この年私が育った札幌の町で晴れて開業することになった。
「快く生きられるようになってもらいたい」という願いを込めて「快生整骨治療院」という名前を付けた。
自分の腕にはそれなりに自信もあったので「3回の治療で判断してください」というのをモットーにしていた。
このモットーは今でも変わっていない。
その頃の私は「全国の医療の行き届かない地方に行って私の治療を届けたい」と思っていた。
私がこの治療と出会って人生が変わったように、全国の私を必要としているところに行って、多くの人の人生を変えたいというのが私の夢だった。
ところが、医療の行き届かない地方に行くには時間とお金がかかる。
どうやって考えても採算が合わない。
それなら、引退するくらいの年齢になった時に、もしも蓄えが十分にあったら、そのお金でボランティアとして治療を届けに行こうと思っていた。
とは言っても開業してしばらくは不安でいっぱいだった。なので、保険治療を中心にして、安定した収入を目指した。
数年もすると、運が良かったのかそこそこ信用も付き、収入も安定してきた。
結婚もし、二児の父となり、整骨院の業界で役員もするようになった。
誰から見ても順風満帆だった。
しかし、私の中ではなんとなく欲求不満だった。こんなことをしていていいのだろうかという得体の知れない焦燥感のようなものを感じていた。それが何なのかはわからないまま忙しさにかまけていた。