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五話 昔日1
蝉里が十四の秋の年のことだ。
色とりどりの反物を広げる呉服商の隣で、鋳物師が鍋を売り込もうと声をあげている。近くでは糖粽売や桂女が威勢を張って練り歩いていた。
「堺の市より活気は大人しめってところか」
河原の土手で蝉里が買ってやった鮎を齧りながら、春清は辛口の評を下した。その横で旅人が同じく蝉里に買わせた蒸饅頭を早々に食べきっていた。
「あっちはここと違って港があるだろ。堺は九州ほどの港とじゃなきゃ比べられないぞ」
「まぁ、そうだな。弟も物だけじゃなくて、人も多種多様で楽しいと手紙に書いていた」
蝉里はまだ十歳同士の微笑ましい会話を肴に、竹筒に入れてもらった酒で喉を潤した。
春清と旅人はまだ十歳であるが、特別に今年の旅に加わることを許された。蝉里はそんな彼らの補佐を親方の弘房から言い渡されていた。
蝉里は橋の袂に並ぶ芝居小屋を眺めていた。
都の座に所属する芸能者たちの多くは、永泰将軍の庇護の下で技を磨いていると聞く。その力量をのぞいてみたい蝉里はちょっとだけそわそわしていた。しかし、
「駄目だからな蝉里」
旅人がキッと眉を釣り合上げて蝉里を睨みつけた。
「今日は俺たちに付き合うって約束してたんだから、勝手に消えるなよ」
「はは、わかってるって」
普段の放浪癖のおかげで信用度が地に落ちていた。
「まったくあっちにふらふら、こっちにふらふら、山でも海でも川でもおかまいなく歩き回って、何が楽しいんだ」
「え、景色とか、人とか。ゆっくり眺めるの楽しいだろう」
「顔に似合わない根暗な趣味だな」
「なになに、つまり俺がカッコいいのにもったいないってことか。照れるな」
「言ってない!」
普段は自分が彼地の先達だからと生意気を発揮しているのだが、すぐにむきになるところはまだまだ子どもである。
一方、行儀よく鮎を食べきった春清が何かを見つけて立ち上がった。
「ふたりとも、ここを離れるぞ」
春清の視線を辿ると、芝居小屋の役者たちがなにやら揉めていた。揉め事は見る間に蹴る殴るの喧嘩に発展していく。
「どうせ仲間内の喧嘩だろ。せっかくだから見ていこうぜ」
「野蛮な殴り合いは好かん。見たいならひとりで見てくれ」
春清はひとりで土手を登っていく。
旅人は仕方ないとぼやいてから蝉里に声をかけ、先に土手を上る春清を追った。
土手を登りきると、いくつかの人垣が出来上がりつつあったことに気づいた。
その人垣の中に、庶民にしては小綺麗な身なりの少年がいた。切れ長の目が印象的な、蝉里と同じ歳くらいの少年だ。
恰好からして武士であろう少年は、無表情に役者たちの喧嘩を見下ろしていた。感情を削ぎ落したかのような様が妙に目についた。
「蝉里、立ち止まるな」
春清と旅人が人垣を割って進む方向に、少年が佇んでいる。真横を通っても、その視線が蝉里へ向けられることはなかった。
◇ ◇ ◇
翌日のこと。
彼地の旅人たちは都から西に離れた葬送地で舞を奉げていた。
芸能好きが極まった永泰将軍から、私的に幣帛を奉りたいと彼地へ打診があったのは、去年のことである。蝉里たちはそれに応え、将軍の息子たちを彼地へ迎えるために都へ寄った。
蝉里は舞いながら辺りの様子をうかがった。
生者を寄せ付けない異国の民を、都人たちが畏れという御簾越しに観察している。その視線の中には、流浪の賤民への蔑視も混ざっていることだろう。
都人にとって蝉里たちは聖であり穢れでもあった。
見物人たちのさらに奥へ目をやると、似た身なりの少年ふたりが馬に乗って並んでいた。
(あれは……)
昨日の喧嘩騒ぎですれ違った少年である。今日も昨日と同様、何を考えているのかわからない冷えた顔をしていた。
見つけてしまった蝉里は、今朝方の年下組たちとの会話を思い出した。
「せっかく先導役で近くに行けるんだから、友達になれるといいな」
「あほ蝉里。あいつらは敵だぞ」
「あほは旅人もだ。今だけでいいから敵愾心はしまっておけ」
「はぁい」
「それと蝉里、友達になりたいならひとりで勝手にやってくれ」
「友達になるのは俺じゃなくて、おまえたちふたりだ。春仁様が十にしかならないおまえたちに旅を許した理由をよく考えてみろ。この先領主となる春清と、その右腕となる旅人を、将来の将軍様に紹介するためだろう」
「利口ぶるなよ。そんなことが俺にわからないわけがないだろ。俺が言いたいのは、友達などという子どもっぽい表現ではなく、もっと相応しい言葉を選べってことだ」
「はいはい、悪かったな」
「返事は一回だ」
「はいはい」
「おいっ」
蝉里は心の中で謝った。友達になるのは無理そうだ。
(終わったら無理に友達になるなと助言しよう)
ただ、旅人は
