小欲で生きよう
わたしは、感謝のきもちでなるべく生きていきたいと思っている。感謝のきもちで生きれば、毎日喜びをもって楽しく生きられると思うからだ。
この頃、感謝のきもちになる時間がふえているように思う。その感謝の材料にしているのが、『手が動くこと』への感謝だ。
この手が動くことへの感謝、以前は難しかったのだがこの頃分かるようになってきた。手を見て、その動くのを見ていると不思議に思うのだ。
例えばいま、携帯で記事を書いているのだが、手でキーをパタパタと押していくこの早さ。見ていると首をかしげて不思議に思う。
そう思ったところで、ありがたいなぁという気持ちになる。ありがたいという気持ちでいると、こころが満たされたような気分になる。
これがすごく幸せな気持ちなのだ。
この世の中ってみんな幸せになりたくて生きていると思うが、感謝ひとつでいま、幸せになることができる。
感謝のきもちになると不思議と、感じかたが変わってくる。わたしの場合、もう何も要らないやって思った。なんだか満足してしまったのである。
これは理屈じゃなく、パッとそう思った。そしたら、すごく気が楽になってきた。
感謝のきもちは意外と長続きさせるのはむつかしく、しばらくしたら悩みや不平不満のせかいに浸っていることにきづく。
今日も、何か物足りなくて本を広げたり、携帯をみて情報を集めたりと、欲から動いていた。するとなんだか、頭が痛くなってくるし、たいした情報をもえていない。
でも、ここで『手が動くこと』を思い出して感謝のきもちを起こして、楽しむつもりで本を読めばまたせかいは変わる。楽しんで読めるのだ。
同じ行動でも、欲で動くのと、感謝でうごくのとでは全然ちがう。
斎藤茂太さんの著書『いい人生は「ありがとう」がつくる』では、小欲でいきることをおすすめしていた。
小欲であると、満たされたきもちになり今のものに感謝できる。そして、わたしが気に入った言葉は、小欲で生きることによって1日に何度も幸せなきもちになることができる。というものだ。
私もそれを目指している。この『手が動く』のをみて感謝へ戻してを繰り返して。そして、この手にかんしゃしている。