ウルトラマンネクサスの記憶
幼い頃からウルトラマンシリーズは私の大事な作品だったが、
現時点で私にとって最高の作品は、間違いなく「ネクサス」である。
私の世代は、久々にテレビシリーズとして復活した「ティガ」の影響を強く受けた世代で、V6のTAKE ME HIGHERは今でも多くが口ずさめるし、つるの剛士がヘキサゴンでブレイクした頃、「ダイナ」を思い出したものだ。
その後、やや影に隠れがちな「ガイア」と(今になって見返してみると名作なのだが)、シリーズ最長の放映と3作の映画が公開された「コスモス」を経て、少しの期間を置き、テレビシリーズとして復活したのが「ネクサス」だった。
小学校高学年になった同年代は、ウルトラマンや特撮シリーズに興味を失いつつあったが、私は一切興味をなくすどころか、久々のウルトラマンシリーズは待望であった。今でこそ、特撮を愛する大人がSNSに溢れていて、ウルトラマンシリーズは子供達だけのものではないことがはっきりしているが、当時はまだ、子供達だけのヒーローという面が極めて強く、ウルトラマンの話をしてくれる同級生は、ほぼ皆無であった。
(この時の担任がウルトラマン大好きで、宿題の添削にウルトラマンのイラストを添えてくれる人だったことは、今となってはとてつもなく有難いことであった)
さて、いよいよ「ネクサス」について書くのだが、差し支えなければ先に、Wikipediaを参照いただきたい。大まかな内容とその評価を知っていただければ、このシリーズがウルトラマンシリーズの作品の中で、最も異色な作品だとわかる。
Wikipediaを参照されたかどうかはさておき、私から簡単に紹介すると、ウルトラマンネクサスという作品は、
・打ち切り、放送短縮
・批判と低視聴率
・一部からの強い支持
といったところか。とにかく内容が他のウルトラマンシリーズとは違いすぎて、
同列に論じることができないのである。主人公はウルトラマンに変身しない、ウルトラマンに変身する人物は途中で変わる、ウルトラマンと怪獣の存在は世間から隠され、主人公の恋人は闇のウルトラマンだったし、ラスボスは同僚だったし……。
あげればキリがない。
もし「ネクサス」が今の時代に放映されていれば、SNSは沸騰し当時とは違う評価を受けていたのではないかと思う。近年のランキングでは上位に食い込み、根強いファンの存在と確かな支持があることは明白になっている。サブスクリプションの映像配信が普及したおかげで、過去の作品に触れやすくなった時代なので、これからも徐々にファンが増えていくことだろう。BGMは間違いなくウルトラマンシリーズで屈指の名曲揃いであるし(後にも先にもサウンドトラックを買ったウルトラマンシリーズはネクサスだけだ)、ライドメカのクオリティも素晴らしい。玩具は未だに自室に飾ってある。
ここまでのことは、他にも多くの方が言及されているが、あまり触れられているところを見たことがない点で、各話のタイトルについて言及したい。
ネクサスの各話のタイトルは「漢字の単語化熟語」にそれを訳した(もしくは意訳した)カタカナ表記で統一されている。これらのタイトルが小説の目次のように並べられていれば、読み進めたいと思わせてくれる、そんなタイトルだ。
そして最終回のタイトルこそ「絆ーネクサスー」であり、初めて「ネクサス」というワードが作品内で出てきた回であった。(絆、という言葉は使われていたので、意味としては初めてではなかったが)
第一話から「ウルトラマンネクサス」として放映された作品内で「ウルトラマン」は最後まで「ウルトラマン」と呼称され、ついに最後まで「ウルトラマンネクサス」とは呼ばれなかったが、ただ一度の「ネクサス」というワードとそのシーンは、この作品を屈指の名作であることを決定づけた。
全くとんでもない伏線回収である。
さて、そんなネクサスが私にとって1番の名作、ということで記事を終えても平凡なので、もう少しだけ私の思うことを述べておきたい。それは、作り手-クリエイター-(ネクサスのタイトル風に)にとって大切なことを、ネクサスという作品が示してくれたことだ。
ネクサスは今でこそ再評価をされてはいるが、かつては認知度も人気も低い作品だった。けれど、刺さる人には刺さり、誰かにとっては1番の作品だった。少なくとも私にとっては。
この、誰かにとって1番の作品、ないしは作り手-クリエイター-ということこそ、私が大切にしたいことだし、結局のところ人々が求めていることなのだ。世間の評価はさておき、自分にとってかけがえのない作品に巡り合うことが。
しかしそれでも、自分にとって一番の作品を広く世間に知ってほしい、という欲求はしばしば起こるもので、いつの頃からかそれは「布教」と呼ばれている。
今回の記事もまた、そんな私の布教活動である。
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