母とわたし 遅めの反抗期
何日か前、母が東京に遊びにきた。
楽しみにしていたけど、母と一緒にいるのは正直1日で十分だなと思った。
母との関係でいろいろ思うところがあったから、久々にnoteに書いて気持ちを整理してみる
物心ついた時から父が単身赴任をしていたから、
家のことはずっと母が1人でこなしていた
毎日毎日家に帰ってきたら暖かいご飯が用意されていて、お風呂が沸いていて、ふかふかの布団がある
そんな何不自由なく安心できる生活を、
そのありがたみに私が気がつく隙がないくらいに当たり前に整えてくれていた
小さい時から、私がやりたいと言ったことも基本的に肯定してくれていたし、
学校でうまくやっていけなかった時期にも、そんな私を見かねて息抜きにと旅行に連れていってくれた
そして一人暮らしを始めてからも、しんどい時に何時間も電話で話を聴いてくれたし、そこでかけてもらった言葉に何度救われたか分からない
1人暮らしを始めた当初、小さい頃から何だかうっすらと感じていた生きづらさやしんどさが、表面にはっきりと現れてくるようになった。
今までも存在はしていたけど、感じられていなかったような気持ちが表面化してきたような。
だから母に電話で話を聴いてもらう時間は増え、しんどさの理由を明確にすることも多くなった
その結果、どんどんとその生きづらささみたいなものを無くすことができるようになった
母がかけてくれる言葉たちのおかげで立ち直っていって元気になった大学生の頃の私は、どんどん自分の弱いところにも目を向けられる余裕が出てきた
だけどそうやって自分の弱い部分を見て改善しようとしたときに思ってしまったのは、今まで感じていた生きづらさが母のせいだったのかも、ということ
母はテレビを見ながらアイドルやアニメや俳優を否定する
母のする提案には、優しい語り口調なのに否定させないような圧があって断れる隙がない
母は相手の反応を見ずに一方的に話し続ける
母に何か違う意見をすると不機嫌になる
こういうのがずっと日常にうっすらとある感じ
家族だったら気を許せるからこういうのって当たり前なのかもしれないけど、
正直ずっと一緒にいると本当に疲れてしまう
でも普通に優しいし、これ良いよね、って私が言ったものを肯定してくれることも全然あったし
本当に周りから見たら普通に良いお母さんで、だからこそ幼いわたしは
これが当たり前なんだ、このなんとなく感じる違和感とかしんどさは通常なんだ、と受け入れる選択肢をとってしまった
今思うと、親に好かれようと媚を売っていたんだなと思う。
母からうけるなんとなくの不快感を受け入れる習慣がついたことで、
暑い、寒い、お腹が空いた、喉が渇いた、とかそういう生理的な欲求が生まれた時(つまり不快な感じがしている時)に、自分は今不快なんだ、
ということに気がつきにくくなっていった
暑くても冷房をつけなくても何も感じないけど、
実は身体が暑いよ〜って悲鳴を上げていて知らぬ間に倒れちゃう、みたいな感じ
ただ実際は私が気がつく前に親がクーラーをつけてくれて、ご飯を作ってくれていたから倒れずに済んでいたけど
それはつまり、
母がいないと何もできないわたし、がどんどんと作りあげられていたということ
そう過保護
だからこそ、母が私の生きづらさの要因なわけがないとその考えを振り払っていた
今までの20年間くらいで自分が信じてきたものを否定してしまったら、
私が今まで作ってきた考え方とか、やってきたこととかどうなるんだろう
それをぜんぶ否定することになって、
そうすると自分には何も残らないんだ、ということがなんとなく分かっていたから、すごく怖かった
今となれば、この
母を否定する=今までの自分を否定する、っていう方程式が出来上がってしまっていたことこそ
すでに母に染まりすぎていることを示していたなと思うのだけど、
この時はまあ気がついていないから、というか気がつきたくないから
必死に見てみぬふりを続けた
でも
母がわたしを自分のもとにおいておくために
何もできないわたしを無意識のうちに作り出していたのは事実だけど、
結局その母の作った仕掛けに入っていったのは紛れもなくわたしの意思によるもので、いくら小さかったからとはいえ、
親に好かれようとしたわたしに責任があるんだよな
だから今度こそ自分の責任で
母に分かってもらえなくても、好かれなくても良いように距離を置くのが今の自分にできる精一杯かなと思う
わたしがちゃんと成長して自分が確立されたら、
母と笑って話しても母の世界に引き込まれてしまうことはないんだろうけど
今の自分だとすぐに揺らいでしまうから、少しだけ反抗させて欲しいなと思う
これを反抗期っていうんだ!(遅い)
母から距離をおけばおくほど本当に何も無くなってしまっていくなと実感しているけど、
それに比例して毎日がどんどん楽しくなっていっているから、
母への感謝は頭の片隅におきつつも、自分をちゃんと生きようと思うわたしなのでした
おわり
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