チバユウスケが死んで、44歳のおっさんが初めて味わった感情
その日、一人法人で映像制作会社をやっている僕は、いつものように自宅の3階にある自分の仕事部屋で、P Cの前に座りながら仕事をしていた。クライアントの指示で映像を修正したり、メールやL I N Eなんかをタラタラ返しながら、時々休憩がてらネットでニュースやXを見る。そんないつも通りの午前中。
昼飯を食べ終わって何気なくXを開くと、トレンドに「チバ」・「ミッシェル」などの文字が並んでいた。そしてT Lを見ると、芸人時代にお世話になった方が、チバユウスケの訃報を報じるニュースを引用したポストをしていた。
食道がんに罹ったというニュースは見てはいたけど、公表して療養するくらいだからそんなに酷くはないんじゃないか、まあしばらくしたら戻ってくるんだろうとか何となく軽く考えていたもんだから、正直「嘘だろ!」と思った。
とりあえず嫁さんにL I N Eで「チバユウスケが死んだ」と送った。それからXをまた開いて、いろんなアーティストやファンの人たちの悲嘆にくれるポストの数々を見た。チバユウスケは本当に死んだんだ。
僕は10代の終わりからミッシェルの曲を聴いていた。25年も前から。昔の記憶を辿りながら、チバユウスケを追悼するつもりでいくつかのポストをした。
この時はまだ悲しいとかいう気分ではなかった。むしろどこか懐かしさを噛みしめるという気持ちで自分の過去を振り返る、そんな感じ。でも、一通りポストを終えた後、仕事は手につかなかった。XやYoutubeで、ぼーっとただひたすらチバの映像を見まくった。
結局夕方になってしまい、嫁さんが帰ってきたので、僕は自分の部屋から2階のリビングに降り、缶ビールを冷蔵庫から出して飲み始めた。嫁さんが晩飯の支度をしながら「チバさん、死んじゃったんだね。」みたいなことを言ってきた。それに答えようと口を開いた時、出てきたのは言葉じゃなくて嗚咽だった。本当に「うぐっ…」って感じ。何となく嫁さんに顔を見られたくなかったので、さっと背を向けて喋ろうとしてもやっぱりスムーズに言葉は出てこなくて、「思ったよりも…悲しかったみたい」と嗚咽まじりに意味がわからない回答をしてしまった。
それから嫁さんが娘を習い事に迎えに行って、また僕は一人になった。コタツで缶ビールを飲んでいたら、何だかめちゃくちゃ悔しくなってきて、缶ビールを握りしめながら突っ伏して、ぐうっと歯を食いしばって、そしてまた涙が出てきた。
正直今まで有名人が死んで泣いたことなんてなかったから、こんな感情になるなんて思ってもみなかった。44年以上生きてきて初めての感情だった。赤の他人が死んで、こんな気持ちになるなんて。驚いた。まだ感じたことのない感情があったのかよ。
正直な話、僕は別にNO MUSIC NO LIFE的な人間ではない。常に音楽を聴いているわけではなく、元芸人でお笑い好きなので、移動中やランニング中などは、音楽よりも芸人の深夜ラジオを聞く方が多い。聴く音楽も雑食でその時々で聴くものが違ったりする。アーティストのライブにも数えるほどしか行ったことがない。
でもよく考えたら、その数えるほどしか行ったことがないライブの1回はミッシェルで、1回はROSSOで、10代の頃から44歳の今まで、ずっと変わらず常に聴き続けている唯一のアーティストがミッシェルだった。
そして上のポストにもあるように、「ヤングジャガー」という曲がめちゃくちゃ好きで、そのままコンビ名にしようとしたこともあったし、ピン芸人になってからは、出囃子をかけてもらうことができるところでは、「ヤングジャガー」を出囃子にしてもらっていた。(入りのギターからシャウトの感じが出囃子にピッタリだとは思いませんか笑)
何だよ俺、ミッシェルめちゃくちゃ好きじゃねーか!チバユウスケが死んでめちゃくちゃ悲しいじゃねーか!嫁さんの言葉に答えようと、自分の感情を言葉にしようとしたから、自分の中で形を成していなかった今まで感じたことのなかった感情が、きちんと形を成して見えたんだと思う。本当に悔しくて悲しかったんだ。
言うて、僕は浅い方のファンだと思う。実際、The Birthdayはほとんど追いかけていなかったし、過去にライブもたいして行っていないわけで。だからこそ、チバユウスケと彼がやっていたバンドを心の底から愛し、それを心の支えとしていたようなファンの方は、とんでもない喪失感に襲われているのだろうと思う。だって俺ですらこの有様なのだから。
しばらくはこの気持ちは消えないのだろうけど、もしかしたらずっと消えないのかもしれないけど、とにかくこの悔しくて悲しい気持ちを形に残しておきたくなったので書きました。
この駄文を最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。僕はこれからも、ジジイになってもミッシェルを聴き続けます。
チバさん、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。