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No. 4 英語教育とidentityについて③ 【Norton (2013)からみる私の経験】


 はじめに

多くの方が冬休みに入った感じでしょうか。自己研鑽に励んでいる方、いつもなかなかとれない家族との時間を満喫されている方、ゆっくりされている方、様々な方がいらっしゃるかと思います。私はせっせと、ブログやらInstagram、Twitterを更新する日々です。仕事の方は年が明けたら…ですかね。

さて、前回の投稿の投稿では、identityに関連するキーコンセプトとして、Norton (2013) のinvestmentとimagined communities/identitiesについて書きました。investmentはいわゆる「自己投資」のようなもので、英語学習はある意味自分のidentityへの「投資」なのだと述べました。そしてそれには、imagined communities/identitiesが関わってきます。「想像の共同体/アイデンティティ」は、英語学習へのinvestmentに大きく影響します。今日はその例について、私が経験したことをまとめていきます。

私の経験

私の生徒の例

私が教えていた高校の男子生徒で、中学時代に海外に行っていて、英語のスピーキングやリスニングの能力が高い生徒がいました。その生徒は時々海外生活について話してくれたり、授業内で高い英語力を発揮してくれたりしました。だから私は、その生徒は「帰国子女」というidentityを好んでいると思っていました。
そんな中、ある日、その生徒が将来の仕事についてカジュアルに話していたときに、私はさらっと「〇〇君はその仕事で国際的に働けそうだね」と褒めるつもりで言いました。しかし、彼は微妙な反応を示しました。「何かまずいことでもいってしまったかな。いや、褒めただけだしなあ。」と、私は悶々としていました。すると、これ以降、私の授業への彼の取り組みは明らかに悪くなってしまったのです。のちに担任の先生に相談したら、その生徒はその時進路で迷っていたとのことでした。とはいえ、褒めただけなのにどうしてこんなことになったのかと少しモヤモヤしました。

この出来事を振り返ってみると、おそらくその当時の彼のimagined communities/identitiesと、私が「勝手に決めた」彼のimagined communities/identitiesが合わなかったことが、彼の気分を害してしまったのだと思います。あるいは、実は彼は「帰国子女」identityを好んでいなかったのかもしれませんし(これは結構よくある話です。いずれこのことについても書きます)、私のidentity(仕事をしている若い男性=その生徒にとっては「近い将来」を示すidentity)が彼にそう思わせたのかもしれません(これもよくある話。またいつか書きます)。いずれにせよ、彼のimagined communities/identitiesが害されたことによって、私の英語の授業にinvestしなくなったのだと思います。Norton (2013)の例とよく似ていますよね(こちらの投稿をご覧ください)。その生徒は時々海外生活のことを楽しく話していましたし、私はただ彼の英語力の高さを褒めるつもりで言ったのですが。。。imagined communities/identitiesの影響力の強さを思い知った経験でした。

私自身の例

私自身、英語教員としては英語のスキルを高め続けていこうと考えていますが、「ネイティブのようになりたい」とは思っていません。もちろん、どれだけ頑張っても(investしても)なっれこないと思っているから、というのもなくはないですが、私がinvestしたいidentityが、「日本人っぽい英語を使うけど国際的に通用する人間」というidentityだから、というのが大きいです。それはALTの先生には持ち得ないidentityですし、このグローバル時代にふさわしいidentity(=生徒にも目指してほしいidentity)だからです。もちろんそれを押し付けることはしませんが、私が背中で示すことで、「ネイティブのように完璧でなくても、日本人っぽい英語でもいいんだ」と安心し、英語学習に励んで欲しいという思いもあります。また、私のimagined communitiesは、おそらく英語ネイティブが「正しい」英語を強要してくる場所でなく、日本の英語教室やらネイティブもノンネイティブも混在するような場所だと思うので、それもあって「ネイティブ」というidentity獲得のためにinvestしたいと思わないのです。(ちなみに私がinvestしたいidentityは、translingual identity です。これはこのブログのメインテーマですので、いずれた〜くさん書きます!)

とはいえ、子どもの頃からこのような考え方をしていたかというと、もちろんそうではありませんでした。多くの日本人がそうであるように、「ネイティブ」っぽくペラペラ話すcoolなidentityを獲得したいと思っていました。しかし、時間が経ち、様々な場所でいろいろな経験を重ねるうちに、私の考え方やidentity、imagined communities/identitiesが変わり、investmentが変わってきたのです。まさにNorton (2013)が述べているように(こちらをご覧ください)、identityは流動的なものであると、私はとても実感しております。

おわりに

英語学習者のみなさま

自分のinvestしたいidentitiesはどんなものでしょうか?それを考えてみると、英語学習への取り組み方が変わると思います。
是非考えてみてくださいね!また、imagined communities/identitiesは変わっていくものです。あまり何かに固執せず、移りゆく流れに身を任せつつ、気楽に楽しく英語学習に取り組んでみてください!

英語教育者のみなさま

生徒のimagined communities/identitiesが、彼らの学習に多大なる影響を与えるということがおわかりいただけたと思います。決して軽視せず、変動する彼らのimagined communities/identitiesを観察しながら指導に当たるようにしましょう。
また、指導者自身のidentitiesが生徒との関係に大きな影響を与えます(これもいずれ詳述します)。自身のidentitiesを無理に変える必要はありませんが、自分のidentitiesを理解していくことで、その潜在的な問題を解消することにつながります。自分自身のidentitiesにも敏感でいられるように努めましょう。

参考文献

Norton, B. (2013). Identity and language learning: Extending the conversation. (2nd ed.). Multilingual Matters.

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