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No. 2 英語教育とidentityについて① 【identityは「本当の自分」?】
はじめに
「本当の自分を見つけたい」「自分のアイデンティティとは何なのか」
こんな悩みは、多かれ少なかれ誰しも抱いたことがあるのではないでしょうか。エリクソンの発達段階論の中でも言及されているように、「青年期(=英語学習に励む学生時代)」において重要な課題であると思います。
「自分を変えたい」
また、「自分を変えたい」と思って英語学習に励む、または留学に行くという人も一定数いるのではないでしょうか。
「ことばとidentityは関係がある」と聞いて、多くの人が納得されると思います。そうであるならば、「第二言語を学べばあたらしい自分に出会える」「英語を学ぶことで自分を変えたい」という考えは、ごく自然なように思えます。
SLA(第二言語習得論)とidentity
今回の投稿では、英語教育とidentityの研究者なら必ず引用するNorton (2013)を扱います。この分野を研究する人は「避けては通れない」存在です。物凄いインパクトのある本ですね:)
identityの定義
Nortonはポスト構造主義*(とりあえずwikiを確認してください)に基づき、identityについて以下のように述べています。
"a person's identity must always be understood in relational terms: one is often subject of a set of relationships (i.e. in a position of power) or subject to a set of relationships (i.e. in a position of reduced power)" (p. 4)
アイデンティティは常に関係性の中で理解されなければならない。それは関係性の「主体」(=力のある立場)になることもあれば、「支配下」(=弱い立場)に置かれることもある
"as the way a person understands his or her relationship to the world, how that relationship is constructed across time and space, and how the person understands possibilities for the future" (p. 4)
(アイデンティティは、)人が、世界との関係性、どのようにその関係性が時間や空間を超えて構築されていくのか、そして将来への可能性を理解する方法(として定義される)
"identities are not merely given by social structures or ascribed by others, but are also negotiated by agents who wish to position themselves" (p. 5)
アイデンティティはただ社会構造や他人から与えられるものではなく、自分自身を位置付けようとする行為主体によって交渉されるものだ
ここまででも十分難しいので、私なりに言葉を補いながらまとめてみたいと思います。
identityは…
関係性の中で決まるので、固定化されたものではない(「この人はこういう人だ」といった個性とは異なる)
関係性の中では、「上」の立場になることも「下」の立場になることもある
時間がたったり、場所が変わったりすれば変化する
今だけでなく将来ともつながっている(もちろん過去ともつながっている)
環境で決まるところもあるが、自分自身で(言葉を通じて)交渉しながら決めていくもの
現時点ではだいたいこんな感じでしょうか。日本語の「アイデンティティ」は「個性」のように理解されているような印象がありますが、Nortonによれば、identityは時間や場所、状況や関係性によって変動する「流動的」なものなのですね。
日常の場面に応用すると
Nortonのidentityを日常に当てはめて考えると、意外にすっきり理解できたりします。
例えば…
地元の親しい友人の前では「気さく」な人だが、職場ではとても「真面目」な人になる
異性の「友達」の前では普通に振る舞えるが、「好きな人」の前では「硬い人」になってしまう
年上の人に敬語を使うことで、自分が「下」の立場になる
お客さんに敬語を使うことで、相手の方が年下でも相手が「上」の立場になる
小学校の頃は目立たなかった人が、今では「チャラい」人に見える
本当は言いたいことがあるけど、「今後の関係」を考えると言わずに黙っておくことにした
意外に日常で経験したり見かけたりするものだと思います。どのidentityも、その人にとっては確かなidentityですよね。
これら全てに言えることは、どのケースも「ことば」のやり取りがidentityが関わっているということです。例えば、もちろん「チャラい」というのは単なる「外見」による判断かもしれませんが、「チャラい」ことばを使っているから「チャラい」と判断することも多いと思います(Exitのようなイメージです)。
これらの例を通じて、identityが時間、場所、関係性や状況、そしてそこで使用することばによって変化する「流動的」なものであり、「一人に一つ」ではなく複数持っているのが自然だと分かっていただけたら幸いです。
また、悲しいことに、「ことばによってidentityが決まってしまう」ということもあります。
例えば…
(夫婦の関係性で)子どもが生まれてから妻のことを「ママ」と呼ぶようになり、子どもが生まれる前のような「妻」と「夫」の関係ではなくなってしまった
英語を学ぶ日本人が、瞬間的に英語で発言できないがために、議論の場面で「考えていない奴」と思われてしまった
英語を学ぶ日本人が、お願いしたいときはとりあえずPlease!をつけて話していたら、「直接的で失礼な奴」と思われてしまった
日本にいる外国人が、「カタコトの日本語」を話すことで「かわいい人」だと思われてしまった
これらも日常で「よくある」ことではないでしょうか。2つ目以降は全て語学に関わるものです。「意図していないidentityが形成されてしまう」ということもあるので、「どのように第二言語を学びたいのか」は非常に重要な問題です。
おわりに:語学の可能性
まとめとしまして、上に書いたことを反対の方向に応用してみたいと思います。というのは、
「ことばがidentityを決める要素になるなら、語学に励むことで自分の好きなidentityを創出することができるはず」
だということです。これこそが、これからの英語学習・教育において最重要なポイントになると私は思っています。
実際、日本語を学ぶことで「ぼく」や「オレ」といった「新しい一人称(=identity)」を手にすることができたという人もいますし、私の場合、英語を話している時は少し「開放的な」自分になれたりします。
こんなふうに、語学に取り組むことであたらしい自分に出会い、自分の好きなidentitiesを創出し、表現できる人が増えてほしいなと思い、私はこのブログを書いています。
学習者の皆さん!
まずは流動的に変化するいろいろな自分、identitiesを認めてあげてください。そして、語学に励むことで、自分が「居心地がいい」と感じるidentitiesを見つけ、表現していきましょう。
教育者の皆さん!
自分がどう関わるかによって、生徒のidentityは決まっていきます。今一度言葉遣いを中心に、どのように生徒と関わっているかを見直していきましょう。
(自戒の意味も兼ねて書かせて頂きました。偉そうだと思われた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。)
参考文献
Norton, B. (2013). Identity and language learning: Extending the conversation. (2nd ed.). Multilingual Matters.