しかし終演後に起きた出来事で、助言をしようと思っていたことはすっかり忘れてしまった。
「見事な舞だった」
荒地に爽籟が吹いた。
舞い終えた彼地の民たちが振り返ると、笑みを湛えたあの少年が馬上から見下ろしていた。
打って変わっての表情に、蝉里は目を瞠った。
「なんの舞だ?」
「葬送の舞ですよ。常遠様」
親方の弘房が少年の名を呼ぶ。弘房は昨日の内に永泰将軍へ謁見し、兄弟とも顔合わせを済ましていた。
「道中、何かありましたら彼らを使います。どうかお見知りおきください」
「うん、兄上にも伝えておこう。明日からよろしく頼む」
常遠は馬首を反転させ、兄の元へ戻っていった。あっけない顔合わせだった。
「なんか、兄に似てそつがない弟って感じだな」
銕之丞がつぶやいた。
銕之丞は評価を気にする男で、何かを観察するのにも推測することにも長けていた。
俊遠の話を拾ってきたのも銕之丞だ。兄の俊遠は孝行者で名が通ってるらしい。
「孝行者じゃなきゃ、捻くれててもおかしくないおい立ちの人間なんだとさ」
「捻くれる?」
「血筋問題だよ」
俊遠は将軍家正室の長男であるが、嫡男ではなかった。
母は帝の姪という確かな血筋だ。それにも関わらず跡継ぎでないのは、将軍家の祖神の神通力を俊遠が継いでいないからと言われている。
「父親がその神通力でのし上がった分、子どもへの期待も大きかったんだろうな」
永泰将軍は神通力を武力へと変え、武家の頂点に立った人物だ。
「不義の子と疑われて焦った正室は、頼みに頼んで次男を生んだんだと。で、こっちには立派な通力が宿っていたらしいのさ。だけどこれが反って長男様不義の子説を後押ししちまったって話だ」
「んな馬鹿な」
「真偽は不明だよ。ついでに永泰将軍のほうだけど、今は貴族に養子入りさせてから娶った傀儡女を溺愛していて、その人が生んだ四男を嫡子にするだろうって話」
「ふーん……」
銕之丞のそんな話を覚えていた蝉里は、彼地までの道すがら、都の主従を観察してみた。眞上兄弟は少なくとも家臣からは慕われているようだった。しかし、やはりふたりの立場を軽んじる武士もやはりいた。そんなとき、必ず諫める人間がいた。俊遠と乳兄弟の倭文行親だ。
行親は無愛想な男だった。蝉里が川で水を汲んでいると、倭文行親と行き合った。会釈しかしない人物で、蝉里が会話を投げても何も返さない人物だった。それをみた年下組が、半刻だけ蝉里に優しくなったほどである。
彼地の領地に入ると、眞上家の家臣団は目上であるはずの兄弟を残して去り、行親だけが残った。
「私的な趣味に兵を拘束するのもしのびないと、父上の意向を預かっております。どうかご容赦をお願い致します」
兄弟にそろって頭を下げられた彼地側の面々は顔を見合わせた。
彼地の民ははっきり言って、眞上家が嫌いだ。なんせ自分たちが怨念などという、厄介なものを受け継ぐ原因となった神の子孫なのだから仕方ない。しかしそれで今を生きる子孫たちを怨むのも、筋違いだと理解はしているのだ。だからおかしな扱いを受けている兄弟を前にして、大量の荷物を運ぶ羽目になった不満を飲み込んだ。
彼地の領主が住まう村は、領地内の奥に広がる山岳地帯に点々と作られている。手前の里で一晩休んでから境界の森を抜け、一同はようやく冬前に里へと辿り着いた。
「お勤めご苦労様でした。まずは禊からお願い致します」
「見張り番君よ、毎っ年言ってるけど、やらなきゃだめ?」
優秀な見張り番と弘房のやり取りも一年ぶりだ。ただ、今年初舞台だった年下組は、それは理解しかねるがと言わんばかりの顔で弘房を見上げていた。蝉里はかろうじて噴き出すのを耐えた。
「こちらも毎年申し上げておりますが、決まりですので。お客人方はこのまま案内させていただきます」
「あの、禊とはなんでしょうか」
俊遠が近くにいた蝉里にたずねた。
「俺たちは旅でそれなりに汚れているでしょ。その汚れを川で流すだけのものですよ」
「この季節に? 川で?」
「ええ。冬に入りかかっている山の、冷たい川で、です」
春清が、現世で触れた穢れを落とすというちゃんと意味のある行いだと顔で訴えているが、蝉里は見なかったことにし、旅人からの不敬だぞという肘鉄は甘んじて受けておいた。
「汚れを落とすならば、我々もしなければいけないことじゃないかな」
「おっしゃる通りです、兄上」
これを聞いた弘房があくどい笑みを浮かべた。
「聞いたか? いたいけな少年たちの誠心を。誇り高い彼地の民はこの無垢な少年たちに苦行を強いるのか? んんん?」
「客人には無理強いしませんって、申し上げているじゃないですか」
「だが彼らはやる気だ。困るだろ困るだろ? そこで、いい解決方法がある」
「………………」
「温泉、使わせろ」
結局、眞上兄弟が温泉に案内され、彼地の面々は例年通りに冷たい川でと相成ったのだった。