超短編「架け橋」

ゴムの匂いに魅かれる男のちょっと切ない物語を書いてみました。
きっかけはゴム長靴を盗んで捕まった男のニュースです。切なくコミカルなものを表現したかったのですが、コミカルはなかなか難しいですね。

🔸「架け橋」(2016年7月)
人気のない住宅街。チャイルドシートの付けられた自転車にかけられたソレを見ると、男は湧き上がる衝動を抑えきれなかった。
折しも、道路交通法が厳しくなった余波で、ソレの需要は増し、デザイン性も格段に上がり様々なものが出回るようになった。
男の食指は更に疼いた。

クローゼットに色鉛筆箱のように並べてかけられたソレを、うっとりと眺め、気分に合わせた色を選ぶと枕元に置いて眠るのが至上の歓びだった。

男は、みなし子だった。
大正12年。関東大震災後の混乱期に生まれた。
物心ついた頃、人間だと思っていた自分の体が、水に濡れると、手足にヒレが出てきて、頭のてっぺんの髪は抜け落ち、水皿が出てくることを知った。
自分の出自に混乱した男は、水に濡れた自分の姿とよく似たものを奉る寺を見つけると、寺の和尚さんに自分の身の上を話した。

和尚さんは、神妙な顔で男を拝んだ。そして静かに語り始めた。

「お前さんの父親は河童だ。関東大震災の時に起きた火事で逃げ惑い、川に飛び込んだ娘さんを助けて、恋仲になった。そして道ならぬ関係となり、お前さんが生まれた。
水の精霊としての使命ある、お前さんの父親は、人間と交わった罪として河童界から、河童の魔力を奪われることになった。精霊として人命を助けながらも罪悪感にも苛まれたお前さんの父親は、自らの体に火をつけ、あの世に旅立った。そして打ちひしがれた母親も、川に身を投げ父の後を追って最期となった。
母親は、河童の血をひくお前さんが、干からびることを恐れ、ゴム製の雨合羽で包み河原に置き去りにした。
今、お前さんが雨合羽の匂いに慕情を感じるのは、そのせいだろう。」

男は合点がいった。

そして、和尚さんは言った。
「けれど、盗みはいけないよ。今のうちにそっと盗んだ雨合羽を持ち主の所に戻しておきなさい。」
「しかし!和尚さん!!」
「言わんで宜しい!
お前さんはもう80年以上生きてきておる。誰かいい人を見つけるに丁度良いだろう。河童界の事情も変わってきているだろう。
この世の水問題の解決に、もはや人間の力だけではどうにもならない所にまで来ている。今こそ、河童人間としての、お前さんの力量が問われる時代だ。未来の架け橋として一肌脱ぐのも悪くないだろう。」

男が寺を出ると、外は挑戦的なゲリラ豪雨となっていた。
体に打ち付ける雨の中、いつしか男の頭部の皿は、鉄鉱石の輝きを放っていた。

 

いいなと思ったら応援しよう!