主治医をもたせない
なんて声が聞こえてきました。
その頃には私はもう資格も概ね取り終え、指導の立場にまわるくらいの学年
でした。
おそらく人が十分に充足していない地域ではあまり起こらない問題なのかもしれません。
子供を育てながら、産婦人科医師として手術や周産期管理などの研鑽を積みたいは、叶わないのか?
と立ち向かったことがありました。
そこには平等、公平、男女の差、給料、立場
その他にもたくさんの問題があることも見えてきました。
何年か立ち向かって
私は燃え尽きて辞めたかのように自分でも思っていたのですが
チリチリと燃える心の火は消えることがありませんでした。
仕事も、育児も、諦めなくていい
子育てしながらもやりがいを感じながら働きたい
そんな場所を作りたい
それがもう一つのわたしの夢となりました。
まだまだ未熟者でこれからの私
しかし、今私は自分の人生を取り戻すことを決意し進み始めました。
真っ暗な道なきところに、少し光が見え始めてきている気がして、想いを書き起こしてみたところです。
初めての記事、お読み頂いた方、ありがとうございました。