言葉の過信-deaf cultureとcoda のこと
2022年
名作映画「カッコーの巣の上で」(1975年)で
アカデミー助演女優賞を受賞した
女優 ルイーズ・フレッチャー の訃報のニュースを見ました。
映画の中では規律を重んじる冷酷な看護師長役でした。
フレッチャーさんは 難聴者の両親のもとで育った健聴者で、アカデミー賞受賞のスピーチでは
手話も披露していました。
■ 「CODA」
children of deaf adults の略
聴覚障害のある親のもとで育てられた
健聴者の子を意味します。
2021年には こんな映画もありました。
「CODA あいのうた」(2021年 米 仏 カナダ)
漁師の両親と兄は聾唖者で 唯一 娘ルビーは健聴者。歌が大好きでその才能も認められ大学進学の話をうけるが、家族の中で頼られる存在のルビーには難題がふりかかる…というあらすじです。
さて
一昨年、私は山手線で表情豊かな小学生男子を3人見かけました。顔つきはかなり楽しげで盛り上がっているのに静かで不思議に思いました。
よく見ると手話で話をしている子供たちでした。
言葉で話さない代わりに表情も相手に伝えるための大事なコミュニケーションだと知りました。
CODAと言われる子供達は、年齢とともに言葉を発しない親の姿にもどかしさや違和感を感じるようになります。また健常者だけの友達の家庭との違いも知っていくようになります。
一方、こうした子供が健聴者と聾唖者との架け橋にもなります。
deaf culture(ろう者文化)は、新しい表現芸術も独自に広がりを見せています。
私個人としては、言葉の伝達手段に過信して
詐欺があり、言葉を信じて真意見抜けずという場面が増えてきていると思うのです。
言葉は伝達手段の一つながら万能ではないことを
メールという言葉だけの伝達手段が主になってきている今、痛感している人は多いのではないでしょうか。