超短編「初めての一目惚れ」
医療工学のエンジニアとして働く鯖江は陽の当たる道を歩んできた。
堅実な両親と、鯖江に根付いた“努力は裏切らない”という信念のもと、人生の道を切り開いていった。
年齢相応の地位と信頼は、自らの誠実な歩みの証しとして静かな自信を確固たるものにしていった。
親の教えは、「冷静な状況判断のできる頭でいろ」というものだった。努力が実を結ぶ経験を重ねて、学習や努力をすることが、いつしか鯖江にとっての「達成感」としてまた親にとっては「自慢の息子」として、かけがえのない存在になっていった。
40代になろうとも、未だ自慢の息子は、老いてゆく親にとってこの上もない励みとなっていった。働くようになると、商談とない交ぜの夜のつきあいがあった。
祖父がイタリア人の友人がいた。建築工学を学んでいた。
挨拶代わりに誰でも褒める様は、鯖江には「異国の人」そのままの印象だった。
しかしながら、そのオープンな褒めっぷりから、ビジネスの場でも生かされる社交術には天晴の一言しかなかった。
その友人は言うのだ。
「権力や肩書で寄ってくる女性は多いから、媚びてくる女性には気を付けたほうがいい。特にキミは女性馴れしていないようだから・・・。」
鯖江は、それなりに女性と付き合ってきたツモリだった。しかし本音を明かすと、面倒に感じてくると女性との付き合いよりも、学業や仕事に打ち込むことを優先して「堕ちる」ことを回避してきた。冷静な状況判断こそが身を守る鯖江の流儀だった。
ある日、学会との合同発表会で地方都市H市への出張があった。
懇親会を兼ねた立食パーティは疲れるだけだ。食べた気がしない。ホテルに戻ると夜景がきれいに見渡せるといわれるラウンジで一人のみ直すことにした。
ラウンジに向かう途中の廊下で、足元のおぼつかない初老の男性とハイヒールのワンピース姿の30代とおぼしき女性のカップルがいた。女性と一度目があった。ただ一度だけ目があっただけだった。小ぶりな鼻と黒髪は、アジア人特有のものだったが、瞳の色がグリーンだった。
その数か月後、鯖江は、みずから開発した端末の導入で、成功した事業現場の視察に行くことになった。
物流業界は近年、膨大な物流量を抱え、ドライバーの長時間労働も問題視されている。作業についても翌日到着を厳守としているため、効率化が叫ばれている状況だった。
導入されたものは、眼鏡にバーコード読取端末のついたもので、両手の作業をしながらコード確認ができるというもの。郊外の物流センターにつくと、現場作業の様子を確認。
一連の作業後、物流センター長によばれた作業スタッフと対面する。
鯖江の前に現れた作業着を着た女性は、あの地方ホテルで見かけたグリーン色の瞳の女性だった。
一度会ったきりだったが、日本人には珍しい瞳の色と一瞬みせた鋭い眼光は焼きついた記憶になっていた。
忘れていたはずの、関わりのないはずの人物の登場に、鯖江はうろたえた。
しかも、あの時とはまるで違う地味な姿。しかしながら、鋭い眼光はあの時と同じ。
照れ笑いすらせずに、淡々と以前と今の作業の違いを説明する。
鯖江のことは一切記憶にないようだった。
鯖江は、えもいわれぬ苛立ちを覚えた。
気がつけば、自分は多くの決裁権を行使する立場に落ち着き、周囲は意のままに動かせることに慣れていた。
自分もまた、自分の思う通りの人間関係に満足していた。
不覚にも、鯖江45歳、初めての一目惚れに動揺するばかりだった。