母が特殊詐欺に遭った日
2024年9月6日、金曜日。母が特殊詐欺の被害に遭った。
神奈川県の川崎市で母とふたりで暮らしている。母は81歳、私は53歳。母は2年前に心筋梗塞を患い、猛暑となった今夏は熱中症の疑いで2度ほど救急搬送されるなど健康面の不安は増しているが、年齢の割に頭(脳)はしっかりしているほうだと思う。以前、テレビのニュースで「ストップ! 特殊詐欺被害」というコーナーを一緒に見ていたとき、「なんでこんなのにダマされるのかね」といった他人事のような発言をしていたのを覚えている。
母からのショートメール
「速く帰ってき(く)ださい」。私のスマホに母からのショートメールが届いた。20:21だった。私は東京都千代田区にある会社に勤務しており、そのときは仕事を終え、帰宅中の東急東横線の通勤快速に乗っていた。
母の体調が悪いのかと思い、自由が丘駅で途中下車し、駅のホームから電話をかけた。すると、やや沈んだトーンの声で「詐欺にあったかもしれない」と言う。何があったのかを聞くと、区役所から電話が来て、古いキャッシュカードを渡してしまった、とのことだった。
このときは詳細がよくわからなかったが、とにかく銀行に電話してすぐに口座を止めるように伝えると、さっきから電話をしているがつながらないと言う。金融機関は川崎信用金庫(通称:かわしん)であった。
私はあと30分くらいで帰ると伝えて電話を切り、駅のホームで電車を待った。その間にスマホでかわしんの緊急連絡先の電話番号を調べた。約5分後、到着した各駅停車に乗った。焦燥感が募る。
知人の機転
20:30。ショートメールが入る。母は1~2週間に一度、短時間でホームヘルパーのパートのような仕事をしているのだが、その訪問先の女性からだった。社交的な母はこの女性と親しくなっており、そのつながりで私もこの女性とは何度かショートメールのやりとりをしたことがあった。
「母と電話をしていてキャッシュカードの件を聞き、すぐに詐欺だと伝え、母の了承を得たうえで警察に連絡をしました」とのことだった。助かった。
電車が日吉駅に着いたとき、高津警察署から電話が入った。私はまだ状況がつかめていなかったが、母が詐欺被害に遭ったらしいことを伝えると、「現場検証のため、あとで自宅に行くが、犯人の指紋が玄関に残っている可能性があるので、玄関から家に入らないでほしい」と告げられた。
口座の凍結
電話を切ったあと、駆け足で駅のホームを出て、タクシー乗り場に向かいながら、かわしんの緊急連絡先に電話をかける。すぐにつながり、担当者に事情を話し、早急に口座を止めてほしいとお願いする。そのときの私は、キャッシュカードを渡してしまった口座の店舗や口座番号がわからなかったため、名義(母の名前)を伝え、その名義の口座をすべて調べてもらった。
電話が保留音になっている間、私はタクシーに乗車した。そのまま保留音が続き、約10分後に自宅近くに着いた。名義から口座を調べるのは時間がかかるようだ。
タクシーから降り、私は玄関の外からドアをノックし、母が中から玄関まで歩いてきたところで、居間の窓を開けてもらうように頼み、そこから家の中に入った。母は取り乱している様子はなく、ふだんとあまり変わらなかったが、表情は疲れているように感じた。
この間もかわしんとの電話はつながったままで、保留音のままだった。いま口座を止めるお願いをしていると母に伝えると、母は口座はさっき止めることができたと言った。つながらないと言っていた電話がつながり、凍結することができたようだ。
引き出されていた50万円
かわしんの担当者が再び電話に出たあと、すでに凍結できていたことを伝え、その連絡ができなかったことを詫びた、そのあとに、口座から現金が引き出されたどうかを確認できないかと聞いた。この電話ではそれはわからず、店舗のATMで通帳記帳するしかないとのことだった。自宅から最も近い日吉支店で何時まで記帳ができるかを聞くと、22:00までとのこと。このとき、時刻は21:00頃。間に合いそうだ。
