元鬱病、民族衣裳で幸福の餅を拾う
なんじゃこのタイトルはといった感じである。
ジューンブライドという、およそ私の人生に関係のない言葉がある。6月に挙式すると幸せになれるみたいな海外の噂が、6月には絶賛梅雨の日本にもなぜか輸入されたらしい。
そんなとある6月の休日。私は料亭にて民族衣裳を着て幸福の餅を拾っていた。もとい、友人の結婚式に参列していた。散々「結婚式に行きたくはないのだ」等とふて腐れていたのに、まったく手のかかる私である。数少ない友人だから来てほしいと言われると、結局絆されて行ってしまった。(しかも相手からのリクエストで、共に海外旅行をした際に、現地で仲良くなったお姉さまから仕立ててもらった民族衣裳を着ろとのリクエスト付きである。新郎新婦の地元で開催される結婚式には知り合いがゼロであるのに。どれだけのハートの強靭さを求められるのか。)我ながら優柔不断で良い奴だ。やれやれ。
この工程になんの意味があるねんと心の中で突っ込んでいたらいつの間にか終わっていた挙式の後は、屋上テラスから新郎新婦による豆まきならぬ"幸福の餅まき"げなるイベントがあった。百歩譲って、あれは皇族を前にして平民であることを自覚する目的があるから頭の上から降ってくる豆にたかるのである。平民の男女が投げる食べ物なぞ私は拾いたくない。更に不愉快なことは、幸せなどお裾分けされなくても私は十分に幸せだがと強がりを覚えてしまう点だ。その場にいる人間の中で最も冷めきった目をして、笑顔で手を伸ばしながら空を切る参列者の手を眺めてみる。
観察しているところ、どうやら餅は豆ではなく餅ゆえに体に直撃するとそれなりに痛いらしく、女性陣の方へ投げられた餅はことごとくキャアなどの叫びと共に地べたに落ちて潰れていた。平民の幸福お裾分けには腹が立つが、餅に罪はないのでひしゃげた餅を拾ってポケットに入れた。
その後、披露宴にて新郎新婦との写真撮影会になる。もう一度リマインドなのだが、私だけ全身民族衣裳を着ている。かつ、この披露宴会場に知人はいない。となると、写真撮影に参加する気もなく、隅っこのテーブルでホタテのソテーを小さく切り分けて胃に運んでいた。ふむ、この椎茸はなかなか肉厚でうまいななどと食レポをする余裕が出てきた頃、式場スタッフに「お二人がお写真を撮りたいとご指名です」と言われる。「え?!写真!?ちょっとホタテが歯に挟まってるので待ってください」と恥ずかしさと焦りでモゴモゴとぼやきつつ、片膝を立てる黒服さんを待たせる私(スミマセン)。そもそもみんなが写真を撮りたくて群がる披露宴の時間ではお人形さんのように微笑んでいれば良い夫婦が、意思をもって撮影の指名をしてくるなんてあるのだろうか。
歯に挟まったホタテを舌で取ろうと全力で口内の筋肉を使って変顔を新郎新婦に向けながら、高砂へ進む。皆写真を撮り終えているので、なぜか民族衣裳、かつなぜか1人で参加しているホタテ歯挟み人間を、参列者全員が円卓から凝視している。こんな状況で素敵な笑顔を浮かべるのは無理な話である。皆に疑惑の念を持たれつつ、輝く夫婦の後ろに立ち、不器用な顔で写真を撮る私。
エンディングでは、当日に撮影されたビデオが切り取られて1本のムービーとして流されていた(SEの苦労が思われて忍びない)。そこに写るのは皆が笑顔で見守る新郎新婦によるケーキ入刀の際に、独りすき焼きを見つめ、丁寧に生卵を絡ませている私の姿であり、お色直しの際に皆がテラスに出て着替えた新婦を迎え、一列で笑顔で歓声を上げる中、一番隅でニヒルに肘をついて独り眩しそうに眺める私の姿があった。なぜわかるかって?原色の民族衣裳が異様に目立つからである。皆様が結婚式に参列する際は、民族衣裳を着ないことを勧めたい。
しかし、なぜ招かれたかやはりわからない式であった。2人の軌跡みたいなムービーでは大学以降の写真に私とのツーショットが2枚使われていたが、正味共に過ごした時間は300時間くらいであろう。新郎新婦が大学時代にごりごりの運動部に入っていたことを鑑みても、断トツに縁が薄いはずである。
食いっぱぐれないように祈っているケーキ入刀も、2人の故郷の水を植物にかけて混ぜ合わせる儀式も、ひねくれている視線を持つ私は笑って吹き出すのを堪えるのに必死であった。後者の"水合わせの儀式"の際に司会の方は「混ぜ合わさった水は元には戻りません!」等と大層感慨深そうに言っていたが「そりゃエントロピー増大方向ですからね。遠心分離とか、分子量の多さとかを特定できればもう一度戻すことはある程度可能なのでは?」等と思っていた。我ながらこんな奴、本当は式に紛れ込ませちゃならんと思う。
私は母子手帳は荒れてた中学生の時に捨てたから出生時の体重なんて知らないし、ノリでつけられた名前に親の願いや祈りなど込められていないし、家を夜逃げしたからアルバムの写真なんてないし、そもそも父親がいない。母子手帳の件は私が悪いのだが。この披露宴プログラムは私のケースならだいぶ短縮だなぁ、美しい晴れ着さえも、もしかしたら私には着る資格がないのかもななどとイカれた民族衣裳で思った。
なんだか笑えた。嗤ってしまった。できないことが多くて。その嗤いが夫婦を見つめる甘ったるい参列者の笑顔に紛れると良いなと思った。
行ってよかった。身の程知らずの幸せを自分も叶えられると勘違いして傷つくところだった。危ない危ない。定期的に健常者の無意識な暴力に触れて自分を律しないと。
やれやれぃ。
明日も自分に優しくできますように。