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四話 宿縁3
蝉里は深呼吸をした。
(こんな若い姿で生きているはずがない)
生きていても百歳越えの老人だ。だから怯える必要はない――――。
「……身内に、常遠って名前の人いたりするかい?」
「ああ、いるよ。常遠様とは半分の半分? くらい血が繋がっている」
あっさりと自分が将軍家の人間と認めた男は、値踏みするかのような観察眼を蝉里へ向けた。
「ちなみに私の名前は俊正。一応、俊遠の血筋」
俊正は刀を鞘へ納めてにんまりと笑った。
「ここら辺は複雑だから、あまり説明したくない」
愛嬌のある話し方は常遠とは似ても似つかない。だが、心の内を簡単に見せないような構えはどことなく似ていた。
「そういうお兄さんは…………」
俊正がゆっくりと蝉里に近づいた。一歩、一歩、蝉里をじっと見つめながら、何かを見定めるかのように、低い位置にあった蝉里の顔を持ち上げた。
「――きれいな目の色をしているね」
「……胡人の色だよ。ていうか、近い」
蝉里は俊正の手を振り払った。
「御伽話で聞いたような目だったから、つい夢中になっちゃった」
ごめんと謝りながら一歩下がる。開いた距離に蝉里は胸を撫で下ろした。が、興味の対象が小刀に移った俊正は蝉里の腕を掴み、ためつすがめつ小刀を眺めはじめた。
「こっちは不思議な刀だね。触っても熱くないや」
大きな子どもに言葉をかけるのが面倒になってやりたいようにさせていると、暗闇の奥から松明の色が近づいてきていた。
重たいもの運んでいるような足音はやがて影となり、手をつなぐ清文と山雀の姿へと変わった。ありがたいことに、蝉里の行李も運んできてくれていた。文清は蝉里と俊正を見比べ、
「仲良しになるのが早いな?」
などと宣った。
◇ ◇ ◇
「つまりなんだ、赤気を消すために神様の火を集めて奉納するのが、お前さんの役目ってことか」
林中の窪みまで移動した一行は、そこで一夜を明かすことに決めた。
山雀は小刀を胸に抱いて文清の隣で丸くなっている。文清は持参していた梅干しを少しずつかじりながら蝉里の話を聞いていた。
「そういうこと。んで、その火の一部が清野の遺品だっていう小刀に宿っていたってわけだ」
蝉里はあえて宿願の全てを語らなかった。
(祖父さんが大切にしていた一族が復讐をしたがっているなんて、言えやしない)
彼地の民の宿願とは、畢竟ただの報復だ。
気の遠くなるような昔、まつろわぬ神として炫智神は王権側の神々に討たれた。討ったのは健津夜藝速日真神という神だ。
炫智神の伴侶は騙し討ちされ、子どもたちもひとりを残して皆が死に、炫智神自身も惨い扱いを受けた。不死ゆえに動き続ける体は山に封じられ、魂は粉微塵に砕かれて各地にばら撒かれたのだ。
足掻いた神は砕かれる直前、怨念を残した。
真神の血筋を絶やす執心が込められた怨念は、彼地の民に託され、今なお息づいていた。
蝉里は穏やかな寝息を立てる山雀を眺めた。
人によってその濃さは異なるが、山雀はおそらく、今いる清野の血筋の中で一番濃く受け継いでいる。
「文清はどうする? 彼地まで行くのか?」
「もちろん行くに決まってる。爺様に一等可愛がられた恩は果たさにゃならん。それに、お前さんと出会ってなおさら己の由来を辿ってみたくなった」
「そっか。そっちは?」
俊正は木にもたれながら瞼を閉じている。が、注意はこちらに向いていた。
器用に片目を開けた俊正は、何を考えているのかわからぬ瞳に蝉里を映した。
「私は山雀についていくよ。元々、この子の家から手伝いを頼まれているからね」
山雀は間違いなく彼地まで行くと言い張るだろう。というより、炫智神の怨念が山雀を彼地へ引き寄せてしまう。
面倒になったな、と思った。蝉里としては、滅んだ原因である俊遠の、その後胤に彼地の土を踏まれたくなかった。
俊正にこたえたのは文清だった。
「将軍家の身内は許さないんじゃないのか?」
「言ったでしょ、私の生まれは複雑だって。名前ちらつかせて問題を起こさなければ放置だよ」
余計なことを言わせた文清は「すまん」と小さく謝った。
「ふたりとも、気まずくなるくらいならもう寝ちまえ。旅するなら体力回復は重要だぞ」
「なんだ、急に年長者面しよって」
「私はまだ眠くない。そういう蝉里さんは?」
「俺も眠くない」
こたえると、俊正はいたずらっ子のようににんまりと笑った。
「蝉里さんってさ、むかーしに晒し首にされた罪人と同じ名前だよね」
「言われてみるとそうだな」
蝉里は焚き火に枝を足した。
「その罪人ってさ、生き返って逃げたっていう噂があるのを知ってる?」
「あー、そこまでは知らないなぁ。よく知ってるな」
「昔話だけはたくさん聞いたからね」
月のように弧を描く目が、闇夜に光る猫の瞳を彷彿させた。
「殺されても生き返るってことは不死ってことだよね。不老でもあるのかな」
「どうだろうな」
文清はまた始まったという顔をして寝る態勢に入った。どうやら好奇心旺盛の知りたがりなのは、根っからの性格のようだ。
「不老不死って食べることや睡眠って必要ないのかな」
「死なないってことは死体でもあるってことだから、必要ないんじゃないか」
「それじゃあ、あなたも必要がないってこと?」
「おい、俺は不老不死じゃないぞ」
「本当に?」
俊正は立ち上がって蝉里の横に移動した。
「常遠様は夢見てたよ」
「夢見ていた……?」
「そう。自分も不老不死となって、生き返った友と再会できることをね」
意外、とは思わなかった。古今東西、死人との再会を望む人は多々いる。蝉里とてそうだった。ただ、常遠にとって自分が本当に再会したい人間だったのかは、自信がなかった。
「再会できたら、約束していた旅へ共に出たいって願ってたってさ」
「ふぅん。斬り殺したのは俊遠なのに、ふてぶてしいな」
「そうかもね。だけどその弱さが私は好きだったよ」
俊正は空を見上げた。つられた蝉里も空を見上げる。
赤気が揺らめいている。
北斗星と南斗星も浮かんでいるはずだが、木々に遮られていて見えない。見えないが、その光は例年より弱いはずだ。
今年に入ってから二つの星はその光を無くしつつある。いずれ完全に消えることだろう。
その時が待ち望んだ日だ。その日までに蝉里は炫智の火を集めて彼地へ戻らなければならない。
蝉里は重たい息を吐いた。
「お疲れならあなたも寝ればいい」
「そうだな……。俊正、不老不死なんてほんとにあると思うか?」
「あってほしいとは願っているよ」
気づくと、文清も山雀と同じ顔で寝ていた。
蝉里はまねして静かに瞼を閉じた。眠気は訪れない。かわりに訪れるのは過去の記憶だった。
人生で一番充実していた日々から始まり、終わりには必ず首が飛ぶ。
彼地の民が怨念を受け継ぐように、蝉里の記憶もまた、忘れることを許さないと火が語っているかのようだった。