キャッシュカードを渡してしまった通帳を母に見せてもらうと、約170万円が入っていた。おそらく犯人はキャシュカードを受け取ったあと、すぐにATMでお金を引き出しているはずだ。カードの暗証番号も電話で伝えてしまっているようだ。
お金が残っている可能性は低いと思ったが、私は車の助手席に母を乗せ、かわしんの日吉支店に向かった。その前に高津警察署に電話をして、自宅に来るのは22:00以降にしてほしいと頼んだ。
約10分で店舗に到着した。ATMに向かい、通帳を入れる。ATMの中で機械が印字をする音がする。やはりダメだったか……。通帳が戻ると、50万円が引き出されていた。1日に引き出せる限度額が50万円だったようだ。車の中で待っていた母に伝えた。全額が引き出されなかったことを不幸中の幸いと考えるべきだろうか。安堵感と悔しさが入り混じったような不思議な感情を覚えた。
21:30頃に帰宅。私は夕食として麻婆豆腐を食べた。母が用意してくれていたものだ。本格的な四川風の味つけだが、冷めていたこともあり、あまり辛さを感じなかった。気持ちを落ち着かせるために缶ビールも飲んだ。
通帳を再度確認すると「取扱店036」と印字してある。スマホで調べると、子母口支店であることがわかった。自宅から徒歩15分くらいの場所である。
警察による事情聴取
22:30頃、高津警察署の刑事がひとり、鑑識の人がひとり、近所の交番の警官がひとり、計3人が自宅に来た。
鑑識の人が黒っぽい色の粉を玄関ドアなどに振りかけている。刑事ドラマでよく見た光景だ。ドラマでは白い粉を使っていた印象があったが、このときは黒い粉だった。犯人の指紋を採取しているのだろう。
その間に居間で、刑事と警官、母と私がテーブルを囲んで向き合って座り、事情聴取が始まった。刑事が母に質問し、事件の流れを時系列でたどっていく。刑事の眼光は鋭く、質問にも一切の無駄がない。ここで事件の概要が明らかになった。
高津区役所保険課のヨシダからの電話
2024年9月6日、金曜日。14:00頃。川崎市高津区役所の保険課のヨシダという女から自宅の固定電話に電話がかかってきた。声は50代くらい。「累積保険料減額についての通知書を送ったが、届いていますか?」という内容だった。通知書の封筒の色はブルーだという。
電話をつないだまま、母が封筒等を保管してある棚を確認するが、見つからない(そんなものは届いていない)。その旨を告げるとヨシダは「平成26年から31年の5年間の減税分、1万7,389円を返還したいので振込先を教えてほしい」と言った。ヨシダの丁寧な語り口と、リアリティのある金額を聞き、この申し出を信用してしまった母は、口座を持つ川崎信用金庫の口座に振り込んでほしいと伝えた。すると、「では、このあと川崎信用金庫の担当者から電話がいきます」と言われて通話が終わる。
川崎信用金庫本店のアライからの電話
14:15頃。川崎信用金庫本店のアライという男から電話がかかってきた。声の印象は、やはり50代くらい。前述の還付金の話のあとで、キャッシュカードの話に展開し、アライいわく「カードに名前や番号が刻印してあるカードは古い形式のものなので、それをATMに入れると機械が壊れてしまい、他の人が使えなくなってしまう。だから、手持ちのキャッシュカードを確認してほしい」。
母がカードを確認すると、名前も番号も刻印してある。そう告げると、「その古いカードを持って今から本店に来てほしい」と言われた。
急な話であり、自分は高齢でもあるので、今からは行けないと母は断った。すると「これは口外しないでほしいのだが、郵便局が自宅まで古いカードを取りに行き、それをかわしんまで届けるサービスをやっているので、それを利用してほしい」とのこと。
それならば、と母が了承すると「郵便局のカワムラという者が取りに行くので、カードを用意しておいてほしい」と告げられた。17:00頃に行くとのことだった。
また、母は正確に記憶していないのだが、キャッシュカードの刻印などの話をしているなかで、暗証番号を伝えてしまっていたようだ。
ここまでの話を聞くと、特殊詐欺であることは明白だと思うのだが、実際に電話で話をしているときは、詐欺グループの巧妙なシナリオと電話をかけてきた者(かけ子)の高い演技力に完全に飲み込まれてしまい、冷静さを保つのが難しかったようだ。
