No. 17 英語教育とidentityについて 16 【英語の先生はどうあるべき?】
はじめに
前回の投稿では、「identityとは人間関係の中で生じる(決定される)ものだ」ということを再確認しました。そこで今回は、英語教育のなかで重要な、指導者と学習者の関係を考えていきたいと思います。特に重要な問いとして、「英語の先生とは何者か」「英語の先生はどうあるべきなのか=どんなidentityを表現していくべきなのか」を念頭に置きながら議論を進めていきます。
まず初めに明らかにしておきたいのは、これから私が書くことを、英語の指導者は必ずしなければならないというわけではありません。私が今回の投稿で意図しているのは、学習者との関係性を考える上で、指導者のidentityが与える影響の大きさを理解していただき、そのうえでどんなidentityを表現していきたいかを考えていただくことです。それでは、指導者のidentityについて考えていきましょう。
英語の先生とは何者か
ここでいう「英語の先生」は、日本で教育を受けてきたいわゆる英語ネイティブではない指導者であるとします。そして学習者は、日本で英語を外国語として学んでいる人とします(年齢は小学校高学年以降にしておきます)。
さて、英語の先生とは何者かというと、簡単にいえば生身の「人間」です。こんなこと書く必要ないのではないかと言われそうなのですが、意外と重要なことです。
たとえば学習者目線でいうと、特に英語の苦手な学習者は英語の先生をまるで「天才」であるとか「スーパーマン」であるかのように無意識に感じていることがあります。確かに日本という国で英語の先生をしているということは、英語学習においては「成功者」であるため、それだけで尊敬されるのも理解できます。
反対に教師目線で言うと、自分が英語学習においての「成功者」であることにプライドを高く持っている人や、逆にそれに無自覚である人が多いように思います。前者は悪く言えば「偉そう」な態度をとって生徒にマウントを取りがちで、後者は「自分にできたのだから、あなたもできる!」と、生徒にとっては過剰にポジティブな人に見えがちです(どちらかといえば僕は後者タイプかなあ。。。)。
ですが、考えてみれば当然のことですが、英語ができるのはただの一つの側面 (=identity) に過ぎません。しかし上記のように、学習者は英語の先生はなんでも知っているかのように思っていたり、先生はそれに応えようと偉そうになったりpushyになったりしがちです。学習者も指導者も、このようなことを経験したり、見聞きしたことがあるのではないでしょうか(全くないという方は、Twitterで英語について検索してみると、この状況をみることができますyo)。
だからこそ、最初に書いた「英語の先生も生身の人間」というのは意識的に明確にしておく必要があります。そして、「英語教育者」というidentity以外にも、さまざまなidentitiesがあることを明示的に示していく必要があります。
英語の先生はどうあるべきか
上記のことを踏まえて、「英語の先生はどうあるべきか=どのようなidentityを表現していくか」ということを考えていきます。
英語の先生だからといって何もかも生徒に曝け出さなければいけないのかというと、当然そんなことはありません。そこで私が注目しているのは、英語の先生の「英語学習者」としてのidentityです。もっといえば「言語学習者」ということになるのですが、英語学習者としてのidentityを示していくことで、学習者と同じ立場になることができます。言い換えると、「英語コミュニティのメンバーの一員」になることができるのです(「コミュニティ」についてはこちらをご覧ください)。
英語学習者としてのidentityを示す方法として、Language Learning Histories (LLHs)を学習者にシェアするという方法があります。簡単に言えば、生徒に自身の英語学習歴を語ったり書き記したものを見せたりすることです。そうすることで、先生も「生身の人間」であること、また「現在進行形の英語学習者」であることを示すことができ、学習者は上記に書いたような英語の先生に対する「幻想」を抱かなくなります。
また、学習者自身がLLHsを書き、それをシェアすることも有効です。学習者は自身のidentitiesの変容を感じたり、他者のidentity work (identityを構築、再構築する営み)をみて自身のidentityを決定したりできます。また、LLHsを英語で表すことで、学習者は英語でagencyを発揮することにも繋がります(詳しくは参考文献のMurphey et al. (2005) をお読みください)。
さらに言えば、先生も学習者も英語でLLHsを示すことで、彼らは「英語学習者」であると同時に、「英語の使用者」としてのidentityも獲得することになります。「先生ー学習者」という関係から、「英語の使用者」という「同志」になることができるのです。こうなることで初めて、学習者は自信を持って英語の活動に「参加」することができるようになるでしょう。このような関係性の変化が、安心して英語学習を進めていくには大切になるのです。
おわりに
英語学習者のみなさま
上にも書いたように、英語の先生も「生身の人間」です。そして、皆さんと同じように「学習者」であり、今もなお学習し続けています。そう思うと、彼らは「神」ではないし、もしかしたら自分だって同じようになれるかもしれません。また、英語の先生に教わることはとても大切ですが、何でもかんでも言うことを聞かなければならないわけではありません。もちろん「先生ー学習者」という関係ではありますが、上にも書いたように我々は同じ「英語の使用者」です。ある程度のルール(文法など)はあるにせよ、使用方法が異なっていたって構わないはずです。自分がどのように英語を学び、表現していきたいのかは、他の誰でもなく自分で決めていいことです。自信を持って英語学習に励んでください!
英語教育者のみなさま
いろいろと書いてきましたが、LLHsは本当におすすめです。自身の学習歴を学習者に知ってもらえれば、きっと彼らも「頑張ってみよう!」と思ってくれるはずです。また、LLHsをみんなでシェアすれば、クラス(=コミュニティ)のまとまりにもつながっていきます。クラスマネジメントにも有効だと思いますので、LLHsをやってみていただけると幸いです。
参考文献
Murphey, T., Jin, C., & Li-Chi, C. (2005). Learners’ constructions of identities and imagined communities. In P. Benson & D. Nunan (Eds.), Learners’ stories: Difference and diversity in language learning (pp. 83-100). Cambridge University Press.