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一話 北斗と南斗

 
 河原に晒されていた男の首が、一夜にして消えた。

 不気味な出来事に、都の人々は誰かが持ち去っただとか、禽獣たちが食べ漁りつくしたなど、様々な憶測を立てた。
 憶測は噂となってヒノハラの国中に広がり、やがて一つの噂に収斂された。

「罪人は生き返って自らの足で刑場から逃げた」

 罪人が彼地かのちの民だったことから、さもありなんと誰もが受け入れた。

 彼地とは東北のとある土地を、畏怖の念を込めて呼んだ名である。彼の土地、彼の地、彼方の地など、様々に呼ばれていたが、いつの頃からか彼地という名だけが残った。

 彼地の山々は死者が帰る山と云われ、そこに住まう民は山々を愛し、死を司る炫智神かがちのかみの氏子として暮らしていた。

 死を司るということは、生と死を操れるということだ。

 干宝が著した『捜神記』に「北斗と南斗」という話がある。簡略にまとめると、北斗星君が死、南斗星君が生をそれぞれ司るという話だ。

 二柱がそれぞれ司っている領分を、炫智神は一柱のみで担っている、と外の人間は考えていた。ゆえに炫智神に仕える民は恩恵を受けて、一度死んでも生き返ることができるとまことしやかに囁かれていた。

 蝉里せんりは嗤った。

 明国へ向かう船の上で海風を肌に受けながら、遠く彼方へとなりつつある本国を見つめていた。

「回去工作!」
「はいはい、働きますよっと」

 小突かれた蝉里は荷室に向かう。が、突風に呼び止められて再び海へ振り返った。
蝉里はたしかに生き返った。ただ、それは決して噂されるような理由からではない。

 ――彼地の宿願。

「北と南の星が隠れ、赤き帳が降りるとき、古き命放つ御神火現る」
 いつ来るかわからない宿願を果たす日を迎えるため、蝉里は文字通り火を託され、火によって生き返ったのだ。

「快进来!」
「わかってるって!」

 彼地の民は攻め滅ぼされても、宿願を叶えることを諦めない。
 いつ訪れるかわからぬ占の刻まで、蝉里は時の止まった体で旅を続ける。


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