No. 29 英語教育とidentityについて 22【吃音とidentity】
はじめに
前回の投稿では、吃音と第二言語学習の類似点について述べました。
意外な共通点が多く、吃音症と第二言語学習の支援・指導はもしかしたら互いに応用が利くのではないかと書きました。
今回もまた吃音と第二言語学習(におけるidentity)について考えていくのですが、念のため明記しておきたいことがあります。それは、吃音症の人々と吃音症を持たない人々が抱えている課題は同じではない、ということです。参考文献の『どもる体』(医学書院)でも、適宜このことについては明記されておりますので、すべての人を同じように考えてしまうのは問題があります。今回はそのことに特に気をつけて書いたのですが、それでも問題がある箇所があれば謹んで訂正致しますのでご指摘ください。
それでも私がこの投稿をしたい理由としては、第二言語学習の文脈でも、意識をしていても(あるいは意識をするがために)言いたいことが言えない、また意図せぬようにとらえられてそれが社会的な意味を持ってしまうというのが頻繁にあるからです。これは『どもる体』で議論されている「身体論」と重なると思い、私の専門分野と絡めて議論を展開してみたいと思いました。また、このようなことを考えることは、私が目標としている「誰も傷つかない英語学習・教育」に近づいていけると信じているからです。
上記のことを踏まえて、今回の投稿内容にうつらせてもらいたいと思います。
前回も書きましたが、「のる / のっとられる」という言葉で筆者は吃音症について議論されています。簡単にいうと、「のる」とは「既存のパターンを使いながら動く」ことです (p. 184)。たとえばリズムに乗って歌っているとき、吃音症状が出ないという人が多いそうです。また、キャラを演じるなどの演技をしているときも吃音症状が緩和されるといいます。一方、「のっとられる」というのは文字通り、身体を乗っ取られているかのように自分の意思で喋れないことです。「のりすぎるとのっとられる」という難しさもあるようです。
また今回の投稿では、この本で議論されている吃音症と社会的な意味を、第二言語習得論 (SLA)におけるidentityに絡めて考えていきたいと思います。
長くなりましたが、今回も吃音と第二言語学習で見られる現象について表にまとめましたので、以下の表をご覧ください。
吃音とSLAにおけるidentity
以下に特筆すべき点を抜き出して、少し解説をしたいと思います。
No. 25
会話が相手との共同作業というのがとても大事な観点です。よく第二言語学習者は自分の言いたいことが伝わらない時に落ち込んでしまう(identityが傷つけられる)のですが、よく考えたら相手がもっといい聞き手であったら、そんな思いしなくて済むかもしれません。もちろん自分が話し手のときは相手に負担をかけないように、という配慮が必要ですが、聞き手の役割も大きいのです。話し手を楽にさせてあげるの聞き手が理想的ですね。こういった相互支援があれば、吃音の人であっても第二言語学習者であっても(もっというと、他のいかなる障害者と言われる人であっても)、お互いが傷つかずに会話できるはずです。このようなことも、『どもる体』から学ばせてもらえました。
No. 26
No. 28
これはまさに以前identityについて述べたことですね。第二言語学習者が抱えるidentityのリスクといってもいいかもしれません。
No. 29
これは少し補足が必要で、そもそもしゃべる行為はズレを生むものだ、というのが前提としてあります。どういうことかというと、人は何もかも考えてから話すことはなく、話しているうちに思いがけないことを口にするし、話しながら思考や感情に気づくこともある。だから、「本当の自分」から一切ズレずに伝えることなんてできるわけではない、というのが上記の引用部分の意味です。
これは本当にSLAにおけるidentityに当てはまっています。吃音の言い換え共存派と同様に、第二言語学習においても「うまく言えなくてもそれもまた自分」「発音や言い回しがネイティブのようでなくてもこれもまた自分」と思えれば、自分好みのidentityを創出、表現することができるのです。
他にもコメントしたいところはありますが、長くなり過ぎてしまうのでやめておきます。笑
おわりに
吃音とSLAにおける第二言語学習におけるidentity。冒頭に述べたように全く同じものとして考えることはできないですが、かなりの部分で重なっていると言えると思います。
私がSNS投稿で掲げている目標は、「誰も傷つかない英語学習・英語教育」です。この無謀にも思えるゴールを掲げる理由は、この『どもる体』が教えてくれているように、私たちの配慮一つで「困難を抱える人」「難しい人と捉えられてしまいがちな人」が傷つかず、もっと生きやすくなると思うからです。身の回りにこういう人はたくさんいるはずです。吃音症の人、英語学習者だけでなく、障害者と言われる人やその他のマイノリティとみなされて苦しんでいる人。そのような人に対しても配慮ができ、相互支援しあえる健全な対等関係を築いていけるようになることが、本当の最終目標なのです。
そんな究極のゴールに少しでも近づくために、第二言語学習(特に、英語学習・教育)は大きな役割があると私は考えています。壮大な話になってしまいましたが、このような思いを胸に、現場での実践はもちろん、SNSでの発信を頑張っていきたいと思います。
参考文献
伊藤亜紗 (2018). 『どもる体』医学書院.
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