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連続小説「88の謎」 

第四話 Dolce

ナイトラウンジ "one hundred" の看板の明かりを消して、女はカウンターの椅子に座り直した。疲れていたのか、うっかり店のソファーでうたた寝していたせいで、時計の針は26時を優に回っていた。
最後の客がほとんど口を付けずに残したヘネシーを冷蔵庫から取り出したグラスに入れ直し、一口だけ喉を通した。久々に店に来た常連客が、とっくに過ぎた私の誕生日のプレゼントとしてボトルを入れてくれたのが助かった。今月もなんとか乗り切れそうだ。そう思いながらカウンター上のボトルストッカーの端にピンナップした写真を眺める。

「もう24年…もうすぐ25年...か。」

アイスボールを指でくるくる回しながら、また一口ヘネシーを飲んだ。私はなんでココにいるのだろう?時々なんとも言えない気分になる。ひとりの店には慣れているつもりでいた。東京は愛せど何もない。憧れなどはとっくに捨てたし、希望は持たずに置いてきた。ただひとり...会いたい人のことだけは忘れられないまま…

自分の腕の鈍い銀色が少し気になった。MOMOと刻まれたこのバングルは、この店のオープンの際に来た客からもらったものだ。自分と共通の知り合いに聞いて作ったものだと言われのだが、下の名前だけとはいえ本名を知られていることに些かの抵抗はあった。しかし、酔った勢いで自分のことを誰かに話してしまっててもおかしくはない。晴れの日のプレゼントということもあり、大丈夫と自分に言い聞かせて、身に付けるようになっていた。

この店のオーナーのモモには少し不思議な力があった。小さな頃からごく稀に少し先の出来事が浮かんでくることがあったのだ。世にいうデジャヴなどというものではなく、もっとしっかりしたものだ。3秒後くらいに起きることがほぼ100%予知できる現象、というば分かりやすいだろう。縁日で神社の石灯籠が倒れることを察知したり、歩行者天国の歩道に飛び込んで来るトラックを予測したりしたこともある。
それゆえに小さな頃はクラスメイトなどに気味悪がられた。何より彼女を好奇な目で見る者が多かったのは、亜麻色よりも金色に近いブロンドヘアーと左目が僅かに青色がかったオッドアイのせいだった。今でこそ自分の個性として位置付けることが出来るが、異質さだけが際立った過去があることは拭い切れない。刺すような目線や投げつけられた言葉、失ってしまった純粋さ…忘れたつもりでも過去が夢に出て来ることもある。客の中にもモモにからかうような言葉をかける者もあれば、記念に写真を撮らせて欲しいと懇願するデリカシーのない者もいた。それでもモモがこの店の高級志向を貫いた結果、モラルの薄い客は自然と淘汰され、店の雰囲気に相応しい常連客達だけが残った。リテラシーの高さは、今の時代に必要な能力だとモモは思っている。SNSなどのネット社会に限らず、リアルな人間関係においてもその重要性は間違いない。

モモは首をゆっくりぐるりと回し、肩甲骨を動かしながら肩の骨を軽くポキポキと鳴らした。これから店じまいを始めるのも億劫だと思いながら携帯を開いた。そこにはタカシからメッセージが届いている。

「モモ、おつかれさま。返事がないから忙しいのかな?ムリしないように。ポトフを冷蔵庫に入れておくから、帰ってきたら温めて食べてね。」

いつもと変わらない優しさに胸が締め付けられた。自分には似つかわしくないような幸せに押しつぶされそうだった。タカシとは半年ほど前にこの店で知り合い、何度かデートを重ねた男だ。絶対に人に心を開くまいと違った自分の扉を、タカシはすんなりとひとつのスキルで開けてしまった。その後、いつの間にか家に泊まりに来るようになり、今ではモモと異なる生活時間にすれ違いになりながらも気を遣ってサポートしてくれていた。モモにとって彼といる空間は柔らかく、甘いデザートのようだった。
この時間では恐らく彼は眠っているだろう。そう判断したモモは、軽率な返信で起こしたくないと思い、メッセージを送る準備だけして後片付けを始めた。

その時、見慣れないアカウントからメッセージが届いていることに、モモはしばらく気付くことはなかった。

第五話に続く

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