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まりえの毒親

さみしいおんなのまりえの母親

まりえの母親は二十歳でバンドマンだったまりえの父親と出会い結婚。

まりえのバンドマン好きは母親ゆずりなのかもしれないな。。

タイトル通り母は毒親。
まりえの教育に熱心というか子供に高望みをしすぎる母でいろんな習い事をさせられました。
ピアノやエレクトーン、習字。。。かけっこも一番じゃなきゃ大騒ぎ。まりえは運動は苦手だったのに。

母は社交的と言えば聞こえがいいけれど、
八方美人。
いや、それでも聞こえが良すぎるな。。。
誰にでもおっぱい触らせちゃう?いや、さすがにそれは言い過ぎか。

外面がとにかくよくて家ではまりえは不出来なことがあればたくさん叩かれたし、おお外刈りっていうんですか?あの柔道の技かけられたこともあります。

そのくせ、まりえにはよく愛してるって言ってました。
母の愛してるは一般の人の呼吸と同じなんだと思います。

父親は

優しい父です。優しいけど自分にも優しくって愛されてたくって自分が一番かわいい人です。

今お思えば母とは絶対性格が合わない人種です。

家族が揺れだした

そんな両親ですので家を建て替えたあとお金がないないと言い出して喧嘩が増えた。
その時まりえは小学一年生。同時に祖母が病気になってお金に羽が生えてぴらぴらぴら~と。

父は母にホステスになって家計を助けて欲しいと言って母は夜のおんなデビューをしました。

母は泣く泣く働きに行ったのかと思ったら元来の八方美人、、誰にでもおっぱ・・・いや、社交的、外面良子(そとづらよしこ)を発揮にしてナンバーワンホステス(めちゃ昭和な言い方)になっていっぱいお金を稼いできました。
が、だんだん家に帰って来なくなって父がごはん作って病気の祖母の世話もしてました。
時々、母が下着を取りに戻ってきてその時に必死で止めたりしたまりえ。泣きながら止めても振り払って出ていく母。

やっぱあんたからもらった愛してるは呼吸音だったんだね。

祖母はまりえの味方

祖母はちょっとだけぼんやりした人で優しくって子供みたいな人ででもあったかくって包んでくれた。まりえの逃げ場所でした。

54歳で大腸がんで亡くなった祖母。
まりえが小学2年生の夏休みの登校日の朝。眠りながら逝ってしまいました。
子供みたいな祖母は楽しいことをいっぱい教えてくれました。

一番覚えてるのは冷蔵庫にある桃を冷蔵庫に頭つっこんでかじって食べる事。
なんのこっちゃの話ですがまっくらな部屋で冷蔵庫に頭入れてる大人と子供の後姿を思い浮かべてください。
冷蔵庫の明かりで照らされてる幸せそうなおばあちゃんと孫の姿を。

思えば母がいないさみしさを紛らわせるために祖母がいつもおどけてみせてくれてたのかな。


母が帰って来なくなって一年くらいで祖母は亡くなりました。
まりえの家は田舎で兼業農家。
葬式は組内の近所の人たちが大きく関わってくる。死んだら墓掃除に組内の人が行ってくれて接客もしてくれる。

外で薪くべて大鍋で煮物とか作ってきてくれた人にごちそう出して。葬儀のあとも念仏を唱えに毎日一週間の間近所の人たちが夕方集まってきたり、
一週間は毎日墓参りに近所の人たちも一緒に行ってそのまま自宅に来てお茶のみ。
昭和54年の田舎の葬式は大変だったイメージです。でも人のつながりが温かく感じたな。。。

でもお葬式は大荒れに

あの当時、出て行ってた母が葬式に現れたときは亡くなった祖母と仲良しだった近所の人たちが母の姉妹たちに母の悪口を言って大喧嘩に。

父は「俺の母ちゃんの葬式なんだからやめてくれ」と棺にしがみつき大泣き。
争いごとの原因の母は「まりえ、おばあちゃん行っちゃうんだよこっち来てまりえ」って叫びながら棺にしがみついてたな。

あんたたち、もっと早くこうやっておばあちゃんにしがみつてあげたらよかったのに。と思った小学二年生のまりえでしたね。
今更帰ってきても遅いぞ母よ。

離婚

祖母が亡くなって両親は離婚の話が一気に進んだ。
母は公正?して帰ってきたいと言ったらしいがその時にはもう父には付き合ってる女性がいた。
そう、父親もすごーくさみしがり。
一人じゃいられないの。
お相手はのちの継母になる人です。

母だって彼?ヒモ?がいたらしいけどどうなったんでしょうね。いったん切れたから帰ってくる気になったんでしょうかね。

後から聞いたんですが

離婚の話し合いの時に母は妹は連れていくまりえは置いていくといい。
父はまりえも妹も母に渡すと言ったそうです。

まりえは長女なのに離婚のときのドラフトで誰にも呼ばれなかった子供です。

結局近所の親戚の家に

ドライチで父親のところにいられると思っていたまりえ。行くとこないし親戚の家にお世話になることになりました。
祖父の妹の嫁ぎ先です。
駄菓子屋をやってるおばちゃんちだったのでよく店番しました。
ここにお世話になってる間に父が再婚。継母が実家にきて私は近所の親戚のいえにいる。
小学4年生。なんか複雑でしたねぇ。


弟の誕生

継母が妊娠し弟が生まれました。
小学5年生。まりえ。案外弟はすんなり受け入れられてかわいくってよくミルクあげたりおむつかえたりしてました。
弟の誕生で、継母とも親子になれた気持ちになれた気がしてうれしかった。

弟三歳

やっぱ親からの指名漏れ経験した子供ってひねくれてしまうんでしょうかね。中学生になったまりえは弟との遊び方が変化します。

夏の日、学校から帰ってきたら弟が庭で小さいプール作ってもらって遊んでいる。ホースでいっぱい水出して。

「やっちゃん、ホース貸してごらん」と弟からホース取って足で途中踏んで水止めて「お水出なくなっちゃったよ?ほら、覗いてごらん」と言って弟が覗いたら足を離す。
弟は一気に出る水で驚き泣くそれ見て大笑いするまりえ。
弟の泣く声とまりえの大笑いが聞こえてくると継母が「お姉ちゃん!!」と𠮟りに来る。

お姉ちゃんって名前じゃねぇわ。だれだあんたって心で言ってた反抗期。
今思えば最悪な悪い子でした。
祖母と冷蔵庫で桃食べてたかわいいまりえはどこに行ってしまったんでしょうね。。

まだまだありますが

ほんとはもっといろいろありましたがまた今度書きましょう。

52歳になった今は継母に感謝しています。
26歳で子持ちバツイチの父と再婚しこれから反抗期に入るなまいきな私を一回もなぐりもせず見捨てないでいてくれた継母。いいのに殴ってもって思うくらい悪い子だったまりえ。

もう継母だなんて思っていません。
まりえの母親は今の母が実母だと思っています。
父はすっかり年をとって継母にどっぷり世話になってます。


でもさやっぱ指名漏れは忘れない。指名漏れで悔しい思いで頑張ってきたって選手が今年のドラフトでいたけど私は自分の子育てがんばったからいいかな?
ながくなっちまうのでこのへんで。


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