これが特殊詐欺がなくならない要因のひとつなのだろう。
郵便局のカワモトの訪問
17:45頃。予定の17:00より少し遅れて、玄関のインターホンが鳴った。母がドアを開けると、そこに立っていたのは20歳くらいの男。身長は低く、155~160cmくらいで、体型は瘦せていた。服装はブルー系のシャツに長ズボン(色は不明)、靴はスニーカー(色は不明)。色白の丸顔で、マスクはしていなかった。風邪をひいているのか、鼻水をすするしぐさをよくしていたらしい。これが郵便局のカワモトを名乗る男だった。いわゆる受け子という役割の者だろう。
郵便局の人と聞いていたので、制服を着た郵便配達員が来ると思っていた母は少し意外に感じたようだが、この時点でも特殊詐欺と気づくことはできなかった。悔やまれる点のひとつだ。
また、いま思えばカワモトは終始オドオドした態度だったという。この仕事を始めたばかりなのかもしれない。闇バイトでたまたま特殊詐欺に手を染めることになってしまったのだろうか。日本語は話していたが、もしかしたら外国人だったかもしれない、と母は振り返る。
カワモトは玄関の中に入るなり、クリアファイルから細長い茶封筒を取り出し、その口を開け「ここにキャッシュカードを入れてほしい」と言った。その指示どおり、キャッシュカードを入れる母。カワモトは封筒の口を閉じ、すばやく糊づけをした。もともと糊(または粘着テープ)がついているタイプの封筒だったようだ。
そして「糊づけをした部分に3か所、割り印をしてほしい」と母に頼んだ。指示どおり、押印する母。その封筒を手にし、カワモトは足早に去って行った。
一部始終を聞き、メモを取り終えた刑事は、インターホンの画像を確認した。録画されている画像を見ると、ある男の姿が映っていた。画像の解像度が低いため、顔は認識できない。
自宅のインターホンは日時の記録ができないタイプだったため、訪問日時はわからなかったが、画像は時系列で保存されているため、直近の訪問者であることは確かだった。母に画像を見てもらうと、そうかもしれないが、よくわからないと言う。刑事は画像の写真を撮った。
この男がカワモトなのだろうか!?
受け子、カワモトの顔
次に、刑事は固定電話の子機を手に取り、着信履歴を確認したが、番号は残されていなかった。
鑑識の作業が終わり、鑑識の人が母にカワモトの顔の印象を聞いた。印象をもとに似顔絵を描くことができるという。「髪型は?」「目は大きいか小さいか?」「目は一重か二重か?」など、いくつかの質問を受けたが、母は、丸顔、色白……くらいしか思い出せなかった。
すると、髪型や目などのさまざまなパーツが描いてある紙を見せられ、この中から近いものを選び、似顔絵をつくることもできると鑑識の人は言った。だが、母の記憶が鮮明でなく、またこの時点で深夜0:00を過ぎており、母の気力・体力も限界に近いと感じ、私は申し訳ないが、これ以上は無理だと告げた。
指紋の採取
そのあと、カワモトの指紋が採取できた場合、この家の住人(母と私)の指紋とは異なることを確認するため、母と私の指紋を採らせてほしいと言われた。母と私は了承し、左右の五指1本ずつ、そして左右の手のひらも小型のタブレットのようなものに押しつけ、そのあと指と手のひらを紙に押しつけた。
最後に、現場での再現写真の撮影を行った。カワモトが玄関に入ってきた場面、母がカードを封筒に入れた場面など、警官と刑事がカワモトと母の役になり、立ち位置などを母に確認しながら撮影していった。
すべての作業が終わったあと、刑事に被害届を出すかどうかを聞かれた。反射的に「出します」と私が言うと、その手続きが必要になるので、後日、高津警察署に来てほしいと言われた。そのときに供述調書も作成するとのことだった。
そして、刑事たちは自宅から去った。この時点で深夜1:00頃。長い夜だった。疲れ切っていた母はすぐに就寝した。だが、悔しさと後悔の念に脳を支配され、深い眠りにはつけなかったようだ。
お金は取り戻せないのか!?
私はシャワーを浴びたあと、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、2階にある自分の部屋に向かった。パソコンを立ち上げ、缶ビールを開けた。飲みながら、ネットで特殊詐欺について調べてみる。
今回のような手口は「還付金詐欺」というらしい。お金を取り戻す方法はあるのかを調べてみると、国に「振り込め詐欺救済法」という法律があることがわかった。ただし、その内容は、被害者が犯人の口座にお金を振り込んでしまい、その口座にお金が残っていた場合、被害回復分配金の支払いが行われるというもので、母のケースのようにキャッシュカードを犯人に渡してしまっている場合は適用外のようだ。
念のため、後日、かわしんに問い合わせてみたが、やはり救済法からは適用外のようで、残念ながら今回のケースを補償する手立ては現在のところない、と言われた。犯人が見つかったあと、その犯人を相手取り、民事裁判を起こすことは可能だが、それでお金が戻ってきたケースはほとんどないようだ。ネットには「特殊詐欺被害、相談無料」などと書かれた弁護士事務所の広告も散見されるが、50万円の被害額では裁判費用のほうが高くついてしまうかもしれない。
ダマされたのがバカだったと、諦めるしかないのだろうか。
警察庁のサイトを見ると、昨年(令和5年)の特殊詐欺の認知件数は1万9,038件、被害額は452.6億円。被害は大都市圏に集中しており、母と私が暮らす神奈川は2,025件だった。日本全体での1日当たりの被害額は1億2,399万円、1件当たりの被害額は243.8万円とのこと。 その金額の大きさを知り、あらためて驚いた。今年(令和6年)のデータには、母が騙し取られた50万円も計上されるのだろう。
翌朝、ダイニングで母と顔を合わせた。いつもは陽気な母だが、やはり少し元気がない。それから数日間、時折「悔しい」「憎たらしい」といった言葉も吐いている。 だが、時は進み、人生は続く。こうした苦難も教訓として受け入れ、また50万円で済んだことをラッキーと捉えて、前に進むしかないのだろう。心の傷は時間が少しずつ癒してくれるはずだ。
高津警察署の取調室へ
9月10日、火曜日。私は午前中の仕事を休み、母を連れて車で高津警察署へ向かった。午前8:45。1階のロビーで待っていた私たちの前に、先日の刑事が現れた。表情は穏やかだが、やはり眼光は鋭い。この刑事のアテンドで、2階の取調室に案内された。通常は会議室に案内されるようなのだが、この日は会議室が空いていないのだという。
取調室にはスマホを持ち込んではならないルールがあり、母と私のスマホを室外の小箱に置き、3畳ほどの部屋に入る。厚いアクリル板が中央に置かれたスチール机の奥に母と私が座り、その正面に刑事が座った。刑事ドラマでよく見る取調室のイメージそのままのような部屋だった。容疑者の取り調べでは、いまもかつ丼が出されたりするのだろうか。そんなことをふと思ってしまった。
被害届と供述調書の草案は、先日の自宅での聞き取りをもとに、すでに刑事がパソコンに入力していた。その内容を刑事が読み上げ、齟齬がないかを母が確認した。内容に概ね問題はなく、刑事は被害届と供述調書をプリントアウトし、その紙を母に手渡し、改めて文書での内容確認を求めた。母が確認した紙を私が受け取り、念のためダブルチェックをした。
私が文面を読んでいるとき、内容にかかわる修正ではないが、1か所、誤字を見つけた。「口外」が「公害」となっていた。編集という仕事をしているため、どうしても誤字脱字が目についてしまう。刑事に指摘すると、鉛筆書きで修正を入れていた。
防犯カメラに映っていたカワモト
文書の確認が済み、母が署名と押印をしたあと、若い刑事が数十枚の写真を持って部屋に入ってきた。自宅の裏に小型スーパーのまいばすけっとがあるのだが、その防犯カメラにカワモトらしい男が映っていたという。
アクリル板越しに写真を見せてもらうと、顔がわかるような解像度ではなかったが、薄いブルーの長袖シャツを着て、黒いパンツをはき、黒いリュックを背負った、小柄で痩身の若者が写っていた。まちなかのどこにでもいる、普通の大学生のような雰囲気だ。
写真の男は、自宅のインターホンに映っていた男と同一人物だと思われる。母も写真を凝視し、犯人はこの男に間違いないと確信した。
この若者が犯人グループのひとり、いわゆる受け子であることは、どうやら間違いなさそうだ。ギャンブルなどで借金を負い、または何らかの事情でお金に困り、闇バイトに応募してしまったのだろうか。テレビのニュースなどによると、受け子は特殊詐欺グループの末端であり、使い捨ての駒のような存在だという。仮にこの若者が捕まっても、その上層にいる犯人たちを捕まえるのは難しいのだろうか。
いや、そんなことを考えている場合ではない。おそらく、この若者が実行犯なのだ。なんとか捕まえて、お金を取り戻す方法はないものか。
刑事いわく、ATMで現金を引き出した犯人、いわゆる出し子も同一人物の可能性が高いという。それを聞いた私は、ATMの防犯カメラには顔が認識できるような画像が映っているのではないかと思い、刑事に聞いてみたが、これについては現在申請中のため、いま見せられる写真はないとのことだった。
この日のひととおりの作業が終わった。このあとの流れを刑事に確認すると、犯人が捕まった場合はその身元について連絡するが、捜査の進捗状況は教えられない、とのことだった。
静かな日常へ
2024年9月14日、土曜日。三連休の初日だ。母はいつものようにホームヘルパーのパートに出かけた。11時頃には帰り、そのあとかかりつけのクリニックに行くので、車で送ってほしいと頼まれている。
病院のあと、外でランチをする予定だ。嫌なことがあったときは、美味しいものを食べるのがいい。
母と私の日常生活は戻った。
心の痛みはまだ癒えていない。
刑事からの連絡はまだない。
刑事からの電話
事件から約1か月が経った。夏の暑さはまだ続いているが、少しずつ秋の気配を感じ、過ごしやすくなってきた。
テレビのニュースでは、一般市民が自宅で監禁や強盗、そして殺人に遭ったという恐ろしい事件の報道が続いている。実行犯はいずれも、秘匿性の高いアプリを使用し、闇バイトで集められた者たちだという。そのうち何人かは逮捕されており、その顔がテレビに映し出されるたびに「自宅を訪れた受け子ではないだろうか」と注意して見るが、どの男も印象が異なる。テレビで見る逮捕者は人相が悪く、〝いかにも〟な面構えをしていることが多いが、自宅に来た男は(人相までは確認できていないのだが)全体的にやわらかい印象を感じる。
会社で仕事をしているとき、スマホが鳴った。高津警察署の刑事からだった。受け子が捕まったのかと思ったが、そうではなく、犯人らしき男の写真を確認してほしい、とのことだった。受け子が信用金庫のATMで現金を引き出したとき、防犯カメラに映った画像だろうか。
私は母の予定を確認し、再び高津警察署へ行く日時を決めた。
面割り
10月16日(水)。約2週間前に休日出勤した際の半休を取得し、16時に帰宅。車に母を乗せ、再び高津警察署へ向かった。
約束の16:30の少し前に到着し、案内係の人に要件を伝えた。5分ほどして、若い刑事が訪れた。特殊詐欺対策チームのメンバーとのことだった。そのすぐあとに、いつもの刑事もやってきた。案内されて部屋に入ると、前回と同じように、中央にあるテーブルに厚いアクリル板が立てられている。アクリル板を挟み、刑事ふたりと向かい合って座った。
若い刑事が母に質問する。前回、調書を取ったときと同様に、受け子の顔の特徴を聞いてきた。「髪型は?」「目は二重か一重か?」……母は前回同様、「色白」「小柄」……といった回答しかできなかった。
そのあと、「これから写真を見せます。この中に犯人がいるかもしれないし、いないかもしれない。犯人がいたら、その写真を教えてほしい。また、この写真の目が犯人に似ているなど、そうしたこともあれば教えてほしい」と説明を受け、写真台帳と書かれた書類を見せられた。
写真台帳はA4サイズで、1ページに6枚の顔写真が掲載されている。このときは4ページ分、合計24枚の顔写真を確認した。いずれも20代前半くらいに見える男たちだ。写真を凝視する母……そして「この中にはいない」と小さくつぶやいた。
私も写真を確認したが、全体的に〝いかつい〟感じの顔が多く、自宅に来た〝普通の大学生のような〟雰囲気の男はいなかったように思う。
この作業を「面割り」と呼ぶことを、あとから刑事に聞いた。目的は「特定の人物を割り出すため、事件の被害者や目撃者らに複数の人物の写真を見せ、その中から選んでもらう」ことだそうだ。
母も私も、犯人の顔がはっきりと写った写真を見ることができると期待していたので、いささか拍子抜けしてしまった。「受け子がATMで現金を引き出したとき、防犯カメラに映っていたのでは?」と刑事に聞いてみたが、「それは把握している」という返事のみ。その写真を我々が見ることはできないようだ。
捜査は進んでいるのだろうか。犯人は捕まるのだろうか。警察署から自宅に戻る車の中で、心の中で疑問や不安が大きくなっていった。