渡辺直美から学ぶソーシャルワーク
なんなんでしょうね
日本人特有なのか「周りと違うことをすると弾かれる」文化
「お前それやばくね〜?」
「あいつってなんか変だよね〜」
周囲と少しでも違うとそんな声がちらほら上がる
大きい、小さい
痩せてる、太ってる
力がある、力がない
足がはやい、足が遅い
これらは全て「標準」と比べられ、そこから外れると評価される
これ自体には善悪はなく、ただ「標準ではない」という表現なのだと思う
ただ、なんだろう
標準から外れると
「恥ずかしい」
という感情が湧いてきて、なんだかその集団に居づらくなる
標準から外れる(と感じている)→恥→居場所がなくなる
これはあるな。
自分の中で攻めたファッションをすると見てほしい気持ち反面、ちょっと外出づらいし
ハゲたら同窓会とか行きづらいし
太ったら海とか行きづらいし
足遅かったら運動会とかちょっと気まずい
お酒が飲めない人が烏龍茶頼むと「あ、烏龍茶なんだ、、」ってなんなん?笑
居場所がなくなると何か後ろめたい気持ちにもなる
悪いことをしていないのに何か申し訳ない感じ
これは障害、発達の凸凹がある人にも同じ現象が起こっている。
日本はとにかく個性を認めない
集団で同じ服を着て
同じ行動をとって
同じことができて
同じことを好きといわないとなんとなく居場所がなくなる文化
ある部分で尖っていても、周りと同じでなければ排除される
ソーシャルワーカーである上田はどう考えるのか?
居場所の大切さを考える
居場所がなくなり、社会(医療、経済、情報、政治、就労の機会、地域とのつながり)から排除されると、その人の存在が脅かされる
脅かされた人たちはある種「差別」を受けることとなり、差別は「憎悪」の連鎖を生む
ソーシャルワーカーは、「排除」ではなく「包摂」を。
つまり、はみ出していても同じ社会で過ごす共生の道を選ぶ。
これがソーシャルインクルージョンの考えだ。
はみ出した人たちが過ごしやすい環境というのは
当然に標準の人たちも過ごしやすい
シャンプーボトルの横についているカリカリの部分は視力が低い人たちにとってシャンプーかトリートメントを判断するのに大いに役立つが、シャンプー中に目を瞑っている人にもありがたい
どこに何がしまってあるのか覚えづらい、短期記憶の障害がある人が、棚に写真を載せることでミスがなくなる。しかしこれは誰にとっても使いやすい工夫だ。
フルテロップのYoutubeは聴力に困難がある人にもありがたいが、寝る前にこっそり好きなYoutubeを子供を起こさないように試聴したい世の中のママにも嬉しい。これがユニバーサルデザインの考えだ。
居場所ってなんなんだろう。
モデル業界やおしゃれの世界では痩せていることが良しとされるが、
相撲部屋や格闘界では「太れることは才能」だ
日本でハゲているとやや残念な風に思われるが、海外ではセクシーと表現される
どんな個性であっても「そのこと自体が輝く環境」があるのではないだろうか?
でもまだまだその環境が用意されていない分野もあるのだろう。
私はこの考えを元に
どんな人たちも暮らしやすい社会を目指し
誰もが過ごしやすい居場所作りを目指す必要があると考えている
この問題に真面目に取り組もうとすると
政治家になるしかないのか?とも思うかもしれないがそうではない
私はふとテレビを見ていてタレントの渡辺直美(敬称略)の活動がすごいと思った
先ほど例に挙げた「おしゃれ」
どの雑誌を見てもすらっとしたモデルが立ち並ぶ
もはや「おしゃれ=痩せている」と私たちは刷り込まれている気がする
しかし渡辺直美は「プニュズ」というブランドを立ち上げた。
決して「太っている人向け」のブランドではなく
「女の子が持つ感情を表現する」というテーマのブランドだ
どのような体型であってもおしゃれの自由を表現し、ガールズコレクションに出演し、完全に市民権を得た。
この取り組みを見ていると「おしゃれ=痩せている」の概念は覆る。
「おしゃれ=感情表現」と新たな概念が加わる。
渡辺直美は「標準から外れていると思っていた人」たちを
まるっと包み込み、表現の自由を保障した
そして、無理なダイエットをするのではなく「あなたの感情を表現する」という形でノーマライゼーションした。
私からしてみれば、渡辺直美がやったことはただ服のブランドを立ち上げただけではなく
世の中の人たちに居場所と自信を与えた、そんな取り組みだったように思う。
終わりに
今、私はSNS発信やYoutube活動もしている
私の周りにもこうした発信をしている専門家が多くいる
はじめは「Youtubeなんて怪しい活動だ」「Youtuberになりたいのか」と嘲笑した専門家も事実多かった
しかし、今は先人たちの活動により、しっかりと取り組んでいる専門家に関しては憧れられたり、学会でYoutube活動が発表されるなど、徐々に認められ始めている。
そうすると中々分かりにくかった医療の情報や一般には理解が難しい情報が、広く一般の方々にも届くようになった。ネットに情報はゴロゴロ転がっているものの、文字情報ばかりで理解しやすいとは言い難い。高齢者や文字が苦手な人には届いていない。
専門家Youtuberは情報から排除されていた人たちを包摂し始めることができた。
こうして少しずつ、世の中の「はみ出した人たち」の勇気により
「はみ出してもいいんだ」とそれぞれの個性を認め合い
「自分にも居場所がある」と思えることが
私がソーシャルワーカーとして目指したい、取り組みなのかもしれない
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