50才で家を買う 【自己紹介①】
先ずは自己紹介
中野渡直子 50才
バツイチ3人の子持ちでしたが、今年の3月に再婚いたしまして、旧姓は菊池です。
普段は岩手県盛岡市の地元の工務店で住宅設計の仕事をしています。
新築がメインで年に1軒断熱改修をしている程度です。
詳しい職歴に関しては、過去に書いたブログがあるのでこちらを読んでいただきたいと思います。
50才で家を買うなんてリスキーな事をするのは、実験としてデータをとりたいからです。
その実験内容は詳しく後ほど詳しく書きます。
私の中で高性能住宅を増やして、日本中の消費電力を減らし、原発を無くしたいと言う目的があります。
2011年の東日本大震災の時の時まで、電気を使うことは当たり前で、その電気がどの様に作られているかも全く考えないで暮らしていました。
私も盛岡市で被災しましたが、経験したのは3日間電気が使えなかっただけで、岩手の沿岸部の方たちに比べたら大したことがない経験だと思います。
しかし、当たり前に使えた電気が使えないと言うことは、こんなにも生活が成り立たなくなるのかと身をもって経験しました。
公営団地に住んでいるため、電気が使えないとトイレも水も使えない。情報源もなく、いつ復旧するかわからない中での不安は、今までに経験したことのないものでした。
更に、福島第二原発の事故。
そこからの放射能の被害。
今だから話せることですが、東日本大震災の際、他県のNPO法人のから私が運営に携わっていたNPO法人に、震災復興の事業で地元で配送手配をして欲しいと要請があり、間接的に災害復興に携わっていました。
事業の内容は、高田松原の震災で倒れた赤松林の松を薪にして販売し、その売り上げを地元の復興に回すと言う内容でした。
当初は全国から現地にボランティアの方に来ていただき、薪作りの作業をしてもらい、現地で乾かし薪として販売したのですが、その販売の受付と配送手配を私が担当していました。全国から善意でボランティアの方が集まってくれて、地元の方たちと一緒に倒れた赤松の木を薪に加工してくれました。
その薪を販売するときに、私は電話とインターネットで注文を受けていましたが、全国のたくさんの方から励ましの言葉をもらいました。
私は沿岸で被災したわけでも無く、薪を作った訳でも無く、ただ受付をしているだけなのに、誰よりも現地への励ましの言葉をいただいたんです。
このたくさんの声を現地に届けたいと、薪の販売をして売り上げを現地に!と、思っていました。
それなのに、配送が始まって直ぐに薪の出荷は出来ない。近場の方に届けた物も回収する様にと、他県のNPO法人から指示が入りました。
原因は福島第二原発からの放射能です。
更に、私たちの意図としない形で、第三者のアピールの為の偽善で、作った薪に沿岸被災地の方にメッセージを書いてもらい、京都の大文字焼きで高田松原の薪を焚くと言うイベントもたい上がっていて、こちらも言い出した人がトンズラして、現地は宙ぶらりんのまま。作った薪の始末については、他県のNPO法人の指示により見届ける事もできず。
当時の新聞記事
今なら放射能の危険な数値などはネットで出ているので調べることができますが、当時はどこを調べても薪から出た放射能の数値がどの程度危険なものかもわからず、家に帰って毎晩調べましたが、答えは出なかった事を覚えています。
自然界にも何もしなくても放射能は存在していて、調べたら数値が出ると言う事もわからず。
放射能と言う目に見えない人災に、全てを途中で投げて諦めたと言う事がありました。
そこから、原発をなくす為にはどうしたら良いかと考え、電気の消費量を減らす為に、家庭の暖房を全部薪にして、地産地消のエネルギーにすれば良いと考え、一時期自伐林家になろうかと思いましたが、体力の無さで断念。
その後、夫が無職となり前職の工務店に再度就職する事で、住宅業界に戻る事となりました。
そして、リノベーションまちづくりと、竹内昌義さんに出会い、現在に至ります。
長くなったので、続きは次回に。