倉吉の意識に脱帽
2024年はご存じのとおり、儘ならぬ身の置き所で、9月初頭の「倉吉せきがね里見まつり」への参加が出来ませなんだ。ただでさえ鳥取は遠い。
ここで、あらためて。
安房の戦国大名里見忠義が、大坂冬の陣を目前にした時期に安房領を召し上げられ減封改易として伯耆国倉吉へ移転を命じられたこと。徳川家康もひどい奴だと云いたい処だが、里見家も時代の情勢において決して恵まれた立場ではなかった。
ただ不幸な結果としかいえない。
その不幸な改易大名は、この地で御家滅亡を迎えた。
倉吉と総じているが、合併前の旧関金村が、里見忠義終焉の地である。地域では東国からきた悲運の殿様への、同情が大きかった。
その想いは合併した後の倉吉市にも受け継がれた。
ただ行政も巻き込んで、ここまで大きなイベントに昇華した影には、地域に根差した運動もプランナーもあったことだろう。しかし大きく育ったことで倉吉市における里見は、観光にも経済にも効果を生むコンテンツになったことは間違いない。
この経緯が右肩上がりだとしたら、房総はさしずめ真逆といえる。
甲冑行列で里見を冠するのは、2024年においては、せいぜい久留里城まつりだろう。それさえも主役は城である。
「里見義堯没後450年」
夢酔はずっと叫び続けた。久留里は応えることができたのだ。
正直、それだけでも素晴らしいと思う。
館山市は公開される映画に併せてシンポジウムが出来たようで、夢酔も招待を頂いている。
でも、南総里見まつり時代から「八犬伝」ありきで、里見正史ではない。そういう立ち位置だった。その南総里見まつりも絶えた。いまは武者が館山市中を練り歩くこともない。
倉吉と、真逆と申した意味がお分かりになられたでしょうか。
ここまで温度差があるなら、いっそ里見忠義を主役にして倉吉が大河ドラマの招致をしちゃえばいいのにと思う。たぶん、これは夢酔個人の私見ではない。
これまでNHKまで足を運んで陳情に及んだ「里見氏大河ドラマ化実行委員会」でも、ここ数年で官民体制になった。10年以上民だけでやってきて、官は参加しなかった。進歩はしたが、里見の誰をというビジョンを明確に打ち出そうという声を一度も聞いたことがない。
会長と夢酔だけはずっと「里見義堯-義弘時代推し」を共有しているが、下手すると実行委員会では里見の歴史も人物も理解していない方がおるのではあるまいか。
「里見義堯-義弘時代推し」には大きな利点がある。
① 誰も映像でみたことのない戦国江戸湾の、北条との制海権を巡る海戦。
これに触れることには大きな意義がある。
② 青岳尼の存在も、女性を彩らせるエピソードだ。
古来、サムライが尼僧を奪いかどわかして辱めるのは多々あった。
里見義弘は尼僧を奪い正室に迎えた。こんな戦国大名は例がない。
③ 勿論、青岳尼の生家は小弓公方足利家。
この因縁から、二度の国府台合戦を描くことが出来る。
過去、大河ドラマで国府台合戦を扱ったことは恐らくない。
里見をスルーしているのだから当然か。
④ そして、長く本多忠勝を大河にという大多喜町とは食い違いもあるが、
里見義堯-義弘時代は正木統治の時代、大多喜とも手を取り合える。
少なく挙げ連ねても、こんなに利があるのだ。
そのことを実行委員会でも理解いただけたら嬉しい。
が、人は心。真心で動く生き物だ。
毎年毎年、行政のトップも議員も、その最期を想い400年以上経ったいまなお、こうして祭事にて頭を下げることが出来る。倉吉にあって、房総にないこと。
こちらが大河招致に動いたら、人は情としてこちらを推したくなる。
無理らしからぬ事だ。
どうか、現実行委員会は肝に銘じて欲しいのです。安房だけの里見ではないということを。
2024年、倉吉せきがね里見まつりが無事に開催されましたことをお慶び申し上げます。