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鬱病、報告の電話をする

転職内定をプライベートでお世話になった方に報告した。彼女は15個程年上の、先輩と形容するには堅苦しく、友人と呼ぶにはちょっと恐れ多い、とにかく仲良くさせてもらっている方だ。

鬱になった時も、唯一彼女だけが最寄りの駅まで会いに来てくれた。ちょっとお高めの地産地消系を扱うスーパーで買ったであろうレトルト達が、無造作に詰め込まれたでっかい紙袋を手渡しながら「要らないなら捨てていいから!」とあっけらかんと言っていた。良い意味で本物のサバサバ女子だと思う。

会った後も「尊敬しているあなたに頼ってもらって嬉しかった。また会いに来ます。」と絵文字1つない短文にも関わらず、破壊力のすごい言葉を送ってくれた。自分が40代半ばになったとして、15個年下の人間に尊敬しているとまっすぐ言えるだろうか?そんな高潔な人間になれるだろうか?涙腺が緩んだ。尊敬という言葉を軽率に使わない方だと、嘘をつけない人だと知っているからこそ、あの言葉の衝撃を忘れることができない。

電話を30分した。その中で口下手なりに必死に言葉を紡いで感謝を伝える私。「休職中に三銃士の原作を読み返したんですが、仮に私が未熟なダルタニャンだとすると、あなたはアトスなんです。友達でもなければ先輩でもないのですが、困った時にいつも助けてくれて、確実にアドバイスをくれる方だったんです。」と言うと「えー!アトス?!そんなに冷静じゃないから照れるなぁ!私のこと勘違いしてない?!」と照れていた。自称感情的を強調する点も含めて本物のサバサバ女子だなと思った。

しかし、彼女が感受性豊かなのは事実である。泣きながら笑顔で鬱の原因を話す壊れた私を前に、ステーキを切る手を止めて眉間に皺を寄せ「えぇ、なにそれ、カスじゃん、最低!」とストレートに発言していた。(彼女に限らず、私の友人達は私が鬱で食欲がなく珈琲しか飲めなくても、目の前でバクバク肉を喰らうのが、最高に自立している人達だよなと思う。逆に気を遣われないので誘いやすい。)

彼女が凄いのは、どちらもできる点なのだ。感受性豊かだから鬱病患者が共感してもらえると期待して頼ろうと思えるし、理知的だからいつもその先の行動に対して的確なアドバイスをくれる。転職先の業務もどうやって把握したのか謎だが、ホームページには載っていないことまで調べ挙げた上で「こういうこと向いてるじゃん、よかったねぇ」と自分事のように喜んでくれた。その後にすかさず「私の知り合いで近しい業務やってる人いるから、必要あれば繋ぐから言ってね」とLinkedInのURLを送ってくれる。そこまで勿論求めたつもりなどなかったのだが、私を信頼してくれていて、人脈や情報を惜しみ無く提供してくれることには驚愕と感謝である。乾いた笑いを返しつつ、ひとまずありがとうございますとだけ返す。

また私の行きつけの喫茶店で会おうと約束した。そこのお店では無口なマスターから常連扱いしてもらっており、私が大学院を卒業した時には会話をカウンターで聞いたマスターからサプライズでケーキを奢って貰った。「またマスターから転職祝いのケーキを出して貰えるかもね!また連絡する!おやすみ!」とワクワクしていた彼女。そんな都合良く頻繁にケーキって奢ってもらえるものかねと心の中で突っ込みつつ、電話を切る。

彼女のように、嘘をつかず、経験に裏打ちされた冷静さを兼ね備え、まっすぐに人と向き合える人間になりたいと思った。年齢に関係なく、人を尊敬したいと思った。

鬱で落ち込むと、この世界で私のことを気にかける人間なんていないと思うが、助けてと言えば助けてくれる人は少なくともいて、その事実に感謝して生きたいと思った。助けての一言を言うことすらできないことも理解できるから、やっぱり助かりたいと思うのは自分自身の力なのだけれど。そして私も助けてと言ってもらえるような信頼関係を築いていきたいと思った。

明日も自分に優しくできますように。

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