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【生成小説】つながり
会議室の革張りの椅子が軋んだ。
私は言葉を紡ぐ前に、深く息を吸い込んだ。
空気の冷たさが肺の奥まで染み渡る。
「やめます」
その一言が、艶のある木目のテーブルを伝って、ゆっくりと広がっていく。
幹部たちの呼吸が、一瞬止まった。
理事長の分厚い指が、テーブルを軽く叩く。
トン、トン。その音が会議室に響き、私の胸を締め付けた。
「どういうことだ?」
私は自分の手のひらに残る感触を思い出していた。
先週、新入会員の女性が涙を流しながら握った手。
ノルマに追われ、疲れ果てた目をしていた彼女の手は、冷たく震えていた。
「私たちの組織は、人々を救うためのものだったはずです」
私の声は、意外なほど落ち着いていた。
「でも今や、組織の拡大が目的になってしまっている」
コーヒーの香りの染みついた古い応接室。
そこで私は五年前、この団体に希望を見出していた。
人々の目が輝き、互いの言葉に耳を傾け、温かな笑顔が行き交う場所。
しかし今、その部屋には堅苦しい空気が満ち、「正しい生き方」という重たい鎧が、壁という壁に貼り付けられていた。
「我々の理念を否定するのか?」
理事長の声が、冷たい刃のように空気を切り裂く。
「いいえ」
私はゆっくりと立ち上がった。春の陽が窓から差し込み、頬を優しく撫でる。
「理念を守りたいからこそ、ここを去ります」
一ヶ月後。
小さな一軒家に設けたカフェの古びたドアベルが、優しい音を響かせる。
私は温もりの残るマグカップに緑茶を注ぐ。
茶葉の香りが、午後の空気にふわりと溶け込んでいく。
色褪せた木の床は、訪れる人の足音を優しく受け止める。
本棚には、背表紙の擦れた本たちが、それぞれの物語を静かにたたえている。
決まった教義も、艶やかなパンフレットもない。
ただそこにあるのは、一人一人の心の重さを受け止められる、ゆったりとした時間だけだ。
「自分の生き方を見つけたくて」
「誰かと話がしたくて」
「ただ、ここの空気が好きで」
人々は、それぞれの理由を胸に抱いてやって来る。
誰かと熱心に語り合う者もいれば、窓際の柔らかな日差しの中で、静かに本を読む者もいる。
ある夕暮れ、かつての団体の仲間が訪れた。
その目は、疲れを脱ぎ捨てたように、少しだけ輝いていた。
「私も、自分で考えたいと思って」
私は微笑んで、温かな紅茶を差し出した。湯気が、二人の間で小さな渦を描く。
「ゆっくりでいいんですよ」
夕陽が窓ガラスを染めていく。この場所で、誰もが自分だけの道を探している。
遠回りかもしれないけれど、一歩一歩が、確かな足跡を刻んでいた。
